第7話 秘密もないのに謎多き

***


 大公の名に相応しい、なかば城のような外観の屋敷には、彼以外の身内はいないようだった。出迎えに並んだ使用人たちが、丁寧に頭を下げていた。

 ……先妻を亡くされた旨は聞いていたけれど、もしかしてご両親やご兄弟もいらっしゃらないのかしら。


 執事やらなんやらを紹介され終えると、ロクサーヌは隣にいたその人を見上げた。

「閣下、伺いたいことがあるのですがよろしいですか」

「? なんだ?」

かといって直球で問うのも失礼だろう。

「こちらでの暮らしに際しまして、あらかじめお伺いしておきたいことがございます。

 お尋ねして差し支えのあることや、ご自身では触れたくない話題などはございますでしょうか。閣下にとってご不快な事柄があれば、わたくしは一切お尋ねせず、詮索しないことをお約束いたします」

虚を突かれたような顔をし、されど答えはたったのひと言であった。

「特にはないな」

あっさり、である。

「ないんですの? ひとつも??」

「少なくとも、訊かれて思い浮かばないくらいにはない」

と確かに頷いた。


 言質は取ったしいいだろう。ロクサーヌは覚悟を決めた。

「でしたら、さっそくご挨拶に伺いたく。閣下のご家族はどちらに……」

あぁそういえば、といま思い出したかのように口を開いた。

「話すのを失念していた。私が家督を継いでから、両親は他国へ観光旅行に出ておりめったに帰ってこないんだ。ここに暮らしているのは私だけで、兄弟姉妹もない。

 数年に一度くらいは遠縁の親戚と顔を合わせることはあるが、だいたいは社交場になるから紹介はその時でいいだろう。

 ここで貴女が気を使う必要のある相手はいないし、気兼ねなく過ごしてくれ」

「あらそうですの」

なによりである。ロクサーヌは胸をなでおろした。


 事件や事故で身内が亡くなっていたとしたら、このあまりにも広い屋敷で先妻まで失い、大公はどれほど悲しかったろうと思ったのだ。

 アレクサンドロは落ち着いていて物静かなだけで、特に悲しい業を背負っているわけでもないらしい。年より落ち着いてみえるのは、大公閣下という重責によるものなのかしら、とロクサーヌはわからぬことを思った。

 なんにせよ、ロクサーヌはここでお腹の子とともに保護される身である。庇護を受け、そして妻となるからには、しっかりと彼を支えなくては。

 努力と根性である程度なんとかなるものこそ、ロクサーヌの得意とするものである。


「では閣下、折を見て前の奥方様のお墓にご挨拶に伺いたいのですが」

 まずこの屋敷の使用人たちに好印象を植え付けるには、先祖並びに故人を大事にする姿を見せることである。だが大公は首を振った。

「それはやめておいたほうがいい」

さすがに地雷だったかしら、と思ったが、彼は私の顔を見て苦笑し首を振った。

「『再婚しないで』と言うのが遺言だった。年数が経ったので大丈夫だとは思うが、貴女が取り憑かれでもしたら目も当てられない」

 思わぬ言葉であった。

 ――取り憑く??

 亡き妻を、それも、忘れられぬほど愛した人をそのように表現するものだろうか。まるでその人が、悪霊にでもなっているかのように。


 大公は亡き妻が忘れられずこれまで結婚をせずにきた、というのが、役場の異世界人窓口担当テランスから聞いていた話だ。

 だがロクサーヌはずっと首を捻っていた。実際に出会った大公アレクサンドロからは、あまりにも女の匂いがなさ過ぎたからだ。

 先妻を忘れられないらしいという話は山ほど耳にしたのに、彼の身の回りの持ち物に先妻が贈ったと思しきものがひとつも見当たらないのも謎だった。愛していたなら、ペアリングくらいつけていてもおかしくないし、私を気遣って会うときに外していたとしても、指にリング跡すらないのは妙だ。

 この屋敷だってそうだ。大公の好みなのか中はこざっぱりしており、全体的な色調も男性好みな色合いである。愛妻を悼み、どこかしらにその痕跡があってもおかしくはないものを、そういった名残のようなものが一切ないのである。


 おまけにこの口振り。大公は本当に奥方を愛していたのかしら。


 なんと訊くべきか、この場では訊かざるべきかと口を噤みやや悩んだロクサーヌを、アレクサンドロは興味深そうに眺めていた。

「貴女が気になるようならまた改めて話そう。特に隠しておくような話ではないのだが、少々長くなるため立ち話には向かない。

 それより先に荷物を置くべきだな。貴女の部屋も用意させておいた、案内しよう」

気に入ってもらえるといいが、と大公は先を歩き直々に案内をしだした。


 エスコートされ向かったのは、3階の奥である。ロクサーヌに割り当てられたのは、アレクサンドロの部屋の隣で、つまりは大公妃の部屋であった。

 目の眩むような華美さはないが、質のよい調度品のある品のよい空間である。この屋敷についてから初めて、女性らしい趣きを感じた場所であった。

「素敵ですわね……! わたくしが使ってよろしいのですか?」

「気に入らなかったか?」

「とんでもない、とても素敵なお部屋ですもの。ですがまだ婚約もしておりませんし、客室でも充分ですのに」

 というより、ここは愛する先妻が使っていた場所ではないのだろうか。

 見るに家具はどれも新しく用意させた物らしく、とても誰かが使っていたようには見えない。

 先妻の家具は片づけさせたということ? まだ婚約もしていないわたくしのために?


 言いづらそうにしているロクサーヌを見て、大公もようやく思い至ったらしい。

「――。もしかして前の妻のことか? この部屋の主だったのではと?」

「それはそうでございましょう? 使用人たちとて、急な話で驚いたでしょうに」

首を振った。

「ほとんどの使用人は、そもそも彼女の顔も知らない。彼女はこの屋敷で暮らしたことがなかったからな。言ったはずだ、貴女がここで気を遣う人間などいない」

――え。

「暮らしたことがないとは? 別居婚でしたの?」

「別居と言えばあれも別居ではあったのだろう。入院していたために、私と婚約したときも成婚してからも、彼女がこの屋敷に足を踏み入れたことは一度もないんだ」

なんてことだ。体の弱い人だったのね。

「……それは、お気の毒なことでしたわね」

その言葉に、大公はフと笑った。なぜ笑うのか、ロクサーヌには理解できなかった。


「――時間もあるし、このまま屋敷の中を案内しよう」

大公は自らの腕へと促し、ロクサーヌも素直に手をかけ部屋を歩み出た。


 感嘆の溜め息が止まらない。部屋だけではない。全体の調和が素晴らしい。ロクサーヌは生まれ育った実家の侯爵邸の装いを愛していたし、嫁ぎ先であった公爵家の趣味も愛していたが、ここはまた違った美しさがあった。

「ほんとうに素敵なお屋敷ですわ……」

「それはよかった」

 何度述べたかわからぬ言葉に、案内をしてくれるアレクサンドロは毎度律儀に頷いてくれた。

 隅々まで磨かれた床や調度品、計算されつくされ、どの角度から見ても美しい手入れの行き届いた庭。華やかすぎず堅実で、されど素気のない寂しさはどこにもない。

 さすが大公家である。


 今日は風が冷たいから、と案内された温室にはティータイムの用意がすでになされており、ロクサーヌは実にほのぼのとした気分で着席した。

 カップに口を付けた頃には、大公の先妻のことなどすっかり頭から飛んでいた。

「景観も外庭も美しかったですが、こちらの温室も素晴らしいですわね」

「そうか。庭師も喜ぶだろう」

アレクサンドロは微笑んで口を開いた。

「反応が新鮮だ。客人などめったにないし、たまに訪れるのも事業関連の者ばかりだ、庭など見せる機会もない」

「まぁもったいない、どこも素敵な場所ですのに……」

「これからは貴女が堪能してくれるだろうから、みなにもきっとやりがいが出る」

人付き合いもできたら、茶会なりなんなりも好きに開いてくれていい、とアレクサンドロは述べた。

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