第五話 水面下の抗争 (3)
「なんですって?」
真田からの衝撃的な報告に秀彰は思わず聞き返す。聖痕民団という単語に聞き覚えはないが、政府直属の特務執行機関である特行の痕印者を殺害し得るだけでも相当危険な組織だと想像がつく。
「前に宿直室で話した通り、林の婆さんが殺された一件は他の類似事件と併せて、痕印者による連続怪死事件として特行が捜査しているの。今回犠牲となった職員はまさにその事件の担当だったらしいわ」
「聖痕民団とは一体どういった組織なんですか?」
好奇心に急かされるまま秀彰が尋ねる。真田は一瞬だけ言葉を紡ぐのを躊躇したが、やがて一段と顔を険しくさせると包み隠さず情報を伝えた。
「ここ近年で急速に勢力を拡大してきた犯罪者集団よ。『聖痕』という名前の通り、中枢メンバーだけでなく末端構成員の中にも痕印者が数多く紛れている、言わば能力者達のテロ組織ね。特行も要警戒勢力として動向を注視していたのだけれど、まさかソイツらから仕掛けてくるとは」
「特行所属の痕印者が殺されたのは今回が初めてなんですか?」
その問いに、真田はすぐさま首を横に振った。
「いいえ、今までも公務遂行中の特行職員が殉職することは何度かあったわ。けれどそれは経験が浅い新人だったり、不足の状況での一対多数の戦闘だったり、要は油断や事故に近い事例が殆どだったの。けれど今回は違う――経験豊富な特行職員が入念に準備した上で、無惨にも殺された。公安組織の顔に泥を塗られたのよ」
静かに話を続ける真田だが、その表情は複雑だ。かつて所属していた組織の一員として敵を憎む気持ちがある一方で、今は離れた身である故に深入りは出来ずただ俯瞰して双方の組織を眺めるしかない憂いの気持ち、その両方がせめぎ合っているように秀彰には見て取れた。
「赤坂も知っての通り、痕印の力を手に入れた者が犯罪を犯すのは至極当たり前の流れなの。だって突然自分が世界の中心に居るかのように錯覚するくらいの凄い力が授けられたら、何だってするでしょう?」
「そう、ですね…」
秀彰の頭に浮かぶのは入学式の日にファーストフード店で暴れた自称痕印者のパーカー男。そしてもう一人、痕印が刻まれた数日後に校門前で無差別に能力を発動させようとした過去の自分だ。
「だけど何の前知識もない生まれたての痕印者が暴れたところで、出来ることと言えばたかが知れてる。大抵が単独犯による通り魔で、中には徒党を組んで組織的な犯罪を行う者らもいるけれど、それでも日頃から対痕印者向けの訓練や戦術を積んでいる特行にしてみれば敵と名指しするにも至らない存在よ」
「けど、その聖痕民潭という組織はあえて特行所属の痕印者を狙い、殺害に至ったと?」
わざわざ虎の尾を踏むような真似をする行為にどんな意味があるのか秀彰には想像が付かなかったが、どうやらそれは真田も同じ意見だったらしい。
「えぇ、どうやら特行も随分と舐められているみたいね。だからこれは前例のない事実上の宣戦布告になるわ。特行側としても今までみたく生温い捜査なんかじゃなく、公安組織としての威信を懸けて全力で対策に乗り出すでしょう」
勇壮な口調とは正反対に、真田の眼差しはどことなく寂しげに映る。
「だけど……出来ればこうなる前に捕まえたかったな」
真田は噴水の水面に手を伸ばし、ちゃぽんと手の平を浸けた。波紋に揺れる水鏡には、彼女の誤魔化し笑いのような顔が映る。秀彰は無言のまま、訓練室内の無機質な環境音を聞いていた。
敵対勢力と表立って抗争が始まれば、彼女の復讐は有耶無耶になるだろう。誰かが仇を取るかもしれないし、闇に紛れて生き延びるかもしれない。どちらにせよ、退役した部外者がコソコソと動き回れる機会はもう訪れないのだ。弾んだ水滴に映る彼女の瞳は、執着と付託との狭間で儚く揺れている。
暫しの沈黙の後、噴水の水しぶきに前髪を濡らされた真田が、苦笑しながら口を開いた。
「さ、帰るわよ赤坂ぁ。あんまり長居してると不法侵入罪で捕まっちゃうかもしれないし」
「さっき電話で『許可貰ってる』って言ってませんでしたっけ?」
「あー、ありゃただの方便よ。知り合いの名前出して時間稼ぎしたかっただけ」
真田は右手をヒラヒラと揺らし、冗談めかして否定する。どうやらいつもの調子に戻ったようだ。秀彰も今回ばかりは溜め息を吐かず、事情多き師に生暖かい視線を送った。
「それじゃ特訓も今日までって事ですかね」
「なーに言ってんのさ。勿論明日もやるわよ」
砂埃で汚れたレンズを拭きつつ、真田がジト目で秀彰を見る。眼鏡越しでも十分ツリ目だが、取るとさらに目付きが悪くなるようだ。数字の3みたいな形になれば可愛げも上がって面白いのにと、秀彰は心のなかで呟く。
「アンタを一人前の痕印者として指導するのが条件だったでしょ。多少事情が変わったからって契約不履行にはしないわよ。あ、それともなにさ、昨日の今日でアタシに嫌気が差したとか?」
「いえ、そういう事では無いですけど……」
「ふん、だったら明日も同じ時間に学校の前まで来なさい。まだまだ教えることは山ほどあるんだから、覚悟しておいて」
真田はそう言うと眼鏡をかけ直し、ややムスッとした顔で秀彰の方へと近付いてくる。さり気なく痕印の気配漂う右手を突き出して威嚇しているのが恐ろしい。
「真田センセは、特行に戻る気は無いんですか?」
「無いよ。あったとしてもそう簡単に戻れる場所じゃないから」
真田はきっぱりと、振り切れた顔で即答する。
「今アタシが必要とされているのは特行じゃなくて学校だからさ。教員として働ける限りは働きたいの。若人たちの青春模様を間近で見るのだって、楽しいものよ」
「青春、ですか」
急に青春という難解なワードを出されて、秀彰は少し困惑した。教え子の眉がひそまるのも意に介さず、真田は自分を語り続ける。
「アタシも学生時代は何の枷も無く、好き勝手に遊んでいたんだけどね。気が付けば大人になって、自由の利かない立場になってさ。赤坂達が青春してるのを見てると羨ましいなーって、つい思っちゃうのよ」
「はぁ」
「あっ、今『コイツ面倒な事言ってるな』って顔したな?」
「違いますよ。そうじゃなくて……分からないんです」
秀彰の答えを聞いて、今度は真田の表情に困惑の色が浮かんだ。考えが理解されないことは秀彰も分かっていたが、それでも言葉を止めることは出来なかった。
「部活にしても勉強にしても将来の夢にしても、そこに割くべき熱意が俺には全然湧いてこない。放課後の校庭で汗を流す姿を見ても、何だか遠い世界の事にしか思えないんです。一つの事に夢中になって全力を注ぐってのが青春なら――俺に青春という季節は来なさそうです」
秀彰は柄にもなくベラベラと、思ったことをそのまま口にしてしまう。すると真田は目を丸くしたのち、ゲラゲラと大口を開けて笑い始めた。
「は、あははっ、赤坂ってさ、たまに馬鹿なフシが出るよねぇ。真面目系馬鹿ってヤツ? く、くふふ……ダメだ、教え子が真面目な話をしてるのに、笑いを堪えられないなんて教員失格だ、で、でも…ひ、ひひっ、オカシイよぉ…っ」
「……あぁくそ、やっぱり喋るんじゃなかった」
秀彰は鬱陶しげに目を伏せ、後悔の念を吐く。自分でもおかしな事を話している実感はあったが、ここまで笑い転げられると屈辱的だ。せめて一つくらい言い返そうと顔を上げた瞬間、真田の携帯端末が正午を知らせた。
「って、ああぁ、もうこんな時間じゃない! 土曜のランチは駅前の生パスタ屋でって決めてるのよ! そんなワケで赤坂ぁ、また明日も特訓に励みましょう。って事で、あでゅー!」
「え……ちょ、ちょっと真田センセっ!」
言うが早いか、真田は訓練室の地面を蹴り上げながら入り口目掛けて疾走していく。行きの山麓行路を踏破した時と同様、その足取りは野生じみて早い。
「ほらほらー、閉じ込められたくなかったらアタシに追いついてみなさいなー」
「じ、自分勝手なコトばっか言いやがって……!」
秀彰は奥歯をギリギリと噛み締めながら、真田の後ろ姿を追いかける。あれだけ疲弊していた体力がいつの間にやら元通りに戻っていた事に、その時の秀彰は不思議と違和感を覚えなかった。
それから一週間が経過した。聖痕民団による特行所属の痕印者殺害事件が発覚したことを皮切りに、半ば抜き打ち的な形で警察庁推進による暴力排斥運動が実施され、町中では治安維持を目的とする警察官の姿が多く見受けられるようになった。
幾つかの暴力団では運悪く取引現場を押さえられた売人や小競り合いを起こした小悪人が逮捕され、平和な街づくりを望む市民からは概ね賛同する声が多数寄せられた。
この機に乗じる形で――無論、組織の上層部からしてみれば計画通りだが――特行も動き出す。本部から各地へ実力者たるメンバーが派遣され、聖痕民団の動向に目を光らせていた。
だが上層部の目録は外れる。事件発生以後、聖痕民団に表立った行動は無かった。過去に報告された拠点アジトへの強襲も試みたが『もぬけの殻』状態となっており、捕縛出来たのは聖痕民団とは名ばかりの末端構成員のみに留まった。組織運営に関わる幹部やその息のかかった部下達は皆、一様に鳴りを潜めていた。
不気味な沈黙が続く中、特行は計画の変更を余儀なくされる。手薄になった本部の防衛力を取り戻すため、一人、また一人と派遣したメンバーを回収し始めたのだ。
かくして、二大勢力の抗争舞台は水面下へと移行する――。
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