第31話 Welcome!!! 僕の楽園 ⭐︎
リノの部屋の布団の中で、スマホが震えた。
次の日の早朝。タカヤナギさんのぶっきらぼうな声で起こされた。
『なにしとんねん、お前。リノんとこ泊まったんか。今日、ウチ来るんやろ?待ってるから、はよ来い』
••✼••
今日は、よくよく考えてみればホワイトデーだった。
頭のなかは整理がつかないままだけれど、前から決めてあった日だから、行くことにする。
部屋の中はがらりと変わって、入ってすぐの扉まえにカポックと大きなウンベラータが壁際に寄せられていた。本棚が一カ所にまとまってその近くに小さな一人掛けソファが置いてある。手元にはスタンドライト、ガラス扉の本棚にはタカヤナギの2眼レフと1眼レフ。その前に大きなソファ、床には毛足の長いエメラルドグリーンのペルシャ風の絨毯が広がっていた。
僕はきょろきょろと視線を泳がせた。
「もしかしてチアキとミヤビ、探してる?……今日は、母親いるから、来てないねん」
「ちゃうちゃう、部屋がえらい変わったなぁ思て」
奥の部屋は衝立てで区切られ、ウンベラータの陰にダブルベッドが置かれていた。
「はい、これ。ウチでふたりで作ったよ、今日できたてー」
チサトさんがにこにこ笑って、チョコレートケーキが四角い皿に乗って出てきた。
僕は、もやもやしている気分を吹き飛ばすように、大袈裟に喜ぶ。
「ぎゃー、タカやんセンパイとふたりで!?凄い!嬉しい!チサトさん、ありがとう!テツもー!」
「チサトは上手いからなぁ、食べてみ」
「テツくん、このチョコクリーム塗るとき、ぼーっとしてて、何度か落としてね」
チサトさんが僕に聞こえよがしに耳打ちをして、タカヤナギさんが眼をとがらせた。
「チサト、言うなや」
「あーあ、なにしてんの、タカやんセンパイ」
「あー、……そのなんや、とりあえずいろいろありがとうな。子守りとか」
「雅、大変やってんでー、人見知りやと思うけど、なんで泣いとるかわからんし、オムツ替えも久しぶりやし、千秋に教えてもろてなぁ。めっちゃ偉そうに指導されたわ。まったく、ほんのちょっとでもあんな小さい子放っといて、ドッキリとかもうヤメて。千秋は大人びてるけど、小さい子は何があるかわからんからな」
「……すみませんでした」
僕は頭を下げるタカヤナギさんを怒るふりをしながら、自分の席のフォークを拝借してクリームの端をちょろっと掬い、ぺろりと舐めた。
「わわっ。うまーいー。やっぱチサトさん天才!」
「あ、コラ、どさくさに紛れて勝手に」
「ふふーん、そんな嬉しいこと言って勝手に味見しちゃダメ!皆で食べるの!」
贅沢なチョコレートケーキのホワイトデーになり、僕はすっかり機嫌が直ったような気分でいる。
シンプルなチョコレートケーキの上には小さなピンク色のバタークリームのバラが散らしてあった。「包丁を入れるのが、もったいない!」と言う僕の手から、包丁を取り上げ、「ほな俺が」と、タカヤナギさんがざっくりと半分に切り、半分を残して三等分した。
「あー!!もうちょっと眺めていたかったのに」
シンプルな白い皿に取り分けられ、それぞれの前に置かれた。
「次のボトル何にする? またワインでええか」
「うん。そんで、結局聞いてへんかったけど、あの子どこの子らやったん?」
「……俺の前の奥さん、の子と新しい旦那の子」
「は? ……何であなたが、それを預かるんすか」
「せやから、言うたやろ。ソウジが子ども抱きたい言うてたからやって」
「はー。タカヤナギさん。僕が嫉妬する思わんかったんすか」
僕は右手でこめかみを押さえると、しばらく考えてから上目遣いで、困った顔のタカヤナギさんを見上げた。
「うん、まぁするかもなぁ」
答えたところで、僕は胸を張って腕組みをしてみせた。
「いいえ、しませんわー」
「どっちやねん」
「はじめっから言うてくれたら、良かったのに」
僕は息をついて笑う。
「僕、ぜんぜんオッケすよ。もーまんたい。むしろウェルカム」
「ほらね、このひと割と許容範囲広いのよ。テツみたいな猛獣を飼い慣らしてる時点で、器の広さ感じるわ」
「猛獣って俺のことか?」
「ふたりとも、めっちゃかわいかったー。チビさんの雅のほうは、あのミルクのにおいがたまらんねんて。手ぇにな、ちゃんと小さいのに爪ついてるし、手を動かしたら眼で追っかけてきてなぁ。留守番してただでさえエライから、何でも欲しい言うてもええのにな、千秋の飴ちゃん欲しいっていうときの、こう気を遣って言うとことかな。いやー眼福よ」
「こら、無視すんな」
「良かったねぇ」
チサトさんが僕の頭を、ぽんぽんと撫でた。(いや、僕子どもか……)
(あれ?なんかチサトさん、雰囲気変わったかも。なんか吹っ切れた顔してる)
そんなことを思っているうちに、タカヤナギさんが立て膝のまま、しなだれるように寄ってきて、僕の唇を塞いだ。
たいていは、タカヤナギさんがチサトさんと先に始めて、僕はそのあとに誘われる形なんだけど――今日は、僕が先。
「ん……ちょ、ちょっと待って」
目を見開いたまま、僕は無意識にチサトさんの動きを追っていた。
彼女はステレオの前に立ち、ゆっくりと、大きな黒いレコードをターンテーブルに乗せる。
優雅な手つきで針を落とすと、スピーカーから流れ出したのは情熱的なタンゴ。
今日は、そういう気分なんかな……いや、これは、演出か。
なるほど、今日は「お楽しみタイム」ってわけだ。
さすが、芝居をやっていただけある。
チサトさんは、いつだって動きに遊び心があって、見ているこっちも楽しくなってしまう。
カーディガンを脱ぎ、腕をぐるぐる回して放り投げる。
それがふわりと宙を舞い、視界の外へ消える。
続いて、大柄な花のプリントシャツ。
ボタンをひとつひとつ、踊りながら外していく。
その仕草はどこか儀式的で、目が離せない。
思わず、息をするのも忘れていた。
軽やかなステップでターンする彼女の背中を、タカヤナギさんが目を細めて見つめていた。
チサトさんが、腕を大きく広げ、シャツをひらりと舞わせて落とす――。その仕草に、思わず息を飲む。
まったく。
――なんやねん、この美しい二人。
(僕はドキドキして汗かいてんのに、あのふたりは夕焼けを背にしたダンサーとそのパトロンみたいやんか。ちょっとズルない?)
チサトさんの髪が、ターンとともにふわりと揺れる。
その笑顔に、思わず胸の奥がきゅっとなる。
(なんやろ、憧れとも違うし、嫉妬ともまた違う)
けど、その輪の中に、まだ入りきれてへん自分が――ちょっとだけ、さみしかった。
視線を感じて、そっと横に目を向けると――タカヤナギさんが、こっちを見てた。
目が合った瞬間、目尻にシワが寄るくらいの笑顔になって、ウインクしてくる。
(え、なにその余裕)
そう思ったけど。たぶん――もう惚れてるんやと思う。
これはもう仕方ない。
チサトさんは、にこにこしながらステップを踏んで、僕に向かって軽やかに投げキッスを寄越した。
そうして、チサトさんはノースリーブのハーフタンクトップ姿で、僕ら2人の座っているベッドのほうへ、勢いつけてジャンプしてきた。
「さーて、今日は何の映画観ようかな。ファンタジーな映画が観たいな、ふたりはどう?」
僕の、ちょっと不思議で、眩しい夜は――これからだ。
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