ディメジャ!
歌川ホクロ
第1話 始業早々異次元デビュー!?
昼間だというのに、灰色の空は雨をこぼし続けていた。
季節は春。少しひんやりしてけれど過ごしやすい、そんな気温。
住宅街の細い道を、一人の小さな女の子が歩いていた。
赤い長靴をぎゅっぎゅっと鳴らしながら、透明なビニール傘をくるくる回す。
右腕には小さなビニール袋。中にはカサカサと音を立てて、いくつかのお菓子が揺れている。
「駄菓子屋さんにチョコキューブ売ってて良かった~!早くお家帰ってたーべよっ」
鼻歌まじりにご機嫌な声を弾ませながら、女の子は帰り道を進んだ。
やがて道沿いにある公園が見えてくる。
ふと、植え込みのボックスウッドの中に、雨粒とは違うまばゆい光がちらりと覗いた。
「ん?」
女の子は傘を抱えて駆け寄り、柵の外からしゃがみ込む。
ちいさな手を伸ばすと、草の間からキラリとした赤い石をつまみあげた。
それは自然の石とは思えないほど整った形をしていて、まるで宝石のようだった。
「なんだろこれ……すごいキレイ」
見惚れたまま呟き、胸の前で大事そうに掲げる。
「よしっ。キレイだから持ち帰っちゃお!これからは私の宝物!」
笑顔でそう宣言した瞬間だった。
ザッ、と濡れたアスファルトを踏みしめる音が、背後の道路から響いた。
女の子が顔を上げると、そこには奇妙な姿の人物が立っていた。
執事の服をまとい、しかし頭は真四角な、まるではんぺんのような白い塊。
その人物はびしりと指を差し、低い声で叫ぶ。
「――お前はリンゴだ!!」
「……はんぺん? な、何言ってんだあの人……」
苦笑しながら女の子は首をかしげる。
そして足元に落ちていた小さな手鏡を拾い、何気なく自分の顔を映した。
だが、そこにあったのは――自分の顔ではなかった。
鏡の中でニヤリと笑っていたのは、真っ白な顔に赤い口紅を引いた、不気味なピエロだった。
「――っ!」
びっくりして、女の子はハッと目を覚ました。
視界は教室の天井。
自分は授業中、椅子に座ったまま天井を向いて眠っていたのだ。
反射的に勢いよく頭を前に戻した、その瞬間。
「竹間さん、いつまで寝て――」
「ピエロ!!!!!!」
男性の声と叫び声が同時にぶつかり合う。
ゴツンッ!
前のめりに戻した女の子の額と、心配そうに机の右から覗き込んでいた男性の額が、見事に衝突した。
竹間の視線の先には、金髪を七三に分けた国語の先生――マイケル青田(おおだ)先生。
目は青くキラキラと輝き、鼻が高く、形の整った唇。
そばかすがちらりと見え、立派すぎるケツアゴに金のピアスが光る。
外国人のような背の高さとスラリとした体つきに、黒のベストにパンツ、ピンクのネクタイが映える。
先生はふらりとよろめく。
「あ、先生……お、おはようございます……」
女の子は気まずそうに、焦った顔で小声をこぼした。
教室中が一斉にざわつき、驚きの声が飛び交う。
口をぽかんと開け、呆然と立ち尽くす生徒。
両手で顔を覆い、笑いを堪えようと体をプルプル震わせている生徒。
「あはは、やばい……」
「先生、無事かな……」
クラス全体が騒然としながらも、緊張と笑いが混ざった奇妙な空気に包まれた。
けれどその直後、先生は頭突きの衝撃に耐えきれず、がくりとその場に倒れ込んでしまう。
クラス中がザワザワし始める。
「せ、先生!? 先生っ!!」
女の子は慌てて椅子を蹴飛ばし立ち上がると、机の横に崩れた先生の肩をゆさゆさと揺さぶった。
「先生ーーー!!!」
教室中が一斉にざわめく。
「やば……倒れたぞ!」
「竹間がやったの?」
「保健室行かなきゃ!」
誰かの声が飛び交い、クラスは一瞬にして大騒ぎになった。
竹間結良(たけまゆら)、高校二年生。
明るめの水色のボブは毛先がくるんと内側に丸まり、目線左上には大きなお団子。
お団子の根元には小さな三つ編みが巻き付けられている。
前髪は眉下でぱっつん、制服の紺色セーラーに紫リボン、白の長袖セーターを羽織り、ボタンは留めていない。
黄色い瞳が、夢の余韻に少し驚いたように輝いた。
そして人生で初めて、先生に頭突きをした。
放課後。
結良は職員室へと呼び出されていた。
マイケル先生は保健室で頭を冷やしたおかげで無事だったが、結良がきちんと謝りに行ったことは、担任の耳にも入っていた。
そして今、体育教師で黒髪短髪、いつもジャージ姿の威圧感あるおじさんの前で、結良はペコペコと頭を下げ続け、反省の念を示していた。
「……もう分かった、反省してるならいい」
ため息をつきながら、担任はようやく説教を終えた。
結良は肩の力を抜き、職員室を出る。
廊下に出ると、視線の先には二人のクラスメイト――
ひとりは結良の幼馴染であり、結良より5、6センチ背の高い緑髪のロングウルフ。
本人目線右側にかきあげた前髪が印象的で、紫の瞳は落ち着いた輝きを放つ。
通常のセーラー服に身を包み、手提げのカバンを左手で持ちながら、右手でスマホを操作し、壁にもたれかかっていた。
もうひとりは高校入学してから出会った、金髪のくせ毛短髪で、短めのアホ毛が一本ぴょんと立つ男子。
つり眉でタレ目の緑色の瞳、身長は高く筋肉質。
通常のスーツ制服を着ており、前のボタンは閉めず、シャツの第1ボタンは開けている。
二人は廊下で横並びに立って、まるで待ち構えていたかのように結良を見ていた。
廊下で立ち尽くす二人を見た結良の胸がぎゅっと熱くなった。
思わず目に涙がにじみ、抑えきれずに緑髪の女の子――松原芽亜(まつばらめいあ)に抱きつく。
「めーたぁぁぁん!待っててくれたんだ!」
小さな体をスリスリと擦り付けながら、結良は声を震わせる。
芽亜は軽く肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
「待っててって言ったのは結良でしょ……」
始業して早々、面白かったわとヘラヘラと笑いながら、芽亜は結良の抱きつきを自然に受け入れる。
あの頭突きの瞬間、両手で顔を覆って体を震わせて、笑いを堪えていたのは芽亜だった。
「おい、俺のことは無視かよ」
横に立つ金髪男子――梅田愛伍(うめだあいご)が、苦笑いしながら突っ込む。
「俺も待ってたんだけど?」
結良は芽亜に抱きついたまま、ニコニコと答える。
「うん、知ってる、ありがと!」
その様子を見て、愛伍の心中は複雑そうだ。
「ほら、早く帰るぞ」
愛伍が歩き始めると、芽亜もそれに続く。
結良は抱きついたまま歩き出すが、芽亜は少し困った顔で腕を振りほどこうとする。
「いい加減離れて」
「やだぁ、私を慰めてよぉ」
結良はしつこくくっつき、ぶら下がるように歩く。
芽亜は小さくため息をつきながら、階段を急ぎ足で降り始める。
「めそめそするといっつもこれなんだから」
一気に距離を取った芽亜を結良が「待ってぇぇ」と追いかける。
置いてかれそうになる愛伍は、呆れ混じりに独り言。
「俺ってそんな空気……?」
帰りの電車の中。
そこそこ空いていて、三人は並んで座る。
左から愛伍、芽亜、結良の順だ。
「なあ、結良。今日は授業中にどんな夢見てたんだ?」
愛伍が軽く笑いながら尋ねる。
授業中寝るのは結良の日常で、二人にとってはたまに話のネタになるのだ。
「なんか、変な夢だったんだよねー」
結良は制服の中に隠していた首のネックレスを取り出す。
夢の中で拾った、あの赤い石だ。
「最初はね、この石を拾ったときのことを思い出してたんだけど……急に、四角いはんぺん頭の執事みたいな人に『お前はリンゴだ!!』って言われて、うっそだ~って思いながら鏡見たらピエロがニヤッて笑ってて……って感じで、もうわけわかんない夢でさ!」
芽亜は想像できず、ただ棒読みで「へ、へー」と返す。
愛伍はなんとなく状況は頭に浮かんだものの、情報量が多すぎて返事はできなかった。
結良はニコニコと石を揺らしながら、「変でしょー?」と笑う。
愛伍は、結良が握る赤い石をじっと見つめながら微笑む。
「まぁ、その……夢に出てくるほど大事なもんなんだな、それ」
結良も嬉しそうに石を見つめて、「うん!」と答える。
芽亜も微笑みながら和やかに言った。
「ずーっと昔から持ってるものね」
愛伍は少し遠くを見つめるように言う。
「俺は高校入ってからお前らと出会ったから、それ以前の話はまだまだ分かんないな」
芽亜は肩をすくめ、笑みを浮かべる。
「昔からなんも変わってないわね」
結良は胸を張って反論する。
「変わったことあるよ!」
「え?」
「授業中、よく寝るようになった!」
結良は得意げに胸を張ってそう言った。
その瞬間、電車のアナウンスが車内に響く。
「次は葉苅駅(はがり)です。お出口は右側です」
芽亜が立ち上がりながら「降りなきゃ」と言う。
結良も愛伍もすぐに立ち上がり、三人はそれぞれの準備を整える。
改札を出て、三人は駅前へと歩み出す。
結良は左手で庇を作りながら、目の前の大きなオブジェを見上げて声を張る。
「今日も輝いてるね~!きゅうちゃん!」
目の前にあるのは、少し透明感のある巨大な球体。
軽自動車より少し大きいくらいで、土台に支えられ、まるで空に浮かんでいるかのようだ。
地元の人々の間では、いつからそこにあるのか正確には分からないと言われ、恐竜時代から存在しているのではないかという噂さえある。
素材も未だに謎で、どれだけ触れても傷1つつかないことから、誰でも自由に触れられるようにされている。
しかし毎日、アルコール消毒をしたり磨きをかけたりする用務員がいるという。
さらに、国の研究団体も関わっており、定期的に観察や実験が行われている。
安全管理やデータ収集のため、周囲には注意喚起の掲示があり、研究者たちが最新の技術で測定や分析を続けているのだ。
今日もそこそこの観光客が訪れており、他県から来た人や外国人の姿も見える。
噂では、定期的にオブジェを撫でると願いが叶うとも言われ、訪れた人々は慎重に手を伸ばして表面を撫でていた。
結良と芽亜にとって、このオブジェは子供の頃から見慣れた景色。
結良は勝手に「きゅうちゃん」と名付け、親しげに呼びかける。
芽亜がスマホを取り出して画面を二人に見せる。
「最近、あれが光ってるところを見たって人が増えてるらしいわね」
結良は目を輝かせて聞き返す。
「え、そうなの?」
芽亜はスマホを差し出してSNSに投稿されていた、オブジェがぼんやり光っている写真を見せる。
愛伍が眉をひそめながら画面を覗く。
「ほんとだ、なんで光ってんだ?」
芽亜は肩をすくめる。
「さぁ?これが本当の写真かどうかも分からないけど」
結良は大げさに想像して声を弾ませる。
「もしかして……UFOと通信してるとか!『ここはのどかで住みやすい街ですよー』って!」
芽亜と愛伍は顔を見合わせ、「ないない」と2人同時に首を振る。
そんな話をしていると、観光客の間から歓声が上がった。
「わぁぁ!」
三人がそちらを見ると、オブジェが黄色くぼんやりと光っている。
結良は思わず声をあげる。
「ひ、ひ、光ってる!!やばい、めーたん!愛伍!近くで見てみよ!」
そう言うと二人を引っ張り、オブジェの方へ駆け出した。
「お、おい、引っ張るなって!」
愛伍は急に引っ張られて転びそうになっていた。
観光客たちは迷信を信じているのか、光っていると願いが叶う効力が上がると思ったのか、次々とオブジェを撫でていく。
行列まででき、写真を撮ったり動画を回したりする人もいる。
結良は実際に近くで見ると眩しさに目を細めた。
「や、やばいよ……めっちゃ眩しい……なんで外国の観光客はWOW!ってヘラヘラしてんの!?」
彼女は周りの外国人観光客をチラチラと見回す。
芽亜は冷静に指摘する。
「WOWって言ってんの、サングラスかけた観光客だけよ」
そう言うと素早くサングラスを取り出してかける。
「あ、めーたんずるい!なんでサングラス持ってんの!?」
芽亜はにやりと笑い、軽く煽るように言う。
「日差しが眩しいと目に悪いからね」
その間、愛伍は両手で目を覆い、指と指の隙間からオブジェを覗き込んでいた。
結良は目をキラキラさせながら言った。
「私たちも撫でとく?願いごと叶うかも」
二人は地元民だから、いつでも撫でようと思えば撫でられる環境で育ってきた。
なのに、結良も芽亜も未だに撫でたことはなかった。
芽亜が肩をすくめる。
「まぁ、この機会逃したら撫でられないかもだしね。愛伍は撫でたことあるんだっけ?」
愛伍は過去のことを思い出しながら言う。
「あぁ、小学生の頃に一回あるけど、その時は願いなんてなかったからなぁ。親も撫でてたけど、願いが叶ったって話は聞いてないぞ」
彼は高校入学と同時にここに引っ越してきたが、以前小学生の頃に観光で来た際にオブジェを撫でたことがあるのだ。
結良はへらへら笑った。
「願いがない小学生なんて愛伍ぐらいだよ」
愛伍は首を振り、苦笑いする。
「そんなことないだろ」
芽亜は結良に尋ねた。
「結良の願いごとはなに?」
結良は考え込み、少し間を置いて言う。
「んー、授業中寝ても怒られないような世界になって欲しい」
芽亜はクスリと笑った。
「……うん、結良らしいっちゃ結良らしいわね。愛伍は?」
愛伍は肩をすくめ、横目で二人を見ながら言う。
「俺?俺は……秘密だ」
結良は不満そうに声をあげた。
「えー、なにそれ。あるんなら教えてよ」
愛伍は指を軽く立てて煽るように答える。
「願いは言わない方が叶いやすいらしいからな」
結良は慌てて手を振る。
「え、それ早く言ってよ!言っちゃったじゃん!」
愛伍は小さく苦笑いしながら呟く。
「あれが本当に結良が願ってる事なのか……芽亜の願いは金持ちになることだろ?いつも言ってるもんな」
芽亜は軽く頷く。
「正解、お金持ちになって色々なことしたい」
順番が来て、結良はオブジェを見上げる。
「もし、めーたんがお金持ちになって、お金有り余ってるって時は私にく……」
そう言いかけ、手をオブジェに触れた瞬間、結良の脳内に鮮やかな光景が浮かぶ。
白い服をまとった黄緑がかった長髪の男性、貴族のような赤髪の女性、黒髪のおじさん。
愛伍は目を丸くする。
「な、なんだ、今なにが起きた!?」
芽亜も驚いた顔で結良を見つめる。
「もしかして……二人も、今なにか頭に浮かんだ!?」
結良は必死に答える。
「なんか、人が!髪の長い人とおじさんとおばさん!」
芽亜は眉をひそめる。
「あれは私とは違う人ね。私はふわっとした髪で、顔が綺麗な人」
愛伍は首をかしげた。
「俺はおっさんと女の人だったな」
結良はもう一度オブジェを撫でるが、何も起きない。
「何も起きない……なんで?さっきのは……」
その時、芽亜が後ろに並んでいた観光客たちの苛立った表情に気づく。
慌てて結良を連れて、二人はその場を離れる。愛伍も後に続く。
その直後、オブジェの光はゆっくりと消え、再び普段通りの静かな姿に戻った。
愛伍がため息混じりに呟いた。
「消えちまったな、光……なんだったんだ、さっきのは」
愛伍と芽亜は光っている間にオブジェを撫でていた観光客たちを見回すが、特に変わった様子はない。
どうやら幻覚を見たのは、三人だけらしい。
芽亜が軽く頭を片手で抑えながら言った。
「……きっと私たち疲れてんのよ。早く帰りましょ」
結良は首をかしげて芽亜を追いながら呟く。
「それにしても気になるな~。誰なんだろ」
愛伍もあとに続き、肩をすくめながら言う。
「みんな違う人を見たのも不思議だよな」
その時、芽亜の視界に同い年くらいの、髪がふわっとした綺麗な顔立ちの男性がすっと現れた。
学ランを着ていて、どこか品のある雰囲気をまとっている。
芽亜は思わず目を見開き、その人物を追った。
幻覚で見た人と似ていたのだ。
その瞬間、結良のネックレスが突然赤く光り始めた。
「なに!?」
三人は思わず手を伸ばす間もなく、地面に落ちるような感覚で、変な空間に引き込まれる。
真っ暗な中、ずっと下に落ち続ける感覚。
「な、なになになになになに~!?」
結良は驚きと歓喜を隠せず叫ぶ。
「わあああああああああああ!」
涙目で声を上げる愛伍。
「すごい、この空間!!」
目を輝かせる芽亜。
やがて落下が収まり、三人はドサッと草原に着地した。
「いてて……」
結良が立ち上がり、周囲を見渡す。
赤い草原、紫がかった空。
結良は目を輝かせながらワクワクが溢れる。
「こ、ここは……一体どこ……!?」
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