辺境伯爵家の剣神、神々に復讐するため旅に出る~月喰みの魔女と魔女の騎士~

嘉神かろ

第1話 二つの家族と二つの終わり

 こんな家族、いなくていい。


「おい、なんだその目は」


 霞む視界でクソ親父が見下ろしてくる。電灯で逆光になっていて表情は見えない。

 床に触れた耳だけは冷たくて心地良い。もう少し下を見れば、さっき殴られた頬を冷やせるだろうか。


 クソ親父が何かをぶちまけた。この匂いは、ビールか。冷たい。酒臭い。最悪だ。


 続けて腹に熱を感じて、口の中に苦いものが広がった。蹴られて吐きかけたんだ。


「なんだって、聞いてんだよっ!」

「ガハッ」


 また蹴られた。さっきよりも強い。苦しい。

 腹を抱え、亀のように丸くなる。拍子で視界の端に映った三つ下の妹は、もう息をしていない。先月中学に入学したばっかなのに。


 続けて二度三度と痛みが走った。

 クソッ。なんで俺の親は、こんな毒野郎なんだ。


 クソババアも、母親もそうだ。妹が殺されて、俺もこんなに殴ったり蹴ったりされてるのに、のんきにスマホ触って笑ってやがる。どうせホストの配信でも見てんだろ。


「答えろっつってんだろ!」


 できるわけないだろ! テメェがずっと殴ってるから、喋れねぇんだよ!

 心の内ではそんな風に反抗するが、できることは、ただ硬く目を瞑って耐えることだけだ。何もできない。


 さっきと同じだ。妹が殺されるのを、止められなかった。アニキなのに、助けてやれなかった。助けてって目で見てくるのに、助けてやれなかった。


 いっそう強く目を瞑る。神がいるなら、助けてほしい。

 もうしばらく前から痛みを感じていない。たぶん、灰皿か何かで殴られてるはずなのに、衝撃しかわからない。


 頭に衝撃がきた。別の感触がする。熱いような、濡れたような。

 くそっ、意識が霞んできた。


「――誰か、助けて……」


 幻聴まで聞こえてきやがった。これはもう、俺もダメかもなぁ……。


「――助けて……」


 ああもう、煩い。幻聴のくせに。助けてほしいのはこっちだ。


「――助けたら、助けてくれる……?」


 助けてやるよ! だから、本当に、助けてくれ――


 そう、と聞こえたのを最後に、俺は意識を失った。


◆◇◆


「踏み込みが甘いぞ、アレク! それでは切れるものも切れん!」

「くっ、はい! 父様!」


 父様に弾かれた木剣をどうにか引き戻し、さっきよりも強く踏み込む。そして逆袈裟に切り上げ。自分的には会心の一撃だったそれは、父様が片手で持つ木剣に防がれた。


「くそっ!」

「いや、良い一撃だった。今日はこの辺にしておこう」

「はい! ありがとうございました!」


 上がった息を整えつつ、稽古をつけてくれた父様に礼を言う。父様は一つ頷くと、まるで散歩から帰ってきたところという風な平然とした足取りで屋敷の方に歩いていった。


 父様は、この世界での父様は本当に凄い。優しくて、剣の天才って言われてて、シーリング伯爵家の当主でもある。前世のクソ親父とは大違いだ。


 アレクシオ・シーリングとして転生して十三年。前世のクソみたいな記憶が戻ってからは、五年くらいか。それだけ経った今でも、あんな尊敬できる人が自分の父親だなんて、信じられない。


 父様だけじゃない。母様も優しくて、賢くて、俺にはもったいないくらいだ。

 もし、ここに妹もいたら。そんなことも考えてしまうけど、こればっかりはどうにもできない。


 妹もこの世界のどこかに生まれて、幸せにしてる。そう信じるのが、今の俺にできる精一杯だと言い聞かせている。


 代わりといってはなんだけど、大事にしたい家族は、もう一人いる。


「お兄様! お水です!」

「ルーク、ありがとう」


 二つ下の弟、ルクレシオだ。俺と同じ黒髪黒目は、このレフトア王国では珍しいシーリング家の特徴。おかげで、物語で出てくる貴族みたいに美形一家でもどうにか落ち着いていられる。


「凄かったです、お兄様!」

「ありがとう。でも、お父様に両手を使わせることはできなかったなぁ……」


 ここ最近の密かな目標なんだけど、まだまだ遠そうだ。

 まあ、父様はこの国で騎士団長の次に強いらしいからなぁ。歴史ある大国だけあって、騎士団長は剣聖って言われるくらいの達人だし、そんな人と並び立てる父様はやっぱり凄い。


「でも、騎士の人たちもお兄様の歳でこれだけ剣が強いのは天才だって言ってましたよ! さすが父様の息子だって! しかもお兄様は魔法も使えるじゃないですか!」

「魔法はまあ、少しだけね。実戦じゃまだまだ使えないし、やっぱり、もっと強くならないと」


 今の父様がクソ親父みたいな敵になるとは思ってないけど、いつ、どこでルークが危険に晒されるか分からない。その時に、今度こそ守れるようになっておきたい。


 なんて考えてたら、ルークが膨れてしまった。少し謙遜しすぎたかな。本音ではあったんだけど、自分が剣の天才だってのは正直、自覚してる。


 これが異世界転生の特典、というやつなんだろうか。学校で誰かから聞いたのは覚えてる。親父やババアの癇に障らないよう勉強ばかりしてたから、そういうのには詳しくないけど。


 もしその特典というやつなら、いや、そもそもあの地獄から助けだしてもらえたのだとしたら、幻聴だと思っていた死ぬ間際の声の主に感謝しないといけない。感謝して、約束通り、助けないといけない。


 でも、声の主の手がかりなんて何もないし、現状お手上げなんだよなぁ……。


 まぁ、これについてはゆっくり考えよう。今はとにかく、ルークのご機嫌取りだ。


「ルーク、もう少し大きくなったら、お兄ちゃんと一緒に剣の特訓をしよう。それで、お母様や領民たちを守れるよう、お父様みたいに強くなろう」

「……うん! 約束だよ!」


 ふぅ。貴族として身につけた言葉使いじゃなくて、妹に話しかけてたときのお兄ちゃん呼びが出ちゃったけど、ルークがご機嫌になってくれたからいいか。



 水浴びを済ませ、準正装に着替えて馬車に乗る。この堅苦しい格好にもすっかり慣れた。

 広い六頭引きの箱馬車の中にいるのは、俺とルーク、父様と、母様。父様は俺たちと同じ黒髪黒目で、狼系イケメン。たぶんあと十年も過ぎればイケオジになる。


 母様は金髪碧眼で見るからに優しそうな、それでいて少し猫っぽい目の美人。俺の目は母様似かな。母様は三十近いはずだけど、高校の制服を着てても違和感ないくらいに若い。

 

 二人ともまだ三十前後。年齢的に十分若いし、まつげ長い美男美女だし、並ばれると、正直眩しい。いや、遺伝子はちゃんと受け付いでるんだけど。


「ルーク、もう祈りの言葉は覚えたの?」

「はい! もちろんですお母様!」


 一昨日からお兄ちゃんとたくさん練習したからね。まあ、ルークは物覚えがいいから苦労はしてないけど。うん、うちの弟は天才なんだ。


 お兄ちゃん的には練習も確認も必要ないくらいだと思ってるんだけど、今向かってるのは国教になってるコンタステラ教の教会だ。伯爵家として、領主の一族として、民衆の手本になる必要がある。

 お兄ちゃんとしてはともかく、伯爵家長男として、弟に粗相をさせるわけにはいかないんだ。


「伯爵様だ!」

「領主様ー!」


 小さく聞こえた声に窓の外を見ると、領民たちが笑顔で手を振っているのが見えた。

 良かった、みんな健康そうだ。魔法がある分現代日本より凄いところもあるけど、基本的には近世のヨーロッパみたいな世界で、国だ。みんなの健康は領主の息子として、気にかけたい。

 

 そんな民衆の中に時折エルフだったり獣人だったりが見えるのは、ファンタジーっぽくて未だに少しテンションが上がる。

 ここら辺みたいな国教近くの辺境はともかく、王都の方は獣人に偏見があるらしいけど、正直馬鹿らしい。


 ふと見ると父様が領民たちに手を振り替えしていた。なら俺も倣っておこう。上位貴族や領主としての振る舞いは俺もまだまだ覚えきれていないし、こういう時に真似して覚えないと。



 教会に着くと、白い法衣を着た人たちが出迎えてくれた。真ん中のお爺さんが着てる法衣の金色の刺繍は、司教という高い位にある証だ。


「お待ちしておりました、シーリング伯爵様。こちらへどうぞ」


 司教に案内されて観音開きの扉をくぐると、まず正面にステンドグラスが見える。たしか、創造神が十二柱の子供達に世界の管理を任せる神話の絵だ。

 それから、その十二柱の神々の石像が聖堂をぐるっと囲っているのが見えた。見上げるほどの白い像がステンドグラスの光に照らされる姿はとても荘厳で、何度見ても息を呑んでしまう。


 教会内には領民たちが少なくない人数いて、各々祈りを捧げていた。そんな彼らも、俺たちの姿を見つけると柔らかな表情で礼をしてくれる。父様が慕われてるからだって思うと、自然とニヤけそうになってしまう。


 そのまま司教について聖堂の中央、石像に囲まれた中心に行き、片膝を突く。


「ルーク、緊張しなくて大丈夫。父様と母様に合わせて、落ち着いて唱えたらいい」

「は、はい、兄様」


 この雰囲気にはルークも呑まれるか。石像の見下ろす中央に立って片膝を立てるところまでは良かったけど、祈りの言葉を唱える段になってから表情が硬い。


 振り返ってこちらを気遣ってくれた父様や母様に頷きを返し、ルークの手を握る。祈りの言葉を唱えるときは目を瞑ればいいから、手が塞がってても問題ない。


「ありがとうございます、お兄様」


 父様が頷いた。一言めは父様が唱えるから、あとは合わせて続ければ良い。


「十二の月を守る、十二柱の神々よ――」


 続けて祈る。ルークは、良かった。落ち着いて唱えられてる。間違える様子もない。


 俺も祈りに集中しよう。

 神々よ、俺は魔女の封印を守るシーリング伯爵家の長男として、封印を、家族を、全身全霊で守るとちか――


「伯爵様っ!」


 静謐な教会に、扉を勢いよく開く音が響いた。弾かれたように後ろを見れば、覚えのある顔の騎士が顔面を蒼白にして立っている。

 明らかに、ただ事ではない。


「何事だ」


 父様も教会を騒がせたことは咎めず、視線ばかりを鋭くする。


「み、味方が、味方が……」


 騎士自身起きていることが信じられないらしい。一度大きく胸を膨らませて、息を吐き、それから決心したように告げる。


「味方が、攻めてきました……!」


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