LINE 1-c
お祭りの帰り道、心地よい疲れを身に背負い、プリズムタワーのライティングがてらてらと輝く夜の浅草を後にした。
2人とも金魚すくいが下手くそだったので、金魚は持ち帰れなかったが、後からユウが水ヨーヨーを1つだけ釣り上げられたのでそれを代わりにミコトにあげることにした。
彼がくれたヨーヨーをぽんぽん弾きながら、その彼とまた他愛もない雑談を繰り返した。
先生がどうとか、向かいのクラスの子の恋愛事情がとか。本当につまらない、日々の出来事。夜道の静けさが2人の会話に彩りを添える。
横並びの街灯が、2人の路を照らしていた。
「…そろそろ着くね。」
彼が切り出す。別れというのはいつも突然訪れるもので、気づけば2人は赤羽家の前にいた。
「うん…。」
彼女が言葉を一つ、つぶやく。
「…やっぱり、ちょっと寂しいかな。ゆーくんも知ってるでしょ?あたし、両親が両方チヨダで働いてるから、部屋に戻ったら一人なの。」
あーあ。と少し不満そうな声をこぼしてみた。
彼だってこの別れは名残惜しい。できるものなら彼女の不満に応えてやりたい。
しかし、夜は更けていく。お互いに帰らなきゃいけない場所があるんだ。まだ一緒にいたいというわがままは迷惑になってしまう。
そう思ったときだった。
ふと彼は、今日の5限前に母から送られてきたメールのことを思い出した。
『明日は早朝から大事な商談なので、ミナトの方で泊まってきます。晩御飯は作り置きもあるから勝手に食べてね。』
「…今うちに誰もいないから…、泊まってく?」
「えっ」
こんな事、普段なら絶対言わない。
でも今だけは、この瞬間だけはそう言わないと絶対後悔する。何故かそう、強く思えてしまった。
『大事なものっていつ無くなるかわかんないよ。』
ジキの言葉がずっと頭から離れなかった。
「…じゃあ、おじゃまします…?」
彼は予備の鍵で玄関ドアの鍵を開け、そのまま彼女を自室へ招き入れた。
リビングに荷物が入ったバッグと今日のお祭りの戦利品を置いて、木目の床が敷き詰められた5畳半ほどの質素な部屋にお互いの身を置いた。
ドアを開けると、正面に教科書がすっきりと並べられた勉強机がある。左側に少し雑に畳まれた寝衣やへこんだクッション。そして右側に目をやると、水色のシーツにグレーの枕と白い薄めのブランケットを広げた、いつも彼の寝ているベッドがある。
ミコトは毎朝彼を起こしに、この部屋に入る。
彼の部屋は見慣れた光景だった。ただいつもと違うのは、彼が自分から誘い入れてくれたこと、それだけだ。
それだけの違いなのに、それだけでいつものように話せなくなってしまう。見慣れた光景なのに、かえって落ち着かなかった。
あんなに楽しかったお祭り後の余韻のせいなのか。胸の下が一瞬、トクンと高鳴る。
「適当に、その辺座りなよ。」
声色から気を遣ってくれたのがわかる。彼もきっと自分の部屋なのに落ち着かない気分なんだろう。
「ベッド座っていい?」
「いいよ」
「じゃあゆーくんも、ほら」
ユウのベッドに腰を下ろした彼女は、その左隣を軽くぽんぽんとたたき、彼が側に来るように促した。
一瞬ためらったが、彼はその誘いに応えて、ミコトの隣に座った。
肩と肩がぶつかりそうな距離の中で、お互いがお互いを近くに感じていた。
「…それで、」
しばらくの沈黙の後、ミコトが先に口を開いた。
「なんで誘ってくれたの?」
どう切り出していいかもわからなかったので、とりあえず率直な疑問をぶつけてみた。
「…来てほしかったから。」
「あははっ。何それ」
「…僕にだってそういう日はあるよ。」
「ゆーくんも寂しいんだー?」
「…ん、…まあ。」
反応が可愛くてつい揶揄いたくなってしまう。けれど、本当に言いたいことはそんな軽い言葉ではない。
「ね、あたしさ…、誘ってくれて嬉しかったよ?」
「そうなの?」
彼女の表情を覗き込んだ。
「うん。ゆーくんが居てくれるって思うと、なんか寂しくないし。」
そう言って俯いた彼女の瞳は、どこか潤んでいるように見えた。
「ゆーくんはさ、」
少し空いた時間の隙間を埋めるように、
「どこにも…、行かないよね?」
彼女は問う。
「行くって…、どこに?」
「なんかね、違うの。ゆーくんはいつも一緒なのに、たまにどこか遠くの人みたいな気がしちゃうから。」
「死んじゃうかもしれない所に行って傷ついて帰ってきて…、あたし、ゆーくんがずっと苦しそうなのが嫌で」
ぽつぽつと秘めた言葉が溢れ出した。
「何かあったらって思うとなんかもう…、」
「っ…どうしたらいいか分からなくってさ…!」
「だってゆーくんが居なくなったらあたし…!こんな…、気持ちも全部……」
止まらなかった。ぬるい雨が、頬を伝った気がした。
「ミコ…」
気づいた時には、ずっと溜め込み続けていた言葉が暴れ出していた。
彼はそれを見ているだけじゃいられなかった。
そうだ。伝えなきゃ。
息を呑みかける。
瞬間、肌と肌、互いの心の臓が密着し、彼女の身体を腕の中に抱え込んだ。
何かしないと、と思って必死に考えたが、彼女を強く抱きしめることが精一杯だった。
「ずっと…心配かけてごめん」
彼の体温が彼女の肩を包み、胸の中につかえたものを膨れ上がらせた。一つ、また一つ。眼からつうつうと流れ出る雫が、頬を撫でる。
「ミコは…、ずっと僕を支えてくれてた。今の今までもこれからもずっと、ミコは僕の、一番大事な人だから…。」
彼の腕の中で押し殺すような嗚咽が漏れ出る。袖がじわりと濡れた。
「だからどこにも行かない。ミコトの側にいるから…!」
泣き震える彼女を強く確かに抱き締め、じっと、啜り泣く声を受け止め続けた。
ーーー
「っ…、なんか…ごめんゆーくん。」
赤く目を腫らした顔で、ぐすっと鼻を啜った。
「ううん。…ミコトも僕と同じ気持ちだって分かって…、嬉しい。」
「ずっと同じだったんだよ?恥ずかしいから今まで絶対に言わなかったけど…っ」
告白にも似た言葉と共に、にかっとはにかんで見せてくれた彼女が、とても愛おしい。
「もう僕は…、俺、ちゃんと好きって言っていいんだよね。」
あんなことの後なのに、いじらしくも確かめてみたくて、こう言ってみる。
「待ってっ。急にストレートに来られると…、照れる…」
彼女は少しだけ視線を落とし、指先をいじりながら小さく息をついた。
「いいじゃん、今までずっと言う機会無かったんだもん。俺も…、素直になりたい」
「…そっかぁ…。」
その言葉の直後、何かを納得したように彼女は頷き、どこか不安そうながら軽い笑みを見せた。
「ねぇゆーくん、1つだけわがまましていい?」
「いいよ。何?」
膝を揃え、彼の方を向き直した。
「ちょっと…、そのまま動かないで」
言われるままにじっとしていると、下唇をきゅっと噛み、上目遣いに彼女がすり寄ってきた。
柔らかい髪が揺れ、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。儚げなため息が首筋を掠める。
艶やかな彼女の瞳から、目が離せなくなってしまう。
「……み、ミコ、」
何かを訴えかけた彼の言葉を遮るように詰め寄る。
2人の距離が、縮まる。
「…ずっと側にいるんでしょ。その…、証明してしいの…。」
わずかに汗ばむ額が眼前まで迫る。今にも肌が触れ合いそうになる。
鼻先がすれ違う。
視線を交わす。
湿った吐息が混ざり合う。
彼女の香りに導かれるように、ゆっくり目を閉じる。頬が緩む。
呼吸が詰まる。
そして、そのままー
ちゅっ。
…重なった。
溶けきった口先の感触を確かめ合う。初めて感じたその柔らかさを、胸の奥に飲み込む。
目が合った。
力なくベッドに座りこむ彼女が、その瞳で離れたくない、と言った。
逸る心臓の音がうるさい。体温が高まる。
彼女の肩を掴み、そのまま倒れ込むようにもう一度抱き寄せた。
そこから先の事はあまりよく分からなかった。しかしただいつまでも、彼女の柔らかさ、体温と香りに包まれて、それを感じていたいと求め続けていた。
赤羽家の灯りが消え、夜は変わらず過ぎていった。
【LINE 1-c】 求めあう、二人の
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