第2話 夜を漁る者
西暦20xx年6月某日 26時29分 新宿
梅雨時にしては珍しいくらいにくっきりとした下弦の月が正面の高層ビルより低い位置にかかっている。
すぐ右隣には夜空の暗幕をピンで突いたような明星が金色に輝きを放っている。
不夜城の街灯りが漆黒であるはずの夜空を僅かに青く染め上げ、そこに描かれるべき星々を塗りこめていた。
「ドッグスの連中、来てるわね。相変わらず騒がしい」
ノートPCサイズの情報端末のバックライトに照らされて端正な貌が浮かび上がる。アシンメトリーボブの髪に縁どられた横顔が無表情につぶやく。
大人びて見えるが年齢はまだ二十歳には届いていない。
瞳がブルーライトを反射してほんのりと紫色を帯びる。
少し離れた隣で、ウェアラブル端末機能を持った
こちらは高校生くらいだろうか。
「フライングしたところで勝ち目が増えるわけじゃないってーの。そんなことも分からない
二人は廃ビルの屋上にいる。この高さでも風は微風。
駅前のロータリーにはいくつか車が停まっているが、動いている車両は少ない。
情報端末には線画で描かれた周辺地図が表示されており、黄色の光点が五つ動いている。画面の右端にはチャット欄が表示されていて、先ほどから頻繁に会話が更新されている。会話の端には『バロック・ドッグス』というチーム名と番号が振られている。
黒髪の女性が通信を傍受して敵の動きをリアルタイムで追尾しているのだ。先ほど彼女が騒がしいといったのも物理的な騒音のことではなく、ネット上の情報のやり取りのことを指している。
画面の左上には別のウィンドウが開いており、大きめのフォントで時間が刻まれている。
時刻表示の下に並んだ文字列は――
【案件コード】 :No.9067-unspecified
【依頼主】 :枢密統制機構運営本部
【報酬】 :1000万クレジット
【参加フィー】 :500GEM《ジェム》
【制限時間】 :九十分
【依頼ランク】 :C
【ターゲット】 :旧軍資料保管庫内の
【ミッション】 :フリー争奪型
【ロケーション】:西新宿・旧強羅百貨店本店地下3階(閉鎖済み)
【情報概要】 :
地下に眠る旧軍資料保管庫跡地に
「時間だ。レイドを開始する」
隠れる場所のないビルの屋上にもう一人、男が姿を現す。
二十代前半だろうか。中性的で整った顔立ちをしてる。黒に近いダークグレーの髪が風にさらりと流れる。切れ長の目は瞳孔が小さく感情が読み取りにくい。鋭くすべてを透徹するような視線は、前髪を軽く左に流した髪型と相まって理知的な印象を放っている。黒のタイトなアンダーレイヤーの上に装備類を仕込んだベスト姿で、防御よりも動きを重視した服装だ。細身に見えて締まった筋肉のついた体からは油断ならない攻撃力を秘めていることが感じ取れる。
突然現れたように見えた男性に女性陣は慌てる様子もなく小さくうなずいた。
この男がリーダーなのだろう。
同時に
身長は二メートルに届こうかという体躯にみっしりと筋肉がついている。
手にした拳銃型デバイスのスライドを引いて弾丸を薬室に送る音が響く。
暗闇に溶け込む都市迷彩色のコンバットスーツと拳銃型デバイスを扱う手つきから、大男が傭兵出身のたぐいであることがうかがえる。
大男は拳銃型デバイスをホルスターに戻し、斜め掛けしたアサルトライフルの位置を直す。続いて予め用意していたロープをパラペットの外に投げる。
ロープが下まで垂れたことを確認すると、大男は
続いて赤髪の少女が狭い屋上を走り出す。と、そのままパラペットを踏み切って通りの向こう側のビルを目掛けて跳んだ。
十五メートルはあろうかという距離を、助走と高低差を活かして飛び越える。もちろん純粋な身体能力だけではこの距離の跳躍は不可能だ。踏み切りの瞬間と着地の瞬間の二回、ブーツが発光して少女の身体能力を強化したのだ。
少女はパルクールの要領で着地時にくるりと体を回転させて勢いを殺し、そのまま次のビルの屋上に向けて走り出す。
少女のジャンプを見届けて、リーダーの男がロープを手に取る。
「ユナはここで情報管制を頼む。
「了解」
その言葉が空中に拡散するかしないかのうちに、リーダーの男も屋上から姿を消した。
リーダーの男が地上を先行していた大男と合流し目的地を目指す。
目的地から比較的遠くに離れて待機していたのには理由がある。一つは後方支援メンバーの安全確保のため。もう一つは競合チームとの遭遇戦回避のためだ。
タタタタッ、タタッ、タタタッ
小気味よいスタッカートが結界で人払いされた街に響く。
『バロック・ドッグスとエリアナインがビルの入り口で交戦中。っていうか、これってドッグスが一方的にやられているわね』
ユナと呼ばれていた女性の声がイヤーモニタから状況を教えてくれる。
どうやら直線的に目的地のビルを目指したバロック・ドッグスが待ち伏せにあって隣接するビルの上から十字砲火を浴びているらしい。だが、よほど良い防具を装着しているのか、思いのほか生き延びている。赤い光点が二つ、移動を止めて白表示に変わる。
ボシュゥゥッ、ヒューゥゥゥ
尾を引くような飛行音のあとにビルの上部から閃光が漏れる。
『驚いたわ。ランクCの依頼にロケットランチャーを持ち出すなんて。ドッグスの連中、相当羽振りがいいのね』
ユナの情報端末に表示されていたオレンジの光点が三個同時に白に変わる。
反対側のビルの屋上から射撃を続けていたオレンジの光点は同じ攻撃を食らわないように移動しているようだ。
「もう少し互いにつぶし合ってくれることを期待したんだがな」
リーダーの男が聞こえるか聞こえないかくらいの小声でつぶやく。
目的地のビルが見えるところまで来て見ると、地上の入り口に
大男が先行してビルの一階入り口の
ビル外周を警戒中のリーダーのイヤモニタに赤髪の少女の声が聞こえてきた。
『中継器、設置したわよ。感度いかが?』
「オーケー、感度良好」
赤髪の少女が屋上伝いに目的地ビルに近接した位置に無線中継器を設置した。待機地点にいるユナから中継器までは超指向性レーザーで見通し距離での通信を行い、ビルの中への通信は中継器から無線で行う。後方支援メンバーの居場所を敵チームに悟らせないための処置だ。
「よし、
『了解。
「そっちはおまえがいるんだから問題ない。それより早くしないと置いていくぞ」
『すぐ行く』
桔花と呼ばれた少女がビルの非常階段に向かう。
「面倒ね」
桔花は走ってきた勢いをそのまま生かして非常階段の手すりを飛び越える。
「よっ」
小柄な体が向かい側のビルのガラス壁を柔らかいタッチで蹴り、元のビルの五階下の非常階段に戻ってくる。
「ほっ」
非常階段の手すりを靴底で器用に滑り降り、踊り場から飛び出す寸前で手摺りを捕らえて鉄棒競技のように回転し下の階に体を送る。
「はっ」
今度は二つ下の階の手摺りに柔らかく着地すると、バク転で非常階段から離れて地上に降り立った。
そのままリーダーの待つビル入り口に駆け寄る。
「お待たせ」
「よし、行くぞ」
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