独身税を免れるために再会した学園1の美少女と0日婚したのだが、最近嫁の様子がおかしい【再編集】
田中又雄
第1話 始まり
リビングの柔らかな陽光が、床に散らばったおもちゃの上に優しく差し込んでいる。
娘の小さな手が、俺の膝に絡みつきながら、積み木を積み上げる様子を眺めていると、時間は穏やかに流れる。
無邪気な笑顔が、心を溶かすように温かい。あの頃の俺には、想像もつかなかった光景だ。家族のぬくもり、日常のささやかな幸福。
すべてが、遠い夢のように感じる。
「あ、ママ帰ってきたー!」
玄関のドアが開く音に、娘が飛び上がるように立ち上がり、駆け寄る。
俺はソファから身を起こし、微笑みながらその様子を見守る。
妻が帰宅したのだ。
彼女は仕事着のまま、疲れた表情を浮かべつつも、娘を抱き上げて優しく撫でる。
その仕草を見るだけで、胸の奥が熱くなる。彼女の存在が、俺の人生をどれほど変えたかを実感する瞬間だ。
「ただいま。いい子にしてた?」
「うん!いい子にしてた!」
娘の返事に、妻は満足げに頷き、それから俺のほうへ視線を移す。
彼女の目には、いつもの柔らかな光が宿っている。
ゆっくりと近づいてきて、俺の頭に手を置き、優しく撫でる。
その指先の感触は、くすぐったいのに、心地よくて離れたくない。
「……俺の頭を撫でるな」
俺は思わず苦笑するが、心の中では喜びが湧き上がる。
彼女のこの仕草は、俺たちだけの親密な合図だ。
昔の彼女を知る俺にとって、これは奇跡のような変化だった。
合理的で、感情を表に出さない彼女が、こんなに自然に甘えてくるなんて。
「あら? 反抗期?」
彼女は楽しそうに笑い、目を細める。
その笑顔に、俺の心はさらに溶けていく。
荷物を置くと、彼女は俺の背後に回り込み、突然後ろから抱きついてくる。
彼女の体温が背中に伝わり、甘い香りが鼻をくすぐる。
あぁ、この瞬間が永遠に続けばいいのに……そんな切ない願いが、胸を締め付ける。
「あぁ……癒されるわ」
彼女の声は、甘く溶けるように響く。
俺はため息をつきながら、彼女の腕を軽く握り返す。
彼女の存在が、俺の孤独を埋めてくれた。
「それなら好き放題抱きつくといい」
「うん。そうする」
彼女はそう言って、俺の首筋に顔を埋め、匂いを吸い込むように深呼吸する。
まるで大切なペットを可愛がるように、頰を擦りつけてくる。
彼女の髪が俺の肩に落ち、柔らかな感触が心を落ち着かせる。
俺は目を閉じ、この幸福を噛み締める。
まさかあの彼女が、こんな風になるなんて……。
あの合理的で、真面目でお堅い彼女が、こんなに甘えん坊になるなんて、想像だにしていなかった。
すべては損得勘定から始まった関係だったのに、今ではかけがえのない家族になっている。
娘の笑い声が部屋に響く中、俺は静かに過去を思い浮かべる。
あの出会いから、すべてが変わったのだ。
心の奥底に残る傷跡が、ようやく薄れ始めた頃の記憶。
◇
「……はぁ……」
居酒屋のカウンターで、俺は深いため息をついた。
目の前のグラスに映る自分の顔は、疲れきったサラリーマンのそれだ。
周囲の喧騒が、ぼんやりとした背景のように聞こえる。
心の中は、三年経った今も、あの痛みが渦巻いている。
失恋の傷は、時間だけでは癒えない。
毎晩、眠れぬ夜に彼女の顔が浮かぶ。
あの裏切りが、俺の信頼を粉々に砕いた。
「お前、まだ元カノのこと引きずってんのか? もう三年も経ってんだろ? 向こうは覚えちゃいねーよ」
会社の同僚である川島が、隣でビールを煽りながら、呆れた表情を浮かべる。
彼の言葉は、いつものようにストレートで、俺の胸を刺す。
だが、彼は悪気がない。
ただの友人としての心配らしい。
俺はグラスを傾け、苦いビールの味を噛み締める。
会社に入社して二年が経過していた。
元カノと別れたのは、大学三年生の頃。
あの出来事は、今でも胸に棘のように刺さっている。
高校一年生の時に付き合い始めた彼女は、俺にとって初恋の相手だった。
約五年間、連れ添った関係は円満だと思っていた。
将来は結婚さえ、ぼんやりと頭に浮かべていたある日……彼女が俺の友達と浮気している現場を、偶然目撃してしまった。
がっつりセックスしている瞬間を、だ。
あの光景は、鮮明に脳裏に焼きついている。
ドアを開けた瞬間の空気の重さ、彼女の驚いた顔、友達の慌てた様子……すべてが、吐き気を催すほど生々しかった。
心が引き裂かれるような痛み。
信頼していた二人が、俺を裏切った。
あれ以来、恋愛からは距離を置いていた。
社会人二年目で、少し仕事に慣れてきた今でも、心のどこかで傷が癒えていない。
誰も信じられなくなった俺は、孤独を好むようになっていた。
「俺にとって初恋の相手で……特別な子なんだよ」
俺は小さく呟く。
声が震えるのを抑えられない。
川島は肩をすくめ、ピーナッツを口に放り込む。
「でも、友達にNTRされたんだろ?」
「……まぁな」
その言葉に、胸がざわつく。
NTR——寝取られ。軽く言われるが、俺にとっては地獄だった。
友情と愛情の両方を失った喪失感が、今も俺を蝕む。
「いつかはそうなってたって話だろーよ。下手したらその浮気野郎と結婚してたり?」
「笑えねー冗談だな」
俺は苦笑し、グラスを叩きつけるように置く。
居酒屋の照明がぼんやりと揺れ、周りのサラリーマンたちの笑い声が遠く聞こえる。
あの二人が今、幸せに暮らしているのかと思うと、嫉妬と怒りが込み上げる。
川島はスマホを弄りながら、話題を変える。
「てか、独身税が上がるらしいじゃん。色々と独り身だと大変だと思うがな。そう言うことも踏まえてお前も本気で考えたら?」
「……彼女もいねーのに結婚とか……」
心が拒否反応を示す。
結婚なんて、俺には遠い言葉だ。
裏切りを恐れて、誰も近づけなくなったのに。
「ちげーよ。ほら、これ」
川島はスマホの画面を俺に見せてくる。酔いで少し揺れる画面には、ネット掲示板のスレッドが表示されていた。
「結婚相手募集スレ」と書かれている。
「……なんだこれ」
「偽装結婚スレ」
「……は?」
「だから、形式上結婚していることにするってやつ。独身税がなくなるのに加えて、政府からいろんな補助金が出る上に、有給とは別に夫婦の日として休めたりするんだぞ? 今の時代は結婚しないとバカを見る時代なんだよ」
川島はドヤ顔で説明する。
俺は画面を凝視する。
政府の政策変更で、独身税が大幅に引き上げられ、結婚すれば補助金が出るようになった結果、そんな「利便性結婚」が流行り始めていたらしい。
経済的なメリットは確かに大きい。
月々の税負担が減り、プラスで収入が増えるなら、差し引きでかなりの差が出る。
心のどこかで、興味が湧く。
孤独な生活を、金銭的に楽にする手段として。
「……バレたらやばいだろ?」
「バレねーよ。基本的に生活の報告をちょこちょこしたり、たまに見にきたりするのをうまくくぐれれば、月マイナス二万からプラス五万……差し引き七万も差が出るんだぞ?」
彼の言葉に、内心で動揺する。
無駄な支出を抑えたいという思いは、俺にもあった。
だが、偽装結婚などというリスクを背負うのは、躊躇われる。
それでも、川島の熱弁に押され、その日はそのまま解散となった。
外の夜風が冷たく、酔いを醒ますように頰を撫でる中、俺はぼんやりとあのスレッドのことを考えていた。
もしかしたら、これが俺の人生を変えるきっかけになるかもしれない。
そんな淡い期待と、不安が混じり合う。
◇
翌日は休みだった。少し二日酔いの頭痛を抱えながら、ベッドから起き上がり、コーヒーを淹れる。
窓から差し込む朝陽が、部屋を明るく照らす。昨日の会話が、ふと思い浮かぶ。
あのスレッドのことが、気になって仕方ない。
軽い気持ちでパソコンを開き、掲示板を検索してみた。
すると、結婚募集スレは意外と乱立しており、都道府県ごとに細かく分かれていることがわかった。
成功事例のスレッドを読むと、実際に税金対策として結婚し、別居しながら補助金を受け取っている人たちの体験談が並ぶ。
一方、失敗例もあった。
結婚詐欺に遭い、金を騙し取られたケースや、相手の素性が怪しくてトラブルになった話。
警戒心を強めつつ、情報を集めていくうちに、総合的に見てメリットが大きいと判断した。
経済的な圧力は、社会人として無視できない。
独身税の増税は、生活をさらに苦しくするだろう。
心の傷を癒やす暇もなく、ただ生きるために金が必要だ。
しかし、相手選びは慎重にしなければならない。
詐欺のリスク、性格の相性、そして万一の離婚時のトラブル……さまざまな懸念が頭をよぎる。
それでも、お昼頃には決意した。
自分の簡単なプロフィール——年齢、職業、年収の概要——を偽名で投稿し、今日の昼から会える人を募集してみた。
「道頓堀3号」という適当なハンドルネームだ。
少し後悔しつつ、投稿ボタンを押す。俺の人生は、こんなところで変わるのか?
不安と期待が、胸をざわつかせる。
そんなタイミングで、川島から連絡が来た。
『掲示板やったかー?』
『今募集した』
『おー? なんてやつ?』
『道頓堀3号っていう偽名でやってる』
『やる気なさすぎだろ。ちょっと掲示板見てみるわ』
それから少しして、掲示板を更新すると、一人の人が反応していた。
『会いたいです。14時に駅前で良いですか?』
簡単なプロフィールとともに、そんなメッセージが届く。
彼女のプロフィールは、かなり盛られた経歴——一流企業勤務、容姿端麗、趣味は読書と旅行——が書かれていた。
警戒しつつ、サイト経由でSNSを交換し、軽いやり取りをする。
相手の文面は丁寧で、事務的。
詐欺の匂いは感じないが、油断はできない。
街に繰り出す準備を始めながら、心の中で呟く。
まさか、こんな出会いが人生を変えるなんて、この時は知る由もなかった。
だが、どこかで予感めいたものが、俺の心を掻き立てていた。
◇
こういう出会い系的な待ち合わせは、初めてだった。内心、心臓がバクバクと鳴り響く。
駅前は人ごみで溢れ、さまざまな人々が行き交う。
指定された場所に立ち、周囲をキョロキョロと見回すが、どれが相手かわからない。
スマホを握りしめ、メッセージを確認していると、突然電話がかかってきた。
「……はい」
「どんな格好をされてますか?」
相手の声は、落ち着いた女性のもの。
少し聞き覚えがあるような……。
心がざわつく。
まさか、そんなはずはない。
「……えっと……上は黒のジャケットで……」
言いかけたところで、少し先にいる女性が目に入る。
電話を耳に当て、キョロキョロしている彼女は、とんでもない美人だ。
長い黒髪が風に揺れ、洗練された服装が周囲を圧倒している。
面影がある……いや、間違いない。
俺は彼女を知っている。
高校時代、学園のマドンナと呼ばれていた、あの彼女だ。
あの頃の憧れが、突然現実として現れた。
胸が高鳴り、息が詰まる。
「……まさか……」
思わず声が漏れる。彼女と目が合うと、「見つけました」と言い、電話を切ってスタスタと歩いてくる。
彼女の足音が、駅前の喧騒の中で異様に響く。俺の心は、混乱と興奮でいっぱいだ。
なぜここに? なぜ今?
「……では、結婚しましょう」
彼女は開口一番、そう言ったのである。
彼女の瞳は、真剣で、一切の迷いがない。
俺は呆然と立ち尽くす。
あの高校時代の記憶が、フラッシュバックのように蘇る。
彼女はいつも遠くから見ていた存在。
話したこともほとんどなく、ただの憧れだったのに……。
この再会が、すべてのはじまりだった。
心の奥で、何かが動き始める予感がした。
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