第4話 レディorお嬢さん
***
机を挟んで椅子がふたつあるきりの、役場の殺風景な一室にはとても似つかわしくない品の良い老紳士がそこにいた。
背筋は手本のようにまっすぐ伸び、仕立ての良いジャケットの襟には細かな刺繍が施され、ステッキの持ち手には獅子を模した金造りの頭がついていた。そして後ろには護衛が幾人もついていた。
窓口担当のテランスから聞いていた通りの、きちんとした家門の当主のようである。
型通りの儀礼的な挨拶を済ませると、早速ですが話をしましょうか、と紳士はロクサーヌに座るよう促した。早くも場を掌握されていた。
気圧されてしまわぬよう、ロクサーヌはまっすぐに顔を上げ微笑んだ。
「わたくしを養子に、そして生まれてくる子を後継者に迎えてくださるというお申し出でしたが、相違ございませんか」
「ええ。仰る通りですよ」
紳士はにこりと微笑んだ。顔には笑い皺が深く刻まれており、笑顔からも慣れた印象を受けた。
「すでにお嬢さんも幾らかお聞きになっているでしょう。
馬車の事故で息子夫婦を亡くしましてね。ふたりは子宝に恵まれませんで、我が侯爵家には後継ぎがいないのです。親類にもちょうどいい者がいないものですから」
だが他の家門から養子を、となると利害関係が発生して面倒だから異世界人を希望していたのだ、という旨を貴族らしい丁寧かつ回りくどい言葉で述べた。
「お嬢さんは、以前の世界では我が家とちょうど同格の、侯爵家の御令嬢だったと伺っています」
「ええ。ですが、未婚の令嬢のように呼んでいただいてよいものでしょうか……。何年も前に結婚をし、他家へ嫁いでおりましたの。閣下に不都合がないといいのですが」
お嬢さんだなんて呼称は、別世界での話とはいえ人妻だった私には相応しくない。話が通っているなら知らないわけがない。
「不都合だなんて。むしろこちらにはありがたいことですね。
養女として迎え入れるお嬢さんに、貴族の心得のみならず、夫人としての経験がおありになるわけですから。こちらの世界の常識を学ぶことにも、きっと抵抗はないでしょう。早いうちにお嬢さんに家政のお手伝いもお願いできそうで、ありがたい限りですね」
老い先短い私は心配事が減って万々歳です、との旨をまた貴族の言い回しで述べた。
ありがたいと述べながらも、可愛らしい呼び名を改める気はないところを見るに、老侯爵はロクサーヌを小公爵夫人として扱う気は微塵もないようである。
とはいえ向こうは養女として迎えたいわけだから、夫人ではなにか不都合があるのかもしれないわね、と漠然と察した。
それだけわかれば充分だ。これ以上は、わざわざつつく理由もあるまい。
ロクサーヌはすでに、お腹にいる子を後継者に迎える、という破格の条件を提示されているのだ。最初から、ある程度のことは甘んじて受け入れるつもりであった。
現時点から当主と軋轢を生む必要はない。どうせなら気分よく話を進めてもらい、親子ともども老侯爵と良好な関係を築いてゆきたいところだ。
他いくつかの条件のすり合わせと確認をして、ふたりは頷きあった。とりあえず、互いの譲れない点は把握できた。
ロクサーヌは子どもの人生(ついでに自分の身の安全と生活の保障)を、そして老侯爵は家門の存続(欲を言えばついでに繁栄)だ。
ふたりの望みは、この取引で簡単に成立しうるように思えた。結婚が商売ならば、養子縁組もまた商売といえるだろう。
「――ではレディ、また改めてお会いしましょう」
最初からある程度の敬意は払われていたが、話が進むにつれて老侯爵はロクサーヌが簡単に丸め込める娘っ子じゃないことを察したらしい。途中からごく自然に、ロクサーヌのことをレディと呼び替えた。
会話の中のごくごく自然な修正であり、お嬢さん呼びを気にしていなければ気づかなかったかもしれない。
後継者の不在だなんて理由で、人知れず社交界から引退するには惜しいお人ね、とロクサーヌはつくづく思った。この養子縁組が叶い後ろ盾となってもらえるならば、この上なく心強い。
ロクサーヌは丁寧に礼をした。
「はい、閣下。お気をつけてお帰りください」
老侯爵は軽く帽子を上げ、帰っていった。見送ってから役場の先ほどの一室に戻り、ロクサーヌは彼から受け取った言葉を反芻していた。
『前向きに考えてもらえると嬉しいですな。ですが、そちらにはお子さんがお生まれになるわけですから、他とのご縁をお選びになっても恨みはしません。レディとお子さんに、よいご縁がありますように』
この世界の人たちは、つくづく親切ね……。ロクサーヌは幸運をかみしめた。
たまたまいい人たちに出会っただけなのかしら、それともみんながこうなのかしら。今のところ、ロクサーヌにはまだ判断のつかないことだった。
悪くない。悪くないどころか、こちらに有利な条件しかないわ。
こちらは差し出せるものもロクにないのに、保護をしてもらえるうえに貴族としての生活の保障もしてもらえる。生まれる子どもに貴族家門の当主の座を用意してあげられるし、継ぐための教育も惜しまないと言ってくれた。
こんなにありがたいことがあるかしら。
次とは面談もせずに、ここですぐに決めてしまってもよいくらいの条件だが、選択肢があるのに現時点で決めるのは早計であった。
ただでさえ慣れぬ環境に身を置いているのだ。直感も大切ではあるが、慎重になって困ることもないだろう。
ロクサーヌが面談を終えるのを待っている間に、担当のテランスは役場の別部署に引っ張られ、すっかりこき使われていた。
「――ちょっと。わたくしの担当を勝手に連れ去るのはやめてくださらない? 他の部署と違って、異世界人担当はひとりなのでしょう? 職務放棄かと思ったじゃないの」
見かねて苦言を呈すと、慌てて戻されてきた。なぜかテランスが「すみません」と頭を下げるので、ロクサーヌは呆れた。
「テランス、確かわたくしには後妻の申し入れもあったわね? その方と近日中に面談することは可能かしら?」
テランスはこちらに顔だけのぞかせた。
「先方に申し入れておきます。日程が決まり次第、あたらめてご連絡いたしますね」
と頷きつつも頭を搔いた。
「……ええと、レディロクサーヌ。申し上げにくいのですが、ここにいる人間は役場の職員であって使用人ではないので」
「あら失礼、気を付けますわテランス卿」
この話し方はただのクセで、貴方を侮っているわけではないのよ、貴方を使い倒す他の者のことはかなりどうかと思ってますけど、と続けると、わかっておりますと疲れた顔のまま頷いた。
役場の職員、テランスは器用貧乏を絵にかいたような男だった。
長く続く子爵家の四男だそうで、実家は古い家門にありがちな清い領地運営で、領民第一の低い税率を維持している。つまり、通常は物価の高騰と共に上がっていくはずの税収はそのままで今や雀の涙に等しく、その差額の補填や皺寄せはすべて家門が背負っているというわけだ。
そうこうしているうちに先祖が堅実に蓄えてきた金子は目減りし、没落しかけているそうだ。本来なら一応、彼も使われる側ではなく使う側の人間であるが、聞くところによると、この役所に働きに出て家計を支えているらしい。
テランスは、隣の実家領地から出稼ぎに来ているとのことであった。
たいていのことはソツなくこなせるので、雇ったこちらの領主は彼に面倒を押し付けまくっているようである。
役場のあらゆる部署へと隙あらば引っ張っていかれ、いいようにこき使われているようだ。おまけに絶望的に断るのが下手なので、年に幾人もいない異世界人担当なんてものも押し付けられてしまったのだろう。
とはいえ、ロクサーヌにとってはありがたいことだった。
テランスは仕事のできる人間だ。忙しい中でも連絡は漏らさず遅れず、かといってやけっぱちの適当なやっつけ仕事にもせずに、これも誰かの人生に関わることだからと最善を尽くしてくれるだけの善性まで持ちあわせていた。
数年ぶりに現れた異世界人、ロクサーヌへの面談の申し込みも、実は山ほどあったらしい。テランスは私にいくつかの聞き取りをすると、要望にあった相手を数人にまで絞ってくれた。
そして断る予定の相手に関しても、
『後援を希望され申し込まれた方です。この方はここからかなり遠方にお住まいなので、行くのに馬車で一週間はかかります。もし折り合いが悪くても簡単には帰ってこられませんし、他の方と面談する予定も組めなくなってしまいます。
それをわかっていてわざと会いに来るよう言うような相手なら、最初から会わない方がよいと判断しました』
『そしてこちらは、評判の悪い方なのでお断りすべきかと。後妻にと望まれ申し込まれていますが、レディと成婚すると5度目の結婚となります。もともと浮気性な方なので、いつ心変わりをされるかわかりません。
お子様と穏やかに過ごしたいという、レディロクサーヌの条件には合わないと判断しました』
などと丁寧に説明してくれ、
『どうしてもお会いしたいということでしたら、連絡をし面談の日程を詰めますが』
『いいえ。貴方の判断を信じます』
次からわたくしに断りなく進めてくださって結構ですわ、と一任した。
「テランス卿」
「なんでしょう」
返事をしながらも押し付けられた書類の束を、信じられないほどの速さでより分けていた。彼はさぞ使い勝手がいいことでしょうね、とロクサーヌは溜息をついた。
「もし貴方が何かの拍子で、わたくしのいた世界に落ちることがあったら、わたくしの実家を訪ねてみて頂戴。貴方なら家門の筆頭秘書官にもなれますわ」
今ここで紹介状を書いて差し上げてもよろしくてよ、と述べると、目の下にクマをつくったままテランスは目を丸めた。
しばらくそのまま固まっていたが、フと笑った。
「それは実に光栄なお話です。ですが、私が異世界に落ちることがあるでしょうか。幸か不幸か、まだこの世界には絶望していないので」
「そう?」
でもレディのお心遣いはありがたく覚えておきます、と手の中の書類に視線を落としたまま微笑んだ。
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