『GECKO』04 遭遇――ナブラ残渣の正体:甲殻に覆われた砲塔

GECKO隊はラグナデルタ14区画に向けて歩みを進めていた。

 廃墟のようでいて、しかし人々の熱気や思惑がこもり、複雑に入り組んだ階段や通路は無秩序に増改築を繰り返していた。

 地下であるはずなのに縦横無尽に連結し、まるで、生きている迷宮のようだった。

 ブリコラージュされた雑居ビル群に迷い込んだかのようで、配管の蒸気が噴き出すたびに壁に張り付いた「賭博」の看板が点滅を繰り返している。

 滴り落ちる水が地面に点々と孤島のような境目を生み、反射した街のネオンの歪みが明暗を切り分けていた。

 その水溜まりに浮かぶ虹色の油膜が歪んだネオンの反射と重なり、幻想と荒廃が同居する空気を醸し出す。

 その光の揺らぎは昼夜の境界までも混ぜ合わせ均一にしてしまった街の印そのもののように思えた。

 

「…この街はずっとネオンがついてるのかな」

 カナタは水溜まりに淡く反射する自分の顔を見つめながら呟く。

「当たり前だろ、ここは地下だぞ。ここには昼も夜もねーの!消えたら何も見えねーだろ、ただでさえ薄暗いのに」

 蟻縞が応じる。

「でもそれじゃ、時間感覚とか…」と言いかけたカナタの言葉をCPが引き取った。

「その感覚すらこの街では贅沢品なんだろ。だがこの街も、食い物に困らねーだけマシじゃねぇか。VLもあるしよ。食いたい時に食って、寝たい時に寝る。それだけだ」。

「生まれ落ちた環境によって人生の優先順位は違うのよ。カナタの”普通”はこの街では奇跡に近いと言うことね」

 ギンの言葉には何かを含ませた静かな響きがあった。

 

 カナタは自分の視野の狭さを痛感した。

 父親の顔はうろ覚えで、母親の顔は覚えている。

 だが、蘇るのは化粧の匂いと見知らぬ男に笑いかける横顔ばかりだった。

 12歳になる頃から、兵士としての訓練に人生の時間の殆どを費やしてきた。カガミ長官を父とし、GECKO部隊を兄弟として生きてきた。

 家族と食卓を囲んだ事は殆どない、だが、食べ物に困る事もなかった。

 そんな自分が恵まれていないと思い込んでいた。

 だが、現実は違った。

 この街には金のために売られた子どもが労働力や性搾取、暴力の対象になり不必要になれば捨てられる。

 そして、生き延びるために再び支配下に戻る。

 それでもこの街の子ども達は、逞しく盗みや暴力を糧に生き延び、少なからず笑顔を見せる子供もいた。

 大人も子どもも、今日を生きることに必死で、目の前の得ることのできる欲望に忠実に生きていた。

 その笑顔は、自分の笑顔よりもどこか本物に思えた。

 このラグナデルタはいつまでも同じ熱気や臭気を漂わせて、広く、終わることなく続いているようだった。

 

 一行はもう何度も狭い路地を抜け、大小様々な錆びついた階段を登り下りし、少し開けたかと思えば、また狭い路地や階段、回廊が迷路のように現れる。

 

「それにしても、同じとこ何度も歩いてるみたいだ、14区画まであとでどれくらいだ?イーサン」

 蟻縞が額の汗を左手で拭いながら問う。

「ナブラ残渣の現場から14区画までの時間的距離なら…」ほんの数秒イーサンは演算した。

「あと1時間16分後に到着予定」

 イーサンは機械的回答をした。

「イーサンはこの都市の構造が全部わかるのか?」

 カナタが問う。

「全部ではない。なぜならこの都市は生命的進化を模倣している。気づけないほどの遅さで少しずつ構造が変わっていくんだ。だから、過去の記録とEMAが提供する情報のユークリッド的距離空間と人間が持つ方向感覚みたいな漂流的距離空間を演算してる」

 イーサンの声は淡々とした明るい声だったが、その言葉の奥にはどこかアンドロイドとは思いづらい有機的な論理が宿っていた。

「だからこの都市、特にラグナデルタでは大体の時間的距離は計測できるけど、100%ピッタリと言うわけには行かないんだ。むしろ半径1キロ圏内みたいな短距離ではホンザみたいに漂流的距離空間の感覚が優れてる人の方が正確だったりする」

「そ…そうなのか」カナタは苦笑いながら理解したフリをした。

 

 ペピンが足を止め、帰還したS2-コクローチを拾い上げた。

「確実に標的に近づいていると思われる。さっきのナブラ残渣と同じポリマー崩壊片とアミド系ガスのデータが濃くなっている」

 彼は情報を回収し再度S2-コクローチを地面に放した。

「ここからは完全に気配を消して進む。フォーメーション『スネークライン』。クリアリングを怠るな」

 ギンの指示が飛ぶ。

 すかさずGECKO部隊は狭路用フォーメーション――『スネークライン』に移行した。

 

 この隊列はホンザを先頭に、CP、カナタと続き、中央にイーサン、ギンが配置され、後衛に蟻縞、ペピン。

 この蛇のように一列に連なり、都市の迷宮を這うこの布陣には、明確な強みがある。

 

 第一に、先制と突破。

 先頭のホンザは異常感知と近接戦闘に秀で、前線における突発的な接敵を即座に受け止める。直後のCPは重火器で狭路を制圧し、進路を力ずくで切り開く。カナタは第三列から射撃で支援し、前衛の突破力を補完する。

 

 第二に、制御と指揮。

 中央のイーサンは電子干渉や標的の属性を解析し、隊の連携を演算して最適解を導き出す。その後ろに続くギンは、状況に応じて即応射撃と指揮を繰り出しつつ、前衛、後衛どちらにも動ける位置にあり、全隊の呼吸を一つに束ねる

 

 第三に、監視と補完。

 後衛には蟻縞とペピンが控える。蟻縞は狭所でも正確に射線を通す冷静さを持ち、ペピンはA.D.S.T(アタッカー、ディフェンダー、サーチ、タクティカル)の4種のドローンで死角を潰し、前衛、中衛の援護もする。この両者の組み合わせは、背後からの奇襲や潜伏敵を許さない。


 こうして前衛の突破力、中央の制御力、後衛の監視力が噛み合うことで、GECKO隊は「どこから攻められても崩れない一列の蛇行する一つの生命体」となる。

 これは狭所において非常に有効な戦術陣形だった。

 

 この狭く薄暗い地下街路をGECKO隊は蛇のように連なり、迷宮を這うように死角を殺しながら無駄のない動きで進んでいた。

 狭い通路の壁面に張り巡らされた配管からは一定の間隔で水滴が垂れ落ち、その音が水溜まりを踏み締める足音と重なる。

 時折、配管の継ぎ目から白い蒸気がシュー、という音をたて吐き出され、頼りない灯りが水蒸気に乱反射する。

 一辺が10mほどの少し開けた空間に出ると、積み重る上階のバルコニーからは洗濯物が垂れ下がり、干された布の隙間から女が一瞬こちらを見て、すぐに身を隠した。

 その隣のバルコニーからは、子供の瞳がこちらに視線を向けている。片手に食べかけのパンを握り締め、咀嚼を止めたまま黙ってGECKO部隊を見送っていた。


 何かの気配を感じ取ったホンザが掌を開いたまま肩の位置まで上げる。止まれの合図。 それに連動し隊列の気配は沈黙へと変わる。

 次にホンザは指で自分の両目を指し、右の曲がり角の奥に佇む暗がりへ伸ばした。

 ――『敵の可能性』

 それだけで全員が理解する。

 蟻縞は無言で頷き、銃口を向ける。

 CPは肩越しに後ろを振り返り、握った拳を突き出す。ホンザのカバーに入るという意思を伝えた。

 ギンが頷き返し、銃口は前方に向けたまま、左手の指先を左右に開いて「間隔を広げろ」の指示を追加した。

 その合図で全員が適所にポジショニングを確保し戦闘体制に入った。

 

 そして、沈黙した空気が動き出す。

 ホンザが飛び出し、CP、カナタが続く。

 しかし、そこにいたのは、強力な麻薬を喰らい奇怪な動きをする若者だった。この微かな常人とは違う動きをホンザは姿を見ずに感じとっていた。

 ホンザは若者を壁際へそっと押しやり、周囲に危険がないことを確かめた。

 CPが拳を握り親指を立てる。

 

 ――クリア。


 臨戦体勢からほんの少しだけ気持ちが安らぐ。このほんの少しの気の安らぎを認識することは、任務中における極限ストレス環境下では重要な意味を持っていた。

 

「気を抜くな、まだ標的の排除は済んでない」

 ギンは短く釘を刺す。

 カナタは息を呑んだ。

「……こんな人間がここには普通にいるのか」

 

 都市の外殻に強く雨粒が当たり始めていることに気づいた。

「雨だな……」蟻縞が呟く。

「ウルファトの情報通りだ」

 ペピンが応じる。

 雨音が索敵を妨げる中、一行は慎重に14区画へと進んだ。

 

 ほとんど人気のないところまで歩みを進めた。

「ここから14区画に入る」イーサンが一言伝え、さらに続けた。

「Heme-odor反応スコア42、微量磁気応答あり、これは血液の可能性あり。もしくは雨による錆の発生かもしれない。高濃度臭気プルーム発生源解析中…」

 イーサンの声が、湿った地下街路に吸い込まれていく。

「……血?」

 カナタは不思議に思った。自分の嗅覚では何も感じ取れない。

「俺には、そんな匂い……」

「感じ取れるはずがないわ」ギンが淡々と遮った。

「イーサンはアンドロイドよ。彼の嗅覚は記号で世界を嗅いでいるの」

 ギンの声には安堵も緊張もない。

 ただ任務に必要な事実を告げる響きだけがあった。

 カナタはその冷徹な説明に、改めて自分が「人間」であることを強く意識させられた。

 

 これはイーサンの嗅覚とも呼べる索敵システム『Aero Sense H3』の反応だった。

 彼の明るい無邪気な声は、分子を検出し数値化するたびに音声化され、隊に通信網を通して伝えられた。

 E2Dやアルデヒド群などの血臭キーの分子を検出し、酸化鉄微粒子が発する微弱な磁気応答で補足し、さらに気流を解析し発生源を逆算する。

 最新型の戦闘痕跡追跡システムだが、外気による気流の乱れには弱かった。

 それは人間の嗅覚とは似ても似つかない、――アンドロイドの嗅覚だった。

 

「Heme-odor反応スコア78。発生源を捕捉。進行方向、南西210m前後」

 イーサンの嗅覚にさらなる反応が出た。

 ペピンは素早く端末を静かに叩き、展開してあったS2-コクローチにイーサンの示したポイント周辺の索敵指示を出す。

「ペピンのドローンに反応があるまでここに待機」

 ギンの指示が接敵の緊張感を高めた。

 全員が気配を消し、ギンのハンドサインと共にポジショニングを確認する。

 カナタはアサルトライフルのグリップが、グローブから滲み出る自分の汗で少し滑ることに気づき、体でグローブごと手を拭いた。

 

 息を殺し数分の時間が経過した。

「標的を捉えた。こいつは…。間違いなく”AURMA(Augmented Unstable Reproduction of Machine Anima )”だ」

 すぐさまペピンはリンクを開き、全員の視覚回路にドローン映像を流し込んだ。

 それは暗闇の片隅で蠢く明らかに異形の姿をしたものだった。

「アイツ、何やってんだ?」

 暗闇が邪魔し、蠢いている姿しか確認できない標的を見てカナタが言った。

「暗視システムに切り替えよう」

 ペピンが端末を操作する。

 すると、映像は拡大され、ざらついた粒子で少しぼやけるものの、ほとんど日光下の明るさになり、通路が繋がる少し開けた空間の片隅で蠢いていた異形の姿が視認できた。

 

 硬質に見える殻に覆われた躯体は、節足動物と兵器を無理やり掛け合わせたかのようで、その球殻には無数の突起があり、中央に青白い単眼を持ち、そこから神経組織のような繊維状の物質が垂れ下がる。脚部には、昆虫のような関節とその重さを支える重厚な太さを備え、両肩には脚部以外を保護するように、湾曲した甲殻から棘を逆立て、その甲殻と頭部の隙間から砲塔のような筒が備えられていた。

 

 その姿は攻防一体の構造で、機械と生物の境界から無理やり引きずり出されたような異形だった。

 そのAURMAは破壊された人間の死体に触手を絡めていた。触手はケーブルのようでありながら、表面には脈打つ神経線維が這い、吸い上げるように肉体を分解していく。

 ――ズズッ、と。

 皮膚が溶けるように剥がれ落ち、赤黒い臓器が崩れていく。触手は一つひとつが生き物のようにうねり、神経信号めいた微弱な電流を走らせながら、死体の内部に潜り込み、漁っていた。

「……食ってるのか?」カナタが少し震えた声で言う。

「違う」イーサンが即座に否定する。その声は明るくありながら、どこか力の籠ったものだった。

「解析だ。ゲノムレベルの情報を…吸収している」

 カナタは言葉を失った。目の前の存在は捕食でも分解解剖でもなく、まるで 記録装置のように人間を“読み込んで”いる。

 「…これが、AURMA?…」カナタが押し殺した声で言う。

「あれは『カプリシス・バレルム』だ」ペピンが種と特定した。

「この陣形を維持。奇襲を仕掛ける」

 ギンは戦術を決定した。

「標的に気づかれないように動け」ギンは静かに続けた。

 

 震えた手で額の汗を拭うカナタを見てCPが笑う。

「慌てるなよ、跳弾は仲間にも当たるからな。コイツは楽勝だ。訓練通りやればすぐ片付く」

「りょ…了解」カナタ喉を鳴らし応えた。

「この雨音じゃ、ほんとに接近するまで気づかれやしない、ホンザとCPだけで片付くかもな」

 蟻縞はさらにカナタを安心させるが、銃を構える姿勢はすでに交戦体勢に入っていた。

 その二人の余裕とも取れる声に、カナタの震えた手は落ち着きを取り戻すが、心はかえって乱れた気がした。

 

 視覚共有システムを解除し、一行は足音も気配も消して進行した。隊列は崩れない。

 ホンザを先頭に、獲物を狩る蛇のように連なるスネークライン。

 通信の微弱な電波を標的に感知されないように、ハンドサインやアイコンタクトで連携を取りつつ静かに確実に歩みを進めた。

 

「標的まで100mを切った」イーサンが小声でギンに伝え、ギンが蟻縞にポジション確保の指示を出す。

 続いて、ホンザ、CP、カナタにそのまま進行を進める合図を出し、ペピンはA3-シケイダを2機展開しD-1バタフライ1機をホンザに追尾させる。

 一行は完全な戦闘体制に入った。

 

 ペピンはあと2回前方の角を左折し、そこの開けた空間の向かって右奥に標的がいることを前衛にハンドサインで告げる。

 そのサインを受け取り前衛3人はさらに慎重に、闇に紛れる空気のように足取りを進めた。

 

 ホンザが手を上げ止まった。標的確認の合図。ギンが頷く。

 ホンザは通路の配管の上に音もなく登り、影に溶けた。

  

 CPとカナタ、ギンが標的がいる空間までの最後の角から瞬間的に顔を覗かせ標的を視認する。

 カナタは初めての本物のAURMAを見た。

 自分とAURMAの距離は30mほどだった。 その異形は薄暗いネオンの下で、座礁したイルカのように横たわる人間の死体を解体し、蠢いていた。

 熱中している様子で、まだこちらには気づいてはいない。

 だが、カナタは喉が渇き、呼吸が早くなり、胸が押し潰されそうになるような圧迫感に襲われる。

 息を殺そうとしたその瞬間、微かな呼吸音が漏れた。

 AURMAは素早く頭部を上げ、ゆっくりとこちらを振り向いた。


「――ッ!」


「戦闘開始!」ギンの合図に全員が呼吸を合わせたように動き出す。

 CPが飛び出し、重火器が咆哮する。マズルフラッシュが闇を裂き、弾丸の雨が標的の動きを封じた。

 だが異形は両肩の甲殻を展開し、まるで盾のように弾幕を受け止める。着弾の衝撃で甲殻が火花を散らし、CPの弾丸は潰れて床に転がった。

 「硬い!」CPが叫ぶ。

 その隙に上部の配管の影に潜んでいたホンザが標的の甲殻目掛け飛び降りる。ホンザの音響ナックルの衝撃波が、重低音と共に空間を震わせ、標的の盾のような甲殻にヒビが走った。


「カナタ!ボケボケするな!畳みかけろ!」

 ギンの声。

 その声にカナタはすかさず反応し、銃口を標的に向ける。しかし、興奮か恐怖か。

 腕が震え、エイムが定まらない。

「遅い!」

 その一言と共にギンが低い姿勢で滑り込みながらホロサイトを覗き、VT-48のトリガーを引く。

 銃口から吐き出される音速の帯は、標的の甲殻に刻まれたヒビを僅かに広げただけだった。

 

 直後、標的が両肩の甲殻を大きく開いた。青白い単眼が薄暗い空間に浮かび、その脇の砲塔がホンザを狙う。

 次の瞬間、その砲塔から壊れた消火栓のように黄色半透明の強酸性腐食液が噴射された。

 ホンザは猫科の獣のような俊敏な動きで跳躍し、上部の配管の上に戻る。

 砲塔から吐き出された液体は床と壁に飛び散り、ジューと音を立てながら、煙を上げた。

 

 立ち上る煙からは胃酸のような匂いが漂う。

 床や壁の鉄板は泡立つように溶け始め、繋がっていた配管が崩れ落ちた。

 その攻撃力を目の当たりにしたカナタは、自分の心拍が強く脈打つ感覚があった。

 

 ギンはマガジンのリロードをしながら歯を食いしばる。

 それを見たCPは、熱くなった銃身に気付いてはいたが、再度トリガーに指を掛けた。

 その時。

「任せろ」

 ペピンの声が冷静に割り込む。直後、A3-シケイダ2機が飛び出し、標的に突撃。

 閃光と爆音。

 甲殻が裂け、逆立った棘のような突起が弾け飛ぶ。

  

「カナタしゃがめッ!」

 エイムを標的に合わせ、蟻縞が叫ぶ。

 カナタは反射的に身を伏せた。

 スコープ越しの視界からカナタが消え、構える銃口から3連バーストで発射された弾丸が音もなく火を噴く。

 倒れ込んだカナタは頭上で3回連続して空気が切り裂かれる音を感じ取った。

 蟻縞の弾丸は、全弾、標的の青白く光る単眼を撃ち抜いた。


 視界を失った標的は触覚を失った昆虫のようにもがき、何度も砲塔で撃ち抜かれた単眼を擦りながら壁にぶつかっていた。

 

 最後にCPが標的の姿が千切れ、弾け飛ぶほどに弾幕を浴びせた。

 かろうじて原型がわかったものは、痙攣する標的の脚と、蠢く神経細胞のような触手、飛び散った標的の体液だけだった。

 火を吹いた弾丸の薬莢から漂う火薬の煙と、胃液を逆流させたかのような酸っぱく苦い臭気が残り、カナタは吐き気を堪えるように口を押さえた。

 

 漂う白い煙は路地にしつこく残り、金属を焦がしたような匂いが喉に張り付いて離れなかった。

 カナタは銃を下げたまま立ち尽くしていた。

 指先は震え、汗が冷えて張り付いている。

 標的は確かに倒れた。だが、その残骸がピクピクと痙攣する様子が目に焼き付き、まぶたを閉じても消えない。

「……これが、本物……」

 声に出したつもりだったが、自分の喉が鳴っただけだった。

 肩に重い手が置かれる。振り返るとCPだった。

「気にすんな。初めての実戦は誰だって震える。生き延びたじゃねぇか。次は先頭に立たせるぞ!ガハハっ!」

 目の前に立つこの男の背中は大きかった。「それにしても臭ぇ」CPの豪快に笑う声はこの場の臭気さえ吹き飛ばすようだった。

 

 蟻縞はスコープを畳みながら「よかったな、カナタ。ホンザが先頭は俺だって顔してるぞ。はぁ〜今回はイージーゲームだったな」と肩をすくめる。

「1体ならな、カプリシス・バレルムは本来社会性AURMAだ。群れで行動する性質を持つ。複数体いた場合、もう少し難易度は上がっていただろう」

 ペピンは淡々と残骸をスキャンしながら蟻縞に答える。

 イーサンは周囲の酸濃度を計測していた。

 誰一人として取り乱していない。

 この命のやり取りは“仕事”の一部に過ぎない――その温度差が、カナタには何よりも重かった。

 ギンが短く言った。

「イーサンとペピンの記録が終わったら撤収。残留物はEMAの処理部隊に任せる、回収データに不備の無いよう徹底してスキャンして。」

 各々のやるべき事を終え、GECKO部隊は何事も無かったかのように歩き出す。

 カナタは最後尾に続きながら、振り返ってしまう。

 崩れた壁、溶けた地面、黒く焼け焦げた痕跡。

 そして、もう動かないはずの残骸から、まだ微かに痙攣する脚と漂う煙が少し離れたところから見えた。

 これが対AURMA戦の現実であり、これから何度も繰り返されることなのだと、痛いほど理解した。

 同時に、身体の芯から込み上げる震えを止める術はなかった。

 そして、その震えはどこから来てるのかすら曖昧な意識状態だった。

 

 やがて、ラグナデルタの濃密な混沌とした空気を後に、昇降リフトが姿を現す。

 鉄錆の匂いに代わり、透き通って透明な不純物の少ない乾いた空気が流れ込んでくる。

 そこは上層へと続く帰還路だった。

 最後尾のカナタがリフトに足を踏み入れると、イーサンが壁面にあるモニターをスワイプする。

 錆が幾層にも重なってグラデーションを成すフレームに囲われたリフトが駆動し、揺れる床とともに暗い街の鮮やかな光が遠ざかっていった。

 カナタは、いつまでも下層の闇を見下ろしていた。

 

 リフトは上昇を続け、身に覚えのある重力制御の違和感が鼓膜を突き抜ける。

 だが、上昇は前回とは違い、スッと軽くなるような感覚だった。リフト内の壁面と瞬間的な鈍い明るさの規則性のある時間を数十秒経て、やがて、世界の色が変わった。

 鉄の扉が金属摩擦音を室内に響かせ開く。

 湿った空気が一気に乾き、視界の奥に淡い光が見える。

 遠くでプラーナシスのドームが、朝の光を受けてきらめいていた。

 ギンは短く息を吐く。

「さっきまでの景色が嘘のようね」

 その声とともに、一行の表情から緊張の色が霞んでいった。

 

 ――同じ頃。

 ラグナデルタ14区画の戦闘跡に二人の男女の姿があった。

「…見たか?あれが今のGECKOだ」

 ウルファトはAURMAの残骸を拾い上げ、上下に緩く振りながら呟いた。

「確かに強い部隊ね。前の隊長がいた頃は、もっと刺激的だったけど……。でも、あのブラックスキンの男、鋼の塊みたいな肉体。抱かれたら、脳髄まで沸騰しそう。あの部隊とまともにやり合えるのは、せいぜいポルボローネの三千人の部隊ぐらいかしら、まっ、何にせよAURMA討伐は、あの部隊に任せればいいんじゃない?」

 背後でキセルを咥えた女が冷やかに言い放つ。

 777バービーJ。

 このラグナデルタに根を張る謎の女は、紫煙を吐き出しながらAURMAの残骸を見下ろしていた。

© 2025 GECKO Project

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