GECKO
Uncommon
『GECKO』 01 ナブラ位相
黄昏のような橙色の空が、街全体を覆っていた。
無人のビル群が影を落とし、ガラスは夕日を反射して眩しく輝く。
風一つ吹かず、空気だけが重く沈み込んでいる。その沈黙は、戦闘の前触れのように張り詰めていた。
「全員、配置確認」
ギンの声がクリック音と共に隊内通信に響く。
その声音は静かだが、張り詰めた鋼のような芯を持っていた。
「蟻縞、前方12時の方角確認。何か見える?」
「ポジション確保、視界良好。異常なし」
建物の影に溶けるように伏せ狙撃体勢に入った蟻縞が応答する。その手元には、高倍率スコープと電子安定機構を備え13.2×108mm高密度タングステン弾を使用するボルトアクション式スナイパーライフル『Eagle-Eye』が構えられている。
髪は白銀、無駄のない動作、GECKO隊の狙撃手にして、ギンの最古参の相棒。
その目は一度捉えたものを逃さない。
「ホンザ、正面通路からの進行準備。」
ホンザは無言でハンドサインを返す。
前線通路脇の路地に身を潜めるのは筋骨隆々とした近接戦闘のスペシャリスト。
彼は煙幕の中でも”獣のカン”というやつで敵を見つけ出すことができた。
ナックル型の音波兵器『TYPE-SN<オントロス>』を両腕に装着し、最前線の壁に背を張り付けたその姿は髑髏の面を被った野生の獣のように息を潜めていた。
「イーサン、周辺情報確認」
「ジャミングEMPフィールド(Jamming EMP Field)展開準備完了。ノイズ領域、北東。パターン不規則。ナブラの可能性34%」
彼は新型戦闘アンドロイド――イーサン。
無邪気な子供のような声でありながら、正確な演算と制御が滲み出る。
彼の視界には、都市の情報網から吸い上げられた数値と波形が青白くホログラムとして浮かび、都市が匂わせる異常を解析していた。
「ペピン、アタッカードローン展開」
「2機を通路左の建物の貯水タンク裏で待機、1機を通路右のコンビニ看板で待機。1機を蟻縞の後方に配置。展開完了」
彼の右手は展開した10本の指を駆使して高速で端末を叩いていた。
彼の操作する『A3-シケイダ』は自律駆動も可能な小型自爆ドローン。
かつて実戦で何体ものAURMAを焼いた実績を持つ兵器。その昆虫の様な羽音が沈黙の街に忍び込んだ。
「CP、ラインを維持、ヘイトポイント実行用意。」
「装弾完了。いつでも行けるぜ」
208センチの巨躯を持つCPの声は低く重く、皆に安心感を与えた。
彼の持つ重火力兵装は腰撃ちで振るうにふさわしい怪物だった。9×95mm弾をフルオートで吐き出す『Evil Brass 9.95』には、内部ベイパークーリングと呼ばれる特殊冷却機構が組み込まれている。銃身を走る冷却チャンネルに封入された流体が発射ごとに瞬時に気化し、熱を奪いながら蒸気となって銃身外へと排出される。さらに反動中和ユニットが、発射の衝撃を打ち消すカウンターマスと電磁ジャイロで姿勢を安定させる。通常なら人間が扱えぬ怪物の反動を、CPの巨躯とこの機構があってこそ制御できる――本物のペインレスガンである。
CPのその存在感は、隊の重厚な盾そのものだった。
「カナタ」
「はっ…はい!」
新兵の声が緊張に揺れる。
「お前はCPのカバーに入れ」
「了解です!」
構えたアサルトライフルはブルバップ設計の万能型『AR-62』だ。全長は短く取り回しに優れる一方で、長めの銃身が確保されており、6.2×45mm弾を用いて約830RPMという高い実用発射速度を実現している。アサルトライフルとしての信頼性に優れた一挺だ。
銃身がわずかに震えていたが、目は真っ直ぐ前を射抜いていた。
喉は渇き、心拍は耳の奥で鳴り響いていた。
ギンはPDW『VT-48』のトリガーに指先を忍ばせる。
50発のロングマガジンを2秒で喰い尽くし、約1500RPMの数値を叩き出す連射速度だった。
連続する4.8×30mm弾は音速の火線の帯となり戦場を支配する。
彼女が選んだ理由は狂気的連射速度と小口径弾薬ならではの貫通力、その二つの特性が合わさる瞬間的フィールド支配力だった。
全隊員の戦術位置を確認しタイミングを計っていた。
「北東、30mほど先の通路左の建築物、ノイズ領域、強度ともに上昇、パターンに規則性発見。ナブラの可能性、64%に上昇」
イーサンが報告する。
ギンがホンザに向け前進のハンドサインを出そうとした次の瞬間。
前方の空間が軋んだ。
金属を削り合わせるような高音が鼓膜を突き抜け、イーサンの報告通りの建築物に細かな粘菌のようにひしめく波紋が走った。
「ナブラ発生、出るぞ…標的だ」イーサンの声が響いた。
――キィィィィン…。
ナブラ。
それは都市の空間層に生じる微細な波動。数値だけを見ればただのノイズに過ぎないが、GECKO隊は知っている。
それはAURMAの胎動。
都市の底から”何か”が産み落とされる兆しだ。
北東ブロックの路上。建築物に波紋が走った場所の地面が泡立ち歪み出す。
立体プリンターからプリントアウトされるかのように層をなして、存在が顕になっていった。
逆三角柱の基底が宙に浮かび、その表面を金属質の多面体が覆っていく。
そこへ白濁した有機繊維が絡みつき、神経束のように蠢いて肥大化する。
やがて”顔”とも呼べぬ人の断片が、上部に埋め込まれた。
体長4メートル、建築物に並ぶ巨躯。
空気が収縮し、エリア一帯が息を止めたかのようだった。
「第一標的――AURMA個体、出現」
ギンが冷徹に宣言する。
その姿は人型のようでありながら、異様な空気を放ち微量ながら神々しさも感じさせた。
一瞬、隊内全員が息を呑む。
ギンは、目を細めた。
「全員、行動開始――。」
その声を合図に、戦場が動き出した。
蟻縞が最初の弾丸を強烈な破裂音と共に放つ。
200メートル先から標的の頭部に正確無比な弾丸が突き抜ける。
「命中!」蟻縞の声。
だが、標的は怯まず、神経触手を振り乱した。
壁が叩き割られ、ガラスが粉砕され、コンクリート片が雨のように降り注ぐ。
「急所は頭部じゃない」
蟻縞がスコープに標的を収めたまま呟く。
その隙を縫ってホンザが標的の後部に回るために落ちてくるガラスやコンクリート片を次々と躱しながら移動する。
ペピンの10本の指が端末を叩き、貯水タンクに忍ばせておいたA3-シケイダが標的の胴部へ突撃し、閃光と共に爆ぜた。
煙と粉塵が視界を覆い、白濁した繊維が焼け焦げた匂いが漂う。
「CP!私が前に出る援護しろ!」
ギンが突撃する。
「了解!」CPがグレネード弾を下部の銃口からポンっと音を立て放つ。グレネード弾の炸裂音と共にEvil Brassが火を吹き、標的の注意を引きつける。
その弾幕の水面下で、ギンは低く滑るように走り抜け、VT-48の引き金を引く。
二人の動き合わせて、ペピンは2機のディフェンスドローン『D1-バタフライ』を展開する。
ギンとCPの銃声は一息の咆哮のように重なり、標的へと叩き込まれた。
蟻縞はボルトを引き、スコープを覗き標的の姿を探した。
舞い上がる砂塵の中に標的の影を見つけ、もう一度トリガーを引いた。
彼の放った大口径弾は、街に反響するほどの破裂音を上げ、砂塵を切り裂き、標的に当たったかのように見えた。
だが、標的へ向かったはずの弾丸は弾道を反転させ、スコープ越しに自分めがけて砂塵を突き抜けてくるのが見えた。
その弾丸が蟻縞に直撃せんと迫った瞬間、ペピンのD1-バタフライが眼前に飛び出し、火花を散らして弾丸を受け止めた。
蟻縞は一瞬血の気が引き呟く。
「…ミラーウォールか。間一髪だった」
「蟻縞!無事か!?」
ペピンが蟻縞を確認しディフェンスドローンを1機再展開した。
「助かった、ペピン」
わずか2秒――。
ギンのマガジンが空になる間に起こった出来事だった。
「全員攻撃を即時中止!一旦退避!体制を立て直す!こいつに二度目は効かない!」
鋭く冷静なギンの声がチーム全員に届いた。
ペピンは危うくもう一機のシケイダを標的目掛け飛ばしかけ、全員が素早く遮蔽物に身を隠した。
砂埃の向こうで標的は触手を振るい、街を粉砕していく。
重たい轟音が、隊員たちの胸を圧迫していた。
「…厄介な相手だ」
ギンが呟いた。歯を食いしばる表情とは裏腹に思考は澄んで透明だった。
「次の攻撃で終わらせる!ホンザ!お前の存在は気づかれていない。全員で隙を作る、確実に仕留めろ!」
ギンの指示にホンザはハンドサインで応じる。
「カナタ!」
「は、はい!」
「イーサンのEMP展開後ホンザに繋ぐ。前進!ホンザのカバーに入れ!」
「了解っ!」
ギンの指示で再び戦場の空気が動いた。
「ジャミングEMPフィールド展開完了」
イーサンは身を隠しながら、標的のミラーウォールを妨害するために、有効範囲を広範囲に広げ、標的を包み込む形でEMPフィールドを展開した。
カナタは全力で走り出し、建物2階の窓から窓へガラスを突き破りホンザの後方まで真っ直ぐな眼差しで向かった。
しかし、その直線的な軌跡に、標的の視線が絡みついた。
沈殿した老廃物の叫び声にも取れる轟音とともに触手がカナタ目掛けて迫る。
ペピンがすでに展開してあったD1-バタフライがカナタの前に飛び込み迫る触手を受け止め、火花を散らして砕ける。
体勢を崩し膝をついたカナタから標的の視線は外れず、再度触手を振り上げる。
その瞬間、蟻縞の狙撃が閃き、標的の下半身の一部が吹き飛ぶ。
「…一歩後退」蟻縞が呟く。
「ホンザ、今だ!」
ギンの冷静な叫びが戦場を裂く。
ギンの声よりも僅かに早くホンザは獣の様な俊敏な動きで標的の背後に飛び出し、重い打撃を叩き込み、手応えを確かめ身を隠す。
『オントロス』から放たれる重低音の衝撃波が標的の甲殻を割り、亀裂が走った。
ホンザに続いて真正面からCPの重火器が轟音を吐き、嵐のような弾幕が標的を削り取っていく。
標的は悶え苦しみ触手を振り回す。
その隙にカナタが標的めがけ刀を突き刺すべく建物2階から飛び出した。
「今なら――!」
だが標的が振り返り、宙に浮いたカナタを鋭い触手がいとも簡単に貫いた。
アーマーが砕け、激痛が走り、血の代わりに無機質な光が散りながら彼は地面に叩きつけられた。
「カナタ!」
ギンの声が戦場に響く。
――直後。
世界が静止した。
粉塵も破片も、すべてが空中で静止する。
色彩が剥がれ落ち、街も上から下に微かな光を伴い消える。
異形体は霧のように消滅し、無機質な訓練場に戻った。
VR訓練は終了した。
「終わりだ。訓練終了。…判断を誤れば、待つのは死のみだ」
そこに茶色のダブルスーツを纏った男が、訓練場の自動ドアを開け姿を現す。
カガミ長官。
この男は自身も前線に立った経験があり、現在はこのGECKO隊の予算獲得やCasa de EMA上層部との交渉など政治的任務に従事していた。
「あそこは斬撃より射撃で標的の注意を引いたままホンザに回すべきだったわ」
ギンがカナタに鋭く見解を伝えた。
カナタは膝をつき、肩を落とす。
悔しさが血の味のように口中に広がる。
CPが無言で手を置き、重さではなく確かな温度だけを伝える。
蟻縞がようやく歩み出し、息を吐いた。
「…訓練でも心臓に悪いぜ」
「心拍数は正常です」イーサンの淡々とした声。
「そういうとこだよ、イーサン」
そのやりとりに、張り詰めた空気がわずかにほころんだ。
「記録に残る個体の中には都市の外壁、情報構造そのものを利用する個体もいる。EMAが採用する都市の盾が、AURMAの鎧になる。…皮肉な話だ」
カガミ長官のその声には都市とAURMAの歴史を知る者の深みがあった。
そして、誰も忘れてはいなかった。
ナブラが現実に意味するものを。
都市の盲点に潜む異形が、いつか本物として姿を現すことを。
ギンはVT-48を握り直し、空になったマガジンの重さを確かめる。
冷徹な瞳の奥で、誰にも告げぬ決意が硬く結ばれていた。
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