鼓動の絆 NexaPulse
ジュニ佳
プロローグ 最後の懺悔
「お父さん、ごめんなさい。わたしを許して……」
自分の鼓動の音と、悔やみの言葉だけが、消えゆく記憶の中で虚しく漂っていた。
暗闇の中、思いが冷たい空気に滲み、凍りつくように重たく沈んでいく。耳鳴りだけが残り、世界は静まり返っている。痛みはもう感じない。体の感覚すら失われ、ただこの喪失感だけが、凍った心の奥で鈍く反響していた。
薄れる意識の縁で、父の顔がぼんやりと浮かぶ。
いつも穏やかな声。大きくて温かな手。蛍光灯の下でも柔らかかった眼差し。あの頃は、それがどれほど大切なものか分からなかった。ただの「当たり前」だと思っていた。
――なのに、わたしは。
若くて未熟で、理由もなく反抗してばかり。父を困らせ、怒らせることに必死だった。
思い出す。
湯気の立つ味噌汁の匂い、食卓に広がる温かな夕食。
「咲菊、この前の成績表だけど、少し気にしてるか?」
父の声は静かで優しかった。
なのに、わたしは箸を荒々しく置き、ぶっきらぼうに答えた。
「別に気にしてない」
その瞬間、父の顔に走った一瞬の影――胸を刺すような後悔が、今になって何度も甦る。
それでも父は諦めなかった。
夕食後、こっそり冷蔵庫にプリンを入れてくれた。部活の話題を無理に探して、わたしの顔をのぞき込んでくれた。
わたしはそれを冷たく切り捨てた。
「お父さんには分かんない」「放っておいて」
顕微鏡の下に置かれた標本のように、父の視線がわたしを射抜いていた。それがどれほどの愛だったのか、今になって分かる。
――気づくのが、遅すぎた。
記憶の奥底から、父の言葉が蘇る。
「咲菊、何かあれば何でも言うんだよ。どんなに困っても、どんなに苦しくても、お父さんが必ず何とかするから」
胸がひゅっと冷え、心臓の鼓動だけが耳の奥で轟く。
その約束を、わたしは何度裏切っただろう。
「お父さんに、もう一度会いたい。もう一度だけでいいから……」
声にならない叫びが心を裂く。
父の笑顔を思い出すたびに胸が締め付けられ、失った体が痛むような錯覚に沈む。
暗闇の中で、時間の感覚がねじれていく。
幼い日の父の笑顔と、昨日の厳しい言葉が同時に重なり、過去と現在の境界線が溶けていく。
最後に浮かんだのは、あの温かな笑顔だった。
それがまた闇に呑まれ、静寂が訪れる。
――わたしはすべてをなくした。
ただ一つ、冷たい暗闇の中で、不規則に鳴り響く心臓の鼓動だけを残して。
【予告】
《鼓動の絆》は、最初の10日間は毎日更新、その後は週2回の更新を予定しています。
次回からはいよいよ第一章。
十七歳の咲菊と父との衝突、そして日常から非日常へと転落していく物語が始まります。
彼女を待ち受けるのは、怒りと恐怖にまみれた「運命の扉」。
ぜひ、続きも覗いていただければ嬉しいです。
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