第6話 堕ちゆく夕暮れ

 夕焼けが校舎を燃やすように赤く染めていた。空は濃いオレンジから深紅へと変わり、伸びる影は黒い帯となって地面を覆う。放課後のざわめきが遠くに聞こえる中、わたしは部活を終えて教室を出て、昇降口へと向かう。窓の外に見えるグラウンドでは、まだ数人の生徒がボールを追っていた。だが、その光景すらもどこか陰鬱に見えるのは、沈みゆく太陽のせいだろうか。

「ねえ咲菊、今日はちょっと寄り道しない?」

 友達の優衣が駆け寄ってきて、目を輝かせる。

「新しく出来たカフェ、行ってみない?」

 その笑顔に心が揺れる。優衣のこういう誘いは嬉しいけれど、最近は断ってばかりだ。

「寄り道か……」少し迷ったが、家でやらなければならないことが頭をよぎる。「今日は用事があるから、また今度ね」

 軽く手を振ると、優衣は一瞬残念そうに眉を下げたが、すぐに笑顔を作った。

「そう? じゃあ、また誘うね!」

 わたしは早足で校門を出る。門の近くには、別のクラスの生徒たちが数人たむろしていた。男子は制服の前ボタンを外し、派手なTシャツを覗かせている。女子はスカートを必要以上に短くして、笑い声を響かせていた。夕暮れの光に照らされたその姿は、同じ高校生とは思えないほど自由で、危うさを孕んでいた。

 彼らを避けようと歩を速めたとき、ふと鋭い視線を感じる。顔を上げると、一人の男子がにやりと笑いながらこちらを見ていた。

「よう、秋ノ宮じゃん。いつもカチカチの優等生がこんな時間に一人かよ?」

 軽い口調に足を止める。思わず眉を寄せるが、返す言葉を探せない。

「何か用?」

「いや、別に。ただ、真面目そうな奴が一人でいるから声かけてやっただけだよ」

 男子はポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめる。その隣で女子が小さく笑った。

「ねえ、この子が秋ノ宮咲菊? お父さんが心臓外科医って有名な子でしょ?」

「ああ、そうらしいな。で、お前、父さんが過保護だって話、ほんと?」

 男子の挑発に、胸の奥に小さな苛立ちが芽生える。だが同時に、その自由奔放な空気に妙な眩しさも感じていた。

 無言で彼らを避けて歩き出すと、男子が一歩前に出て立ちはだかる。

「いいじゃん、そんなカリカリしないで。せっかくだし、俺たちと遊んで行かね?」

「遊ぶ?」

「今日、新しいゲーセンがオープンしたんだ。いい気晴らしになるぜ!」

 にやつく顔。その声は甘くもあり、底知れぬ罠の匂いも漂わせていた。

「ゲーセンなんか興味ないから」

 言い捨てようとしたが、その拒絶がかえって彼らを煽る。

「やっぱりお嬢様は、父さんが怖くて自由に遊びにも行けねえんだな?」

 その言葉に足が止まる。背中に冷たい何かが走り、胸の奥で反発心が膨れ上がる。

「お嬢様はパパに褒められることしか出来ないのよね?」

 隣の女子が畳みかける。

 わたしは彼女を睨みつけ、気づけば声が漏れていた。

「……別に、行けない理由なんてないけど」

 その言葉に、自分自身が一瞬驚く。

「おっ、話が分かるじゃん、咲菊ちゃん」

 男子が薄笑いを浮かべ、手でわたしを促した。

 夕焼けはさらに赤く染まり、校舎の影は地面を深く侵食していく。わたしの心の奥で、知らず知らずのうちに、日常から一歩踏み外す音がした。


【予告】


「夕暮れの影が、咲菊を日常から引き離していく。

 彼女の心に芽生えた小さな反発は、やがて夜の光に導かれ、知らぬ間に新たな扉を開こうとしていた。

 次回――咲菊は初めて“夜の街”に足を踏み入れる。」


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