第28話 おくるみの中は

 その日、僕は少し片付いたタカヤナギさんの家で眠った。


 タクシーの中では完全に寝落ち、タカヤナギさんの膝枕で眠り、家に着いて、ベッドに引き上げられて、朝まで爆睡してしまったらしい。


 朝はコーヒーを一杯だけすすり、出社。夕方にはヒヨドリ邸での接待があり、再びタカヤナギ邸へ泊まり、とんぼ返りの日々。数日経ってようやく、自宅へ戻ってきた。

「……相変わらずの社畜感やな。まあこんなもんか」


 会社を出るとき、タカヤナギさんから声をかけられた。

「家、大丈夫か?まだあの男がおったら、すぐこっちへ戻ってこい。リノにも声かけといたから、来させること。わかったな?」

「え?リノに声かけたんすか?」

 この人、自分と同じことを考えていた、と思うも、できたばかりの彼氏とよろしくやっているだろうリノのことを思い浮かべつつ「はいはい、リノにね」と、軽く答えてタカヤナギに睨まれ、見送られながら軽く手を振って帰宅してきた。


 部屋は扉が閉まった状態、トイレの小窓は少し開き、部屋の真ん中に黒い大きな羽根が落ちていた。


 僕は、ほっとする反面、がっかりした。

 鴉がいることをどこかで期待していたようだった。

「いやいや。そんなわけが。ないわー」

 ペットボトルの水を飲み干し、入浴と歯磨きをすませ、布団にもぐり込んだ。

 小さなテレビで、ニュースが今夜は冷えると伝えていた。


 夜のあいだ、誰の気配もなかったのに、明け方、トイレの扉が開き、目がぼんやりと暗闇で光を反射した。その後するりと黒い影が部屋の中に入ってきた。


「あれ?これ、誰か来た」と起きようとしたが、ヒヨドリ邸での酒が思いのほか身体を浸食していて、呆気なく眠りのなかに引きずられ落ちていった。


 ••✼••


 朝、小さなキッチンスペースに鴉が立っていた。綺麗な黄色の焦げ目のない卵焼きが皿に乗っている。味噌汁の良い匂いが部屋のなかに漂い、僕は一瞬で目が覚めた。


「鴉。いつからそこに。あれ?夜に風呂も使つこうたし、トイレにもおらんかった」

「あの窓使ったからな」

「へえ。ほんとに鳥なんや」

「やっと信じたか」

 僕は身体を起こすと、鼻をすんすんとひくつかせて眼を輝かせた。


「めっちゃ良い香り。お母ちゃんみたいやん。凄い! 僕のための朝ご飯!」

 大喜びでキッチンの鴉の隣に立ち、鴉の手もとの鍋を覗き込んだ。

「おお。本格的な日本の朝食」

「具は人参と大根に揚げしかなかった。人参はひからびかけてたぞ。納豆は買ってきた」

「そんなんで、よう部屋に入れたな」

「一度玄関の外に置いて、中に入って取りに出た」

「良かった、小窓開けといて。なんか、いてるんちゃうんかと思ててん」

 そう言いつつ、丸い卓袱台を出してきて箸と湯飲み、ご飯に味噌汁を盛りつけた器を並べた。

「腹減ってきた! とりあえず2回目の出会いやけど、いただきます!」

「……いただきます」


「ここにずっとおったん?」と聞いてみた。

 しばらく黙って眼を合わせていたのが、やっと口を開いた。

「……宿代を払う」

「あ……そやな。半分くらい貰おか。いや、そういうんやなくてな。たまに帰ったらごはん食べさせてよ」

「……いいのか?」

「おらん間に家は傷む言うから。片付けとか掃除してくれたら、助かるわ」

 タカヤナギさんに聞かせると、卒倒しそうな言葉を並べて、朝食を平らげた。

「あー美味かった。ごちそうさん! 今晩は帰れんと思うけど、明後日帰れるから」


 ••✼••


 自宅に帰宅して夕食後に、またぽつりぽつりと話をしている。


 そのとき卓袱台の上には、5本のビールの空き缶が転がっていた。中身が入っていても余裕で倒せる程度のボリュームだった。

「あのさ、こないだ、取引先の同期の結婚式に出席して、親戚の小さい子どもがおったんよ。めっちゃ可愛くて。顔、見てくるし、変な顔したったら笑うし。子ども欲しいって、適齢期の女子か思うてんけど、あの小さい指で、ぎゅうって握られたり、抱かせてもろたりしたら、ちょっとたまらんくて」

「子どもが欲しいのか」

「それが、僕の場合ややこしくて。コドモが欲しいの前に、そもそも僕がそこにいて良いのかと。もう凹むし、恋愛ってなんやと思うし、こんな感情、困ってしもうて」

「ほう」

「今回当たり前のことが当たり前じゃなく、わからんままの関係に混乱しとるんや」

「そのタカヤナギには、連絡しなくていいのか?」

「あー。今日は、リノにも連絡したし、とりあえずええわ。そんで、聞いてよ。僕はあそこにおっても、ええんか?」

「……」

「だんだん三人でることが増えてきた今、微妙に僕一人浮いてないか気になるねん。でも、ソレを言えんくて。仲が悪いってわけじゃないけど」

 鴉は表情を変えずに、じっと聞いてくれている。


「僕はもともと女の子が好きやったから、三人でも楽しいわけですよ。そんであとでタカヤナギさんの様子を窺うっていう悪循環にはまっています。チサトさんに聞いてみてんけど、あんまり気にしてないらしいねん。それもどうかと思う。あのひとたち、ほんまよう似てる」

「ふーん…」

「ココへ来て、なんか微妙に、気を遣うんよ。タカヤナギさんも、まったく気にしてないんよなぁ」

「……どうだろうな。直接聞かないのか」

「うあぁ、そんなんよう聞けへんわ」

「お前は、なんというか……泥棒らしき相手に動じないくせに、以外に小心者だな」

「そんなん知ってますぅ。初対面の人のほうが、案外気が楽ちゅうか。もうほんと嫌や、こんなんでぐるぐるすんの。この状態ちょっといい加減変やろ、って思うて。AI先生に聞いてみたんやんか。そしたら、それポリアモリーって名前までついてた。これや、思うて。でもそれわかったとしても、僕のぐるぐるは軽くならへんのや」


 ••✼••


 あのとき感じたもやもやを探っていくと、「子育て」に辿り着いた。


 僕には大変残念なことに、タカヤナギさんと同じものしかついていません。出すものも精子だけですし、気合いでは子どもはできない……。

 タカやんセンパイ、僕こども欲しいんやけど。育児したい!

 チサトさん、はよう産んでー、なんてことは言えないので、僕はただ尻尾振って、彼らのタイミングを見守るだけです。

 僕、お手伝いするから。あ、子づくりではなく、子育てのほうです。

 僕には産まれへんからね。

 女子の特権、伝家の宝刀をぜひともチサトさんには使って欲しいと心から願っている。


 ••✼••


 そう明確になった気持ちを抱えてタカヤナギ邸へ行くと、なんと赤ちゃんがいた。


「え?」

 小さな駕籠のなかにタオル生地の布に包まれている。

 そっと近づいて顔を寄せると乳臭く、頬は赤くぱさついていて、顔の近くに小さな小さな爪のついた手を軽く握り、眠っていた。

「ちょ、えええええ!?」

 声のトーンを落として、小さくつぶやいた。

「コレ、誰の子!?」


 母親どうしてんの、母親! 放り出して置いて行くとかほんま、ありえへんって!

 またまた何してんの、タカヤナギさん!

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