第9話 深夜のガールズトーク

 貴重な油を用いて、敵兵の亡骸なきがらは丁重に荼毘だびされる。


 太妃は、荼毘だびに付された敵兵の亡骸なきがらを前に静かにひざまずく。

 そん家の子弟を始めとして諸将もその後ろにひざまずいている。その中にはシャオの姿も見受けられる。

 その姿を荷馬車の上から見留めた紅紅フォンフォン急ぎ駆け付けて、同じように隣にチョコンとひざまずく。

 施ラン紅紅フォンフォンの無事な姿を見付けると、ニッコリと微笑みかける。


(これだけの恐ろしい体験の中だって言うのに、施ラン様は昔と変わることなく、あたしのことを見守ってくれてる。あたしのことを! ひょっとして?)


「敵の兵とて、死ねば等しく土にかえるのです」

 それだけ口にすると、太妃は静かに目を閉じ合掌がっしょうする。

 ひざまずく一同もそれにならう。


 灰色の煙は、絶えることなく空へと立ち昇り続ける。

 手を合わせた紅紅フォンフォンもその棚引く煙の先をジッと見詰める。


(空に舞い上がった魂は、どうやって土にかえるのかしら?)



 戦場から数里ほど移動した先に開けた牧草地が広がっていたため、本日は出立してから初めての野営をすることとなる。


 出立からこのかた袁術えんじゅつ軍の追撃を警戒して、夜も隊列を維持しながらの休息や随時に小休止を挟みながら先を急ぐという正に強行軍であった。

 しかしながら袁術えんじゅつ軍の脅威を討ち破ることで今夜からは隊列を解き、ゆっくりと野営することが可能となったのである。


 荷馬車を最奥さいおうに並べて、周りに陣幕を張って幕舎ばくしゃとする。

 幕舎ばくしゃ内では二人一組での簡易な寝屋が設えられている。

 親衛隊の兵士などは、荷馬車などを利用しながら布一枚を地面に敷き束の間の休息をとる。


 義侠団は更に幕舎ばくしゃを取り巻くように、敷布一枚に数名が固まって雑魚寝ざこねをしている。

 時折、篝火かがりびの下から街道の様子を交代で見張っている。


 篝火かがりびの火の粉が夜風に舞い、あかの光点が牧草地を上から薄っすらと照らす。

 虫の音が辺りの静寂しじまに溶け込む、穏やかな夜を迎えている。


 小さな寝屋には香炉こうろが置かれ、安眠と虫よけを兼ねた香が揺蕩たゆたう。

 そこには紅紅フォンフォンシャオが寝屋を共にしている。

 翠蓮すいれんは「孫家の姫サマと寝所を共にするなどおそれ多い」と、いつもの荷馬車の内でくるまっている。


「眠れないの?」

 不意にシャオが寝たふりをしていた紅紅フォンフォンに静かに問い掛ける。


 紅紅フォンフォンは恥ずかしそうに寝返りを打って、シャオの瞳を見詰め返す。


「あたし戦争って初めて経験したの。シャオの言う通りに固く目蓋まぶたを閉じて、耳だって両手でふさいでいたわ。それでも荷馬車を伝わる重々しい振動、誰とも知れない大きな声、そして時折ただよってくるびた鉄のような血の匂い。どれも脳裏に戦いの様子を想像で描き出されていたわ。本当に怖かったの」

 そう言うと微かに肩を震わせる。


 シャオは隣に寝そべる女の子の頭を、何度も何度も撫でつける。


「いつだって戦争は恐ろしいものよ。こんなに穏やかな夜なのに。それでも昼間の光景は脳裏を離れてくれないわ。わたしだって怖くって、なかなか寝付けないくらいだもの」


「そんなことないわ。ホント、シャオって凄かったわよ! 翠蓮すいれんが耳元で、もう安全ですって伝えてくれた後でも、シャオ裸馬はだかうままたがって小脇に短鎗たんそうを携えているんですもの」

 深夜の天幕の中、紅紅フォンフォンは興奮しきりに話し始める。


「お陰でお尻が今でもヒリヒリするんだけどね。もう二度とくらを載せてない馬には乗らないわ」

 シャオは少しお道化どけた口調で語り掛ける。

 

 紅紅フォンフォンは少しだけ考えると、おもむろに全く違う話を切り出す。

「ところでシャオは施ラン様のことって、どう思ってるの?」


 突然の問いかけに戸惑いながらも、静かに答えて見せる。

「いつも素敵って思って見詰めているわ」


(そうよね。周りは男兄弟に囲まれて、施ラン様は唯一の男性だもの。その上あんなにイケメンなんだから、意識しないわけがないわ)


 紅紅フォンフォンは顔に諦念ていねんの表情を浮かべて、言葉を選びながら話を進める。

「そうよね。昔っから施ラン様はそうだったわ。シャオは施ラン様のどこが一番素敵だと思ってるの?」


「そうね。足とか」


(確かに足もスラってしてるけど、意外にシャオって足フェチなのかしら? まぁ、イキナリの顔面がんめん至上主義よりはマシよね)


「それでも一番素敵なのは、視野の広さかしら?」


(ん? 待って。視力が良い男性が好みだなんて、フェチが過ぎるわ。ナシ寄りを飛び越えちゃってるじゃない!)


「す、素敵なポイントが足とか視力って、シャオってば冗談ばっかりなんだから」

 さすがに紅紅フォンフォンは、冗談だと思い苦笑いで応える。


「冗談なんかじゃないわ。戦場では一番大切な素養よ。特に施ランの足の運びは洗練されてて、なかなか次の動きを読ませないの。それにいつだってお母様のふる軍扇ぐんせんを視界に捉えていて、陣変えも率先して周りを指揮してるわ。今日だって戦局を一変させたのは、施ランの打ち鳴らす鐘の音だったのよ」


シャオよく聞いて。あたしは素敵な男性の話をしてて、素敵な兵士の話をしてるワケじゃないのよ」


「そんなの分かってるわよ。わたしが施ランを見て凄いって感じるのはそこなんだから、何も間違ってはいないはずよ」


(ひょっとして?)


「改めて訊くんだけど、シャオにとって一番好みの男性って誰なのかしら?」


「そんなのけん兄様に決まっているじゃない」


(即答だわ! きっとシャオは、まだまだ恋愛に目覚めてないんだわ。それとも極度のブラコンなのかしら?)


 紅紅フォンフォンは小さな溜息をひとつく。


「そう言えば孫権そんけん様で思い出したんだけど、施ラン様が『日の君』って呼んでたのは何故なの?」


「そうね。わたしもお母様に聞いた話で、意味まで詳しくは教えて下さらなかったの。ただ昔から伯符はくふ兄様は『月の君』、けん兄様は『日の君』って、みんなに呼ばれているわ。呼ばれてないのは、わたしだけ……」

 シャオは悲し気に話を打ち切る。


シャオは気にすることなんて無いわ。きっと素敵な男性に巡り合えるに違いないわよ。そのためだったら、あたしが全力で応援するんだから!」

 紅紅フォンフォンは半身を起こして、やる気満々にガッツポーズを作る。


シィ――ッ!


 突然にシャオは、紅紅フォンフォンの話を遮ると一転厳しい表情に変わる。


「今の音、聞こえた?」

 シャオが短く小声で尋ねる。


 紅紅フォンフォンは改めて耳をそばだてる。

「分からないわ。あたしには周りの虫の声しか聞こえないわ。あとは森に住むフクロウの鳴き声くらいかしら、それもかすかにしか聞こえないわ」


「それがおかしいのよ。わたしは亡きお父様がプレゼントしてくれた、白くて立派なフクロウを飼っていたの。だから知っているわ。フクロウの鳴き声が、もっと深い音で遠くまで響き渡ることを。だけど今、聞こえてくるのは単調な音。絶対にフクロウの鳴き声なんかじゃないのよ。それに、この音は規則正しく音の回数が決められてるみたいなの」


「それって、ひょっとして……」

 紅紅フォンフォンにもピンときたのか、声のトーンを落として恐る恐るシャオに問い掛ける。


「間違いないわ。未だ知らない新手あらての敵が近づいてるってことなんだわ」

 


***



【用語註】

・幕舎:野営で用いる大きな布張りの仮設宿舎。将軍・貴人用で戦場では周囲に柵や兵を配す。

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