第55話 馬鹿
神戸さんの突き放すような、いや、そもそも俺の想いと相いれない感情を持っている彼女の言葉が俺に刺さる。
こちらの立場を汲まない彼女の言葉を聞いたからこそ、よりはっきりとわかる。
俺に、薫の傍にいる資格はない。
そう思いはしたけれど、同時に、そこで終わるのは違うとも感じた。
だって、それじゃあまた俺の独りよがりだ。
薫の前から逃げ出したときと同じことを繰り返すだけ。
一人で悩んで、一人で結論を出す。
それこそ、神戸さんの言う、感情オナニーでしかない。
そこに、薫はいない。
たしかにあいつの傍にいる資格はない。
けど、このまま薫の前からいなくなり、楽になるのは俺だけだ。
俺のことを忘れてくれるならそれでいい。
けれど、あいつがそういう奴じゃないってことは、俺が一番よくわかっている。
きっと、俺の不在を嘆き、傍にいない理由を考えて苦しみ続けるはず。
だからこそ、このままじゃ駄目だ。
「俺、薫に会いに行こうと思います」
「んん? どうして? 私の話聞いてた?」
神戸さんは目を細め、首を傾げる。
「はい。それでも、いえ、そうだからこそ、会いに行くべきだと思いました。あいつが俺のしたことを聞いて、俺の想いを知って、その上で出してくれた結論とこそ、向き合うことが必要なんだってわかりました。俺と薫の関係のことなのに、俺だけの感情で終わってしまうのは、きっと間違ってます」
「はっきりと拒絶されるかもしれないんだよ? 薫君も君も傷つくかもしれないんだよ? それでいいの? もしこのまま相手の意見を聞かなければ、もしかしたらそのうちずるずると関係を修復できるかもしれないんだよ?」
「もちろん、薫に本当のことを話すのは怖いです。あいつを傷つけることも。それでも、もしあいつが俺を恨むのであれば、まっすぐに恨んでほしい。もし嫌うのであれば、まっすぐに嫌ってほしい。俺に向けるべき感情を、自分の中に閉じ込めて苦しんでほしくない。俺を嫌う権利も、好きでいる権利も、持っているのは薫です。俺はその選択肢をあいつから奪うことはしたくありません。しちゃ駄目なんだと、今わかりました」
俺は自身の臆病さを蹴散らすように首を振る。
「神戸さん、ありがとうございます」
そして、頭を下げる。
深く、下げる。
頭上でふう、という大きなため息が聞こえてきた。
「ま、正直好きにすればいいと思う。君の抱えてきたものだって、十二分に苦しいものだと思う。でも、薫君の抱えていることを、その苦しみの発露にするべきじゃないのはたしか。けど、だからと言って何も言わずに、聞かずに消えるのはそれこそ感情オナニーでしかない。私はね、感情オナニーが一番嫌い。だって、そこには自分しかいないもの。ごめんね、試すような言い方をして。でも、君の決断は尊重するよ。私は性別流転症候群にはなったけど、君の友人じゃないからね」
そう言って、神戸さんは笑いながら二杯目のコーヒーを注いでくれた。
シロップとミルクを入れずに飲んだアイスコーヒーは、なぜか先ほどよりも苦みが少なく感じた。
「そうだったんだ」
僕と瑠々は力が抜け、地面にへたり込む。
「誰なのかは知らないけど、誠がそう思ってくれたのならよかった。僕はもう会えないんじゃないかと不安で心配で……」
「ほんとにすまん」
誠は僕の前で両の膝をついた。
「薫、聞いてほしいことがある。これから俺が話すことは、お前を傷つけるかもしれない。それでも、聞いてほしいことがある」
誠は僕をまっすぐに見つめる。
久しぶりに合う視線。
誠の瞳に映るのは僕。
きっと、僕の瞳に映るのは誠。
そんな誠の瞳の中にいる僕は、彼の決意に促されるように小さく頷いた。
「俺は、薫が好きなんだ」
「……それは、女の子の僕をってこと?」
「いや、男だった頃から薫が好きだった」
そこから、誠は自身のことを話してくれた。
ぐっと、逃げ出さないように両膝を掴みながら。
僕を好きになった時のこと。
僕にどんな想いを抱えながら接してきたのか。
僕が女の子になった後の想いを。
そして、最後に大きく息を吸い込んで。
強く目を閉じた。
「俺は、薫が女の子になったことを利用したんだ。お前が苦しんでいることはわかっていたのに、利用したんだ。自分の気持ちを隠し通すために。好きでいる以上に、嫌われることが怖くて。気持ちを隠してでも傍にいたくて。でも、駄目だった。結局、利用するだけ利用して、逃げ出した。本当にすまん」
見たことがないほど、弱弱しい誠の顔。
いつも大きく見えた体が、少しだけ小さく見えた。
そんな彼の告白を聞いて、いろんな感情が一瞬のうちに渦巻いた。
言語化できないそれは、体と脳と心を駆け回る。
でも、口から出てきた言葉はすごくシンプルだった。
「馬鹿だよ」
僕は誠の肩を叩く。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 誠の馬鹿!」
僕の視界は一気にぼやけていく。
「僕がいつ誠のこと、嫌いになるって言ったよ」
「すまん」
「僕がいつ誠のこと、知りたくないって言ったよ」
「すまん」
「僕が……僕がいつ……いつ、誠にそばを離れてほしいって言ったよ」
「すまん……すまん……」
僕の口から漏れてくるのは誠への想い。
誠が僕のことを好き。
これ以上に嬉しいことはない。
その想いが誠の中で、自身の性別によって邪魔されていたのだとしても、それを乗り越えて届けてくれた好きが嫌なわけがない。
だって、誠はずっと誠だったから。
どんな時も僕のことを見ていてくれた彼だから。
どんな形でも、誠の想いを受け止められたことが嬉しい。
嬉しくて仕方ない。
「誠、ありがとう。僕も誠のことが大好きだよ」
「薫、俺も好きだ。ずっと好きだった。言えなくてごめん。逃げ出してごめん。突き放してごめん。何より、酷いことをしてしまってごめん」
誠の声は震えていた。
僕はその震えの奥にある、彼の心を撫でるように声を届ける。
「ううん。誠は悪くない。何も悪くない。ありがとう。誠がいたから僕は僕でいれた。救われたんだ。だから誠、これからもそばにいてほしい。一緒にいてほしい。一緒にいよう」
「私も人のこと言えないけど、誠も不器用すぎ」
瑠々が立ち上がり、僕と誠に飛びついてきた。
「ほんと、心配させないでよ」
見ると、瑠々の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
「瑠々、泣きすぎ」
「薫君だって」
「全員泣いてんじゃねえか」
僕らは泣き続けた。
ただただ、これまでの洗い流すかのように僕らは泣き続けたのだった。
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