第3話 女神様、あらわる


 ​ボクの名前が「フク」になってから、店には少しずつ変化が訪れた。


 ​まず、マスターがよく笑うようになった。

 そして、スマホという四角い板をボクに向けては、「フク、こっち向けー」「いい顔しろよー」なんて言いながら写真を撮るようになったのだ。


 その写真は、「喫茶ひだまりの看板猫、フクです」という言葉と一緒に、SNSとかいう、よくわからないけどスゴい場所に毎日届けられた。


 ​すると、どうだろう。


​「SNS見ました!フクちゃんいますか?」


 ​そんなふうに言って、お店のドアを開けてくれるお客さんが、一人、また一人と増えていったのだ。


 ボクは看板猫としてのお仕事がすっかり気に入っていた。

 お客さんの足元にすり寄って、「いらっしゃいませ」のご挨拶。


 テーブルの下をくぐって、「ごゆっくりどうぞ」の合図。


 時々、お腹を見せてゴロンと転がってやると、みんな「かわいいー!」と笑顔になる。


 その笑顔がマスターにも伝染して、店の中は陽だまりみたいに明るい空気に満たされていった。


 ​その人は、また雨が降る日にやってきた。


 ​カラン、とドアベルが軽やかな音を立てる。


 入ってきたのは、ふわりとしたワンピースを着た、笑顔の優しい女性だった。

 彼女は店の中を見回し、ボクの姿を見つけると、ぱっと花が咲いたように表情を輝かせた。


​「フクちゃん!」


 ​彼女はボクの前にそっとしゃがみ込むと、まっすぐ目を見て言った。


「SNSで見て、ずっと心配してたの。

 元気になって、本当によかった」


 その声は、まるで小鳥のさえずりみたいに心地よかった。


 ボクは、この人は絶対に優しいニンゲンだと直感し、ためらわずに彼女の手に自分の頭をこすりつけた。


 ​マスターが、少し照れくさそうに「フクに会いに来てくださったんですか?」と声をかける。


 それが、佐久間操さくま みさおさんとマスターの、初めての会話だった。


 ​マスターは、ボクが病気だった時の話をした。

 すると操さんは、自分も『しらたま』と『おはぎ』という二匹の保護猫を飼っていることを話してくれた。


 スマホの写真を見せてもらうと、真っ白な猫と真っ黒な猫が、仲良くお団子みたいに丸まって眠っていた。


「猫がいると、毎日が宝物みたいに感じられますよね」


 ​操さんがそう言って微笑むと、マスターは顔を赤くして、でも本当に嬉しそうに頷いていた。


 ​ボクはカウンターの下で丸くなりながら、楽しそうに話す二人を眺めていた。


 操さんは、まるで女神様みたいだ。


 マスターの、あんなに嬉しそうな顔、ボクは初めて見たかもしれない。


 ​ 操さんは、すっかり「ひだまり」の常連さんになった。


 ​そして、不思議なことが起こった。

 彼女がカウンターでコーヒーを飲んでいる日は、まるで魔法みたいに、次から次へとお客さんがやってくるのだ。

 操さんの友人、そのまた友人と、人の輪がどんどん広がっていき、あれほど静かだった喫茶店は、毎日たくさんの人の笑い声でいっぱいになった。


 ​ある月末の夜、店を閉めた後、マスターは帳簿を前にして、自分の目を疑うように何度も瞬きをしていた。


​「……黒字だ。初めて…」


 ​その呟きは、驚きと喜びに震えていた。

 マスターは椅子から立ち上がると、ボクを力強く、でも優しく抱きしめた。


​「フク、ありがとう。 お前は本当に、俺の福の神だ」


 ​ボクは得意げに「ニャー!」と一声鳴いた。


 ​もちろん、ボクだけの力じゃない。


 あの女神様、操さんのおかげでもあるんだって、ボクはちゃんと知っていた。

 マスターの膝の上で、ボクは誇らしい気持ちでいっぱいだった。


 ​ボクがこの店に運んできたのは、ただのお客さんじゃない。

 マスターの心を温めてくれる、本物の「ひだまり」だったのだ。


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