第3話


 「捕まえた。蒼大、相変わらず逃げ足はっやっ!」


 屈託のない笑顔を向けられ、胸がぎゅっと締め付けられた。何も言えずに黙っていると、あっという間に距離を詰めてきた美月に服の袖を掴まれる。


 「あのねぇ。お化けじゃないんだから、顔見た途端逃げ出さなくたってよくない? 美月ちゃん、傷付いちゃったぞ~?」


 あざとくこてんと首を傾げて拗ねた空気を出してくる美月。けれど本気で怒っていないことが伝わってきて、少しだけ肩の力が抜けた。


 「俺の顔見たくないのは美月の方だろ」


 「なんで? 私は、蒼大の顔見たくないなんて思ったこと一度もないよ」


 思いのほか優しい声で言われ、ドキッとする。最後にあれほどひどく突き放したというのに、まるで遺恨を感じさせない様子に肩の荷が下りる。


 同時に、彼女にとっては完全に過去の出来事で、取るに足りない思い出だったのかと身勝手な寂しさを覚えた。


 「何か話したいことでもあるのか?」


 「そりゃたくっさんあるよ! あれから五年経つんだよ? 転校先の中学のこととか、高校行ってからの話とか、色々聞いてもらいたいよ。だからよかったら、これから飲み直さない?」


 「俺と二人で?」


 「他に誰がいるの~。いいじゃんたまには。幼馴染同士、水入らずで話そうよ。こうして再会できたのも、きっと何かのご縁だと思うんだよね♡」


 軽い調子で言葉を紡ぐ彼女に小さなため息を吐く。けれど、何気なく視線を落として驚いた。ショルダーバッグの肩紐を握る彼女の華奢な手が、微かに震えていた。


 (――……こんなに勇気出して声掛けてくれたのか)


 彼女の強さといじらしさに打たれ、気付けば頷いていた。


 「いいよ。割り勘でよければ付き合う」

 

 「ふはっ! 元々そのつもりだから全然いいけど。普通こういう時は『俺が出すよ』キラーン! とか言って格好良く決めるところじゃないの?」


 「悪いな。親の仕送りを抑えるために節約してるから万年金欠だ」


 「ふ~ん? なのに合コンに来ちゃうんだ?」


 「皮肉か。別に出会いを求めて来たわけじゃないから」


 「うん。どうせ友達にしつこく頼まれて仕方なく参加したんでしょ?」


 「なんで知ってんだ」


 「――分かるよ。何年一緒にいたと思ってるの」


 突然、真剣な面持ちでこちらを見つめる美月。熱っぽい眼差しを注がれてたじろぐと、彼女はにまーっと笑って口元に指を当てた。


 「ふふ。ドキッとした?」


 「性質の悪い遊びはやめてくれ。心臓に悪い」


 「ごめんごめん。蒼大の顔見ると、つい悪戯したくなっちゃうんだよね~♡」


 悪戯っぽく笑う美月が若干憎らしく、じとっと白い目を向けた。そのまま二人連れ立って地上に出る。


 無数の商業ビルに面している夜の歩道は街灯に照らされ、色とりどりの光に包まれている。


 それを受けてほんのり彩られる美月の横顔はとても綺麗で、すれ違う男たちから憧憬の眼差しを集めていた。


 (幼馴染でなければ絶対、隣を歩くことなんてなかっただろうな)


 妙な感慨に耽りながら適当に飲み直す店を探していると、腕に温もりが触れた。いつのまにか美月が身を寄せてきて、するっと腕に手を絡めていた。


 「何のつもり」


 「虫除け♡ 一人だとめちゃくちゃ声掛けられるから面倒なんだよね。その点、蒼大がいてくれたらみんな遠慮してくれるから楽で助かるわ~」


 「人間ブルドーザーか俺は」


 半眼で見下ろしつつ、深いため息を吐く。それでも彼女を振り払うことはせず、望むままにさせてやると、ご機嫌な様子で見上げてきた。


 「ふふふ。とびきりの美女と一緒に歩く気分はどう? 優越感感じちゃう?」

 

 「自分でそういうこと言う女だと分かってるから何とも」


 「え~!? 何それ可愛げない!!」


 「俺に何を求めてるんだ」


 ぶーぶー文句を言って抗議する美月を前に、ふっと笑みが零れる。まるで過去にタイムリープしたような気の置けないやり取りが懐かしくて、ただ、それが嬉しかった。


 「あっ! 蒼大が笑った! すごいレアじゃんっ」


 「は? 幻覚だろ」


 「はい~~~!? 今しっかりこの目で見ましたけどー!?」


 キャットファイトモードに突入した美月がポカポカと腕を叩いてくる。


 その時――


 猛スピードで歩道を走る自転車が接近しているのが目に入り、咄嗟に彼女の肩を抱き寄せた。


 「っぶないな」


 横を掠めて走り去って行く自転車に悪態を吐く。けれど、先ほどまであれほど騒がしかった美月が、猫を借りたように大人しくなっていて首を傾げた。


 「腹でも痛いのか? ぐふっ!」


 「ほんっとデリカシーないな! そういうことは思っても口に出さないの!」


 不意打ちで腹パンを食らわされて手でさすると、美月はいたく憤慨した様子で両腕を組み、顔を背けた。


 「余計な一言でせっかくの余韻が台無し!」


 「余韻? 何の?」


 はっとした美月がこちらを見て頬を染める。どこか躊躇う様子を見せ、ボソッと呟く。


 「……だって、昔よりずっと背伸びてるし。歩いてる時の歩幅も変わったし。でも当たり前に歩くペース合わせてくれるとことか、咄嗟に守ってくれるとことか、全然変わってない」


 「結局何が言いたいわけ」


 「変わった部分にドキッとさせて、変わらない部分にホッとさせる。緩急つけてくるのずるくない? ときめくじゃん」


 「!!」

 

 「ふふ。秘儀ときめき返し♡」


 「またこのパターンか。もう慣れてきた」


 「耐性つくの早すぎじゃない? あーあつまんないなー。もっとときめいてほしかったのにな~」


 本気か冗談か分からない態度で笑いながら、通りかかった居酒屋の前で足を止める美月。


 「あ! この店よさげじゃない? 飲み放題にしては安いよ!」


 「ほんとだな。じゃ、ここにするか。でもあんまり飲み過ぎるなよ」


 「大丈夫! お酒には強い方だからさ。もし蒼大が酔っちゃったら私が介助してあげるよ。ふふん。任せなさい!」


 仁王立ちでどーん! と胸を張った彼女が鼻歌交じりに店に入って行く。ステップを踏むような足取りの彼女を追い、二人だけの飲み会を楽しんだ――のだが。


 帰りにとんでもない展開が待っていた。


 「おいっ、マジで起きろ……っ!」


 「むにゃむにゃ。生ビール追加でお願いしま~す♡」


 「俺は店員じゃない。あーもう、なんでこんなことに……!」




 遡ること十分前――


 酒に強いと豪語していた美月が、蒼大の制止を振り切って酒を煽り続けた結果、酔って完全に寝落ちするという最悪の事態に陥った。


 (今の家なんて知らないし、勝手に荷物を漁るのは抵抗がある。だからってこのまま一人で置いていけない。詰んでるだろ)


 美月は蒼大の背中で呑気に寝言を零しつつ、首にぎゅっと巻き付いて離れない。彼女をおんぶして歩いていると、道行く人たちから生温かい目で見守られる。目立つのが苦手な蒼大の羞恥は、今にも限界に達しようとしていた。 


(いっそ美月だけホテルに泊まらせるか? でも朝起きた時、見知らぬ場所に一人はビビるよな? 状況説明したいけどもう連絡先知らないから難しいし、メモ残すにしてもホテルの部屋に二人きりはさすがに……)


 頭を悩ませた末、苦渋の決断で自宅に連れ帰ることにした。女性を背負った状態で公共交通機関を利用するのは現実的でなく、仕方なく大通りでタクシーを拾う。運転手に確認したところ支払いにクレジットカードが使えたので、あまり現金の手持ちがなかった蒼大はホッとした。


 「お客さん、着きましたよ~!」

 

 「ありがとうございました」


 おしゃべり好きで人のよさそうな男性運転手に礼を告げ、脱力した美月をどうにか抱え上げる。


 自宅のあるアパートのエントランスで近所の住人とすれ違い、訝しげな視線を向けられたがどうしようもなかった。


 パンツのポケットを探ってキーケースを取り出し、何とか鍵を開ける。玄関に入って扉を閉めると、どっと疲れが噴き出た。


 美月の靴を脱がせ、ベッドに運ぶ。そっと横たえると、彼女は幸せそうな寝顔のまま仰向けで寝息を立て始めた。

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