金と出世が全てだった俺が助けた翼の少女は、王国に利用される無力な聖女様だったはずが、伝説の魔鳥ハルピュイアに覚醒しました。

@tama_kawasaki

第1話

 カネと、地位。 結局、この世はそれだけが全てだ。

 俺、アルド・シュヴァルツは、降り注ぐ火矢を盾でいなしながら、戦場のど真ん中でそんな陳腐な真理を噛み締めていた。


「――破城槌、あと一撃で仕留めろ! 第ニ分隊はこれ以上前に出るな、盾で壁を作って破城槌を守れ! 損失は最小限、戦果は最大限だ! 分かってるな!」


 俺の怒声に、部下たちが「はっ!」と応える。

 王国騎士団第三隊、隊長。それが今の俺の肩書だ。

 もっとも、この「シュヴァルツ」なんていう貴族様らしい苗字は、俺がスラムの泥水を啜って稼いだ金で、没落貴族から買い取ったものでしかない。


 鼻腔を刺す、鉄と革の焦げた臭い。そして血の匂い。

 それらが渦を巻き、戦場特有の悪臭となってまとわりつく。

 目の前では、王国辺境にはびこる邪教集団「赤き月の教団」の最後の砦が、頑強にその口を閉ざしている。

 上層部の連中は「邪教を滅ぼし、民に平穏を」なんて綺麗事を抜かしていたが、俺に言わせればどうでもいい話だ。

 重要なのは、この砦を落とせば、俺の経歴にまた一つデカい金星がつき、次の出世への最短切符が手に入るという事実だけ。


 ゴォォン! と腹の底に響く音と共に、破城槌が城門に深々とめり込む。


「いいぞ、そのまま押し込め!」

「ですか隊長! 上から煮え湯が!」


 野太い声で叫んだのは、副官のハンスだ。

 煤で汚れた無精髭の顔に、歴戦の古強者の風格を漂わせている。

 年は俺より一回り上だが、忠義に厚い頼れる男だ。


 見上げれば、砦の壁の上から巨大な鍋が傾き、どろりとした熱油が陽光を浴びて輝いていた。

 

「ちっ、面倒なことを! 散開! 盾を構えろ、頭上を死守しろ!」 


 俺の檄に、部下たちが慌てて大盾を掲げる。

 ジュウゥッという肉を焼く嫌な音と、数人の呻き声。

 クソッ……何人かやられたか。

 だが、ここまできて引くわけにはいかない。


「破城槌、もう一度だ!」


 油を浴び、煙を立ち昇らせながら破城槌はもう一度城門に突き刺さる。


 ズドォォン! と地響きをたてながら、城門の扉が崩れ落ちた。

「突入! 敵の首魁の首には特別報奨金が出ると上層部から言質を取ってある! 欲しい奴は俺に続け!」


 金の話をすれば、こいつらの目の色が変わる。

 正義感なんてもろいものより、よほど頼りになる動機だ。

 砦の内部になだれ込むと、邪教徒たちが四方から押し寄せる。


「赤き月に栄光を!!!」


 錆びた剣や斧を手に襲いかかってくる連中の目は、完全にイッちまっている。痛みも恐怖もない狂人の目だ。

 損得勘定ができない奴らほど、扱いにくいものはない。


「なまくらが!」


 振り下ろされた斧を弾き、がら空きの胴を薙ぐ。

 返り血が頬を濡らすが、構っていられない。


「右翼は今の戦力で十分だ! 残りは左翼に回せ! 挟み撃ちにして一気に片付けるぞ!」


 俺の指揮の下、第三隊は波のように砦を制圧してゆく。


「隊長、砦の右翼は制圧!」

「左翼もまもなく制圧できます! 残るは奥のみです!」


 部下の頼もしい声が響く。



「よし、中央通路を突破する! 首魁の首を取れ!」


 砦内部は迷路のように入り組んでいた。

 血で書き殴られた意味不明の文字、転がる死体。

 それらを踏み越え、砦の心臓部へ進む。


 やがて、一番奥に、ひときわ大きな両開きの扉が現れた。

 剥げ落ちた装飾、破損した壁。かつては荘厳な礼拝堂だったのだろう。


「この奥に違いない。全員、気を引き締めろ」


 扉に手をかけた、その瞬間――

 内側から、ゆっくりと開いた。


 現れたのは、豪奢なローブをまとう老人。

 その手には、禍々しい光を放つ儀式用の短剣が握られていた。


「神の地を汚す不敬者め……赤き月の裁きを受けよ!」



 その背後から、残りの信者たちが一斉に飛び出してくる。


「ハンス! ここは任せた!」


 乱戦が始まった。

 俺は老人――敵の首魁へと一直線に駆ける。


「終わりだ」


 信者の壁を突破し、老人の眼前に肉薄。

 ひび割れた唇が呪文を紡ぎ、短剣が振り上げられる――が、遅い。

 俺の剣閃が流星のように煌めき、老人の腕を裂いた。


「ぐっ……!」


 短剣が床に落ち、乾いた音を立てる。

 勝負は決した。剣の切っ先を喉元に突きつける。


「終わりだ、じいさん。投降し、改宗しろ。そうすりゃあ、命までは取られんだろう」

「……ふ、ふふ。我らが赤き月は、既にお姿を現された……我らの祈りは、通じたのだ……」 


 老人は恍惚とした表情で笑うと、自ら俺の剣に喉を押し当ててきた。


「なっ――!?」


 手応えと温かい血が腕を伝う。

 老人は満足げに笑みを浮かべたまま崩れ落ちた。

 残るのは、不気味な静寂。


「ちっ……戦闘終了だ。負傷者を手当しろ。死者はいないだろうな?」


 俺は忌々しげに剣の血を振り払い、礼拝堂の奥へと足を踏み入れた。

 中は酷い有様だった。祭壇は血で汚れ、壁の彫刻は破壊されている。

 床には黒衣の死体が折り重なり、手には儀式用の短剣。


 ――集団自決か。


 血と、腐敗しかけた香料の甘い匂いが鼻を突く。


 その時、俺の耳が微かな音を捉えた。

 祭壇の奥から聞こえる、鎖が擦れるような金属音。

 まだ生き残りがいるのか? それとも、捕らえられていた村人か?

 俺は剣を構え直し、慎重に祭壇の裏手へと回り込んだ。

 そして、俺は息を呑んだ。

 そこには一人の少女が、壁に打ち付けられた枷に両手を繋がれ、ぐったりと座り込んでいた。 

 年のころは15、6歳だろうか。ボロボロの貫頭衣、汚れた銀色の長い髪。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 問題は、彼女の背中から生えていたものだ。


 ――翼。


 背中から生えた、傷だらけの白い翼。

 俺の脳が、高速で回転を始める。

 翼を持つ少女。これは神の使いか、それとも魔物か。

 どちらでも構わない。これは、とんでもない「お宝」だ。

 国王に献上すれば? いや、欲深い教会に売りつけた方が高くつくか?

  どちらにせよ、莫大な金と、今以上の地位が手に入ることは間違いない。

 近衛騎士団の幹部の椅子だって夢じゃない。


 俺の欲望に満ちた視線に気づいたのか、少女がゆっくりと顔を上げた。

 怯えと、諦めが混じり合った、美しい紫色の瞳。

 その瞳を見た瞬間、俺の頭の中から、カネと地位の計算が、すうっと消えていった。

 

 ――ああ、そうか。お前もか。


 脳裏に、遠い日の光景が蘇る。

 貧困街の、埃っぽい裏路地。

 高い熱に浮かされ、ぜいぜいと苦しげな息を吐いていた、たった一人の妹。

 スラムの子だというだけで、どの病院も門前払いだった。

 俺は、必死で稼いだ有り金全てを医者の足元に叩きつけたが、奴は汚いものでも見るかのように、俺たちを追い出した。

 俺の腕の中で、妹の体は、どんどん冷たくなっていった。

 あの時の、俺を見つめていた、諦めに満ちた瞳。

 目の前の少女の瞳と、寸分違わず同じだった。


「……ちっ」


 俺は、無意識に舌打ちしていた。

 こいつは、俺を成り上がらせてくれる「金のなる木」のはずだ。

 なのに、どうして。

 この震える肩を、抱きしめてやりたいなどと、思ってしまっているんだ。

 優しさなんて、とっくの昔にスラムに捨ててきたはずの感情が、胸の奥で燻り始める。


 俺はゆっくりと剣を鞘に納め、一歩、また一歩と彼女に近づく。

 少女の紫色の瞳が、警戒に揺れた。


「……おい。名前は。お前は何者だ」


 俺はできるだけ、ぶっきらぼうに尋ねた。

 俺はこいつに同情なんてしない。

 これはあくまで、商品価値を確かめるための質問だ。

 少女は、何も答えない。ただ、怯えたように体を縮こまらせるだけだ。

 俺は、大きくため息をつくと、彼女を縛り付けている枷に手をかけた。


「……まあ、いい。とりあえず、こんな薄汚え場所からは出してやる。安心しろ、傷つけやしない。お前は高く売れるからな」


 俺は自分に言い聞かせるように、そう呟いた。

 そうだ、これは投資だ。こいつを綺麗にして、体力を回復させれば、商品価値はさらに上がる。

 枷を力任せに引きちぎると、少女の軽い体が、ぐらりと俺の方へ倒れ込んできた。

 俺は、咄嗟にその体を抱きとめる。


 ――温かい。


 昔、妹を抱きしめた時と、同じ温かさだった。

 クソッたれ。 どうやら俺は、とんでもなく価値があって、とんでもなく面倒くさい代物を、拾ってしまったらしい。

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