VRゲームだと思って始めたら、ガチの宇宙戦争だった件について

オテテヤワラカカニ(KEINO)

第1話 G.F.000.1 ――チュートリアルだと思ったら最前線でした

『――警告。区画隔壁に未確認の損傷。セクター7の与圧が急速に低下しています』


 合成音声が、冷たく響き渡る。

 

 フルダイブVRゲーム『ギャラクティック・フロンティア』は、ずいぶんと凝った演出から始まるらしい。


 目の前に広がるのは、凄惨な光景だった。

 蜘蛛の巣状に亀裂が走った分厚い強化ガラス。


 その亀裂の隙間からは、コロニー内の空気が白い霧となって宇宙空間へ猛烈な勢いで吸い出されている。

 ガラスの向こう側では、豆電球のように矮小な星々がただ冷たく輝いていた。

 

 そして、足元。

 俺の脚部のすぐ横で、恐怖に引きつった苦悶の表情を浮かべたまま、宇宙服のヘルメットを血で染めた男が転がっている。


 瞳孔が開ききった瞳は、虚空の恐怖を映したまま固まっていた。

 やけにリアルなNPCのオッサンの死体だ。


「グラフィックは神レベルだが……この初期アバターは最悪だな」


 俺が今ログインしているこの身体――コードネーム『ジャンクハウンド』という義体は、ゲーム開始時にランダムで割り当てられたものだ。

 

 廃棄寸前の旧式作業用の義体。

 それがこいつだ。

 

 右腕を持ち上げようとするだけで、錆びついた金属が擦れるような「ギ、ギギ……」という不快な軋み音が鳴り響く。


 視覚センサーには常にアナログテレビの砂嵐のようなノイズが走り、時折、赤と緑のデジタルな線が視界を横切っては消える。

 全身を覆う装甲は至る所が凹み、塗装は剥げ落ち、その下から錆びた金属が覗いていた。

 

 どうやら相当な縛りプレイを強いられるらしい。


 上等だ。

 むしろ、燃えてきた。


 手にした得物は、その辺の床から拾い上げた、ひしゃげた鉄パイプ。

 ずしりとした重みだけは頼もしいが、心許ないにも程がある。

 武器と呼ぶのもおこがましい、ただの鉄屑だ。

 

 その時だった。


『グシャァァァッ!』


 鼓膜を突き破るような轟音と共に、区画隔壁の一部が内側から弾け飛んだ。

 金属の破片が嵐のように吹き荒れ、真空に吸い出される空気の轟音が耳を塞ぐ。

 

 そして、歪にこじ開けられた穴から、悪夢のような生き物が這い出てきた。

 

 濡れたように鈍い光を放つ漆黒の外殻。

 昆虫と甲殻類を混ぜ合わせたような、歪な多関節の脚が、金属の床を軋ませる。

 そして何より、そのおぞましい頭部には、無数の赤い単眼が埋め込まれ、獲物を探して不気味に蠢いていた。

 一つ一つの眼が、明確な殺意を宿してぎらついている。


「チュートリアルもなしに、いきなり戦闘かよ! 運営はプレイヤーを殺す気満々だな!」


 怪物が薙ぎ払った巨大な鎌のような爪が、壁際に積まれていたコンテナを、まるで紙屑のように易々と引き裂いた。

 火花が散り、中からこぼれ落ちた荷物が真空へと吸い込まれていく。

 俺は思考と同時に、床を蹴って物陰に飛び込んだ。


 このオンボロボディのレスポンスは劣悪だ。

 脳内で「跳べ」とコマンドを送ってから、実際に義体が動き出すまで、ワンテンポ遅れる。

 体感でコンマ数秒の致命的なラグがあるのだ。

 

 関節が悲鳴を上げ、アクチュエーターが限界を超えたうなりを上げる。


 クソ、なんてひどい義体だ。

 まるで手足に鉛の枷を付けられたようだ。


 だが、どんなクソゲーだろうと、必ず攻略法は存在する。

 

 俺は瓦礫の陰から、怪物の動きを冷静に観察した。

 あの分厚そうな外殻。

 並大抵の攻撃は通用しないだろう。

 狙うべきは関節の隙間か、あるいはあの無数に光る目玉か。


「マシな武器はないのか?」


 視界のノイズの合間に、周囲を見渡す。

 破壊された隔壁から飛んできたであろう鉄骨が転がっているが、鉄パイプと大差ない。

 この化け物を相手にするには、あまりにも非力だ。

 まずは武器のアップグレードが必要不可欠だった。


 その時、前方に数名のコロニー衛兵NPCが、果敢に応戦しているのが見えた。

 彼らが構えるパルス・アサルトライフルこそ、今の俺が喉から手が出るほど求める武器だった。

 

「あんな武器があれば!」


 俺が愚痴った直後、悲劇は起きた。

 衛兵の一人がライフルから、青白い光弾を連射する。

 だが、怪物の外殻に着弾した光は、甲高い音と共に火花を散らすだけで、傷一つ付けられない。


 次の瞬間、怪物の巨大な顎が、信じられない速度で開かれた。


 そして、抵抗する間もなく衛兵の上半身を喰らい、咀嚼した。

 バキバキと骨が砕ける生々しい音。


 装甲が引き裂かれ、鮮血と肉片がスローモーションのように宙を舞う。

 R18指定も納得の、悪趣味なまでのゴア表現だ。


 衛兵の手から滑り落ちたライフルが、カラン、と乾いた音を立てて床を転がった。

 

「――ナイスアシストだ、名も知らぬNPC!」


 俺は床を蹴り、低い姿勢のままスライディングでライフルの元へと滑り込む。

 

 指先に触れたグリップの冷たく硬い感触。

 ずしりと重い。


 これだよ、これ!

 

 引き金を引くと、小気味良い反動が肩を打ち、銃口から光弾が発射された。

 だが、やはり怪物の硬い甲殻は、それをたやすく弾き返す。


「クソっ、豆鉄砲かよ!」


 焦りが募る中、視覚の隅に、動く影を捉えた。

 ひしゃげたコンテナの陰で、腰を抜かして動けなくなっている少女がいた。


 エンジニアスーツを着た彼女は、恐怖で真っ青な顔をしながらも、その瞳はまっすぐに怪物を見据えている。


 今回のヒロインNPCか?

 間違いなく護衛クエストの開始フラグだな。


 まるで俺の思考を読んだかのように、怪物がその少女に狙いを定めた。

 複数の赤い眼が、一斉に無力な獲物へと焦点を結ぶ。

 

「させっかよ!」


 俺は少女の前に躍り出ると、ライフルの引き金を固定し、狙いもつけずに乱射し、怪物の注意を引いた。


 ギョロリと無数の赤い眼が、憎悪を込めて俺を睨めつける。

 

 まずい、ヘイトを稼ぎすぎた!


 回避!

 脳はそう命令する。

 

 ――だが、このポンコツボディは俺の思考速度に全く追いつけない。


『ガキン!』


 凄まじい衝撃。

 左腕を食われた。


 万力で締め上げられるような圧力がかかり、装甲が悲鳴を上げてひしゃげ、内部の配線がショートして火花を散らす。


 視界の端に『警告:左腕部、機能停止。切断を推奨』の無慈悲なログが流れた。

 HPゲージがごっそりと、赤色に染まりながら削られていく。


 だが、痛みはない。

 恐怖もない。

 

 この身体はただの機械だ。

 そして俺にとって、これはゲームにすぎない。

 

 至近距離。

 目の前には、怪物の大きく開かれた口内が広がっていた。

 

 頑強な外殻とは対照的に、生々しい粘膜に覆われたその内部は、見るからに柔らかそうだ。

 血管が脈打っているのが見える。


(……ここだ)


 閃きは、絶望的な状況でこそ輝く。

 普通のプレイヤーなら、食われた腕を引き抜こうと必死にもがくだろう。

 だが、俺は違う。


「ディナーの時間だ、クソッタレ!」


 咀嚼しようと怪物が口を開いた瞬間。

 俺は食われた左腕を諦め、逆に身体ごと、奴の開かれた口の中に突っ込んだ。


 生臭い呼気と、粘つく唾液が全身を濡らす。

 奴の喉奥へ、まだ動く右手でライフルを深く、深く突き入れた。

 

 怪物の赤い眼が、驚愕に見開かれる。


「お前の腹ん中から、風穴開けてやるよ!」


 喉の奥で、引き金を引いた。


 フルオートで放たれた弾丸が、怪物の柔らかい体内組織を食い破り、抵抗なく深部へ、そして脳幹へと突き進む。


 「グギャアアアアアァァッ!」


 断末魔の咆哮がコロニー全体を揺るがし、巨大な身体が激しく痙攣する。

 やがて怪物の巨体はぐらりと傾き、地響きのような轟音と共に床に沈んだ。


 俺は怪物の口から、ボロボロになった身体を引きずり出す。

 左腕は肩の付け根から無残にねじ切れ、断面からは火花を散らすケーブルが垂れ下がっている。


 全身から黒い煙が上がっていた。


「はー、キツいチュートリアルだったぜ。さて、ドロップ品とかはあるか?……まさか、リアル剥ぎ取り式か?」


 俺はライフルの先で、動かなくなった怪物の巨体をつつく。

 ぴくりともしない。

 完全に沈黙している。


 そんな俺の常軌を逸した戦いの一部始終を、助けられた少女が呆然と見つめていた。

 腰を抜かしたまま、震える声で呟く。


「あなた……なんて無茶な動きを……。その義体、廃棄品じゃない。関節の駆動音、アクチュエーターの悲鳴……今にも壊れてしまいそうな……」


 少女は何かを言いかけて、はっと我に返ったように口をつぐんだ。

 

「ごめんなさい……えっと、あ、ありがとうございます……助かりました」


 少女に視点を向けると、その頭上にプロフィールらしきものが淡い光で浮かび上がる。


 【ユイ・アマミヤ:アマミヤ・インダストリアル社の令嬢】

 

 零細だが、ピーキーなカスタム義体を製作することで一部のマニアに有名なメーカーらしい。

 彼女が着ているのも、その会社のエンブレムが入ったエンジニアスーツだった。


 なるほどな。

 この子は次のクエストに関わる重要NPCというわけだ。

 

 俺は残った片腕でライフルを担ぎ直し、ノイズの走る口元のスピーカーから、歪んだ笑い声を響かせた。


「自己紹介は後だ。まだ奴らが残ってる」


 ノイズ混じりの視界の向こう、破壊された隔壁の暗闇で、新たな怪物の赤い眼が、二つ、三つと点灯するのが見えた。


 どうやら、このクレイジーなゲームはまだ始まったばかりらしい。




 その絶望的な光景を前に、俺の思考は不意に、「現実」へと引き戻された。


 今頃、俺の肉体は、深夜の自室で、エアコンの効いた快適なメッシュチェアに沈んでいるはずだ。

 指一本動かす必要のない、安全で、清潔で――そして、どこか退屈な世界。


 なんで俺は、わざわざ自分から、こんな地獄に飛び込んだんだっけ?


 ……ああ、そうだ。思い出した。






~あとがき~


新作始めました。

カクコン用の本気のライトSFです。

ひとまず、三話まで読んでみてください。


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後生ですので、最後のページの星マークを三回タップしてください(笑

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