第9話 満足するまでハグをする

「……どうしました?」

「ど、どうしましたじゃないけど!?」

「……?」


 部室でになってから、急に霧坂先輩の様子がおかしくなった。


「そ、その。ほなみくんは、いったい、なにを……!?」

「えっと、『二人きりの時は相手が満足するまでハグ』してるだけですが……」

「ま……満足するまで……ハグ……?」


 腕の中で硬直している先輩の様子を窺う。

 先輩は俺の顔を見つめ、自分を抱きしめてる俺の腕を見つめ、ふと顔を上げた。


「――まさか?」


 そしてまたじっと俺を見つめてくる。


「……穂波くん?」

「はい」

「……穂波くんはこの状況、違和感はないんだね?」

「違和感?」


 この状況とはどんな状況だろう。

 先輩はなんだか顔が強張っていて赤いけどそのくらい。

 俺は二人きりだから『相手が満足するまでハグ』してるだけだ。


「……特にはないですけど」

「そ、そうか」


 先輩の喉が少し動いた。

 そして珍しいことに――先輩の口元が、むずむずと動いている。


「確認しよう。念のため。念のためね?」

「はあ」

「君は、『二人きりの時は相手が満足するまでハグ』してるだけだよね?」

「そうですね」

「つまり、満足するまではハグが続く――ということだよね?」

「もちろんですが……」


 そんな当たり前の事をどうして聞くのか――。

 変な先輩に首を傾げた時、気づいた。


(先輩、口元がにやけてる……?)


 さっき丁度顔に出ないですよねとかそういう話をしたばかりなのに。

 ……なんでこんなにニマニマしてるんだ?

  

「よ、よし」


 霧坂先輩は本を置くと――そのままゆっくり、俺の腕に体を預けてきた。


「ふふ……なら、こうしても……変じゃないよね? 穂波くん?」

「変じゃないですけど……大丈夫ですか? なんか楽しそうですね……?」

「うふふふ……ああ。大丈夫だ。うふふ……ほら穂波くん、まだ満足してないから、ハグは終わっちゃだめだよ」

「それはそうしますけど……」


 どうしちゃったんだろう。

 霧坂先輩はいつも冷静沈着だと思っていたはずなのに。

 

(生徒会長の仕事が忙しいと変になったりするのかな……)


 疲れてる先輩を労わろうと優しめにハグを強めたら、「ひゃ……」とまた可愛らしい声を出してしなだれかかってきた。


 やっぱり、仕事は適度に休んだ方がいい。








◆『霧坂詩乃』



 みんなが帰った後の部室で椅子の背にもたれる。

 ここにはもう誰もいない。私もすぐに帰らないと。

 ただもう少しだけ、一人で今日の余韻に浸っていたかった。


(まさか――こんな役得に出会えるなんて)


 突然可愛い後輩が抱き着いてきた時は何事かと思った。

 本当に驚いた。

 後ろから手を回されて、抱きしめられた。

 まるで、私の妄想していたことが具現化したみたいに。


(誰か、私の脳内でも覗いてるんじゃないだろうか?)


 後ろから抱きしめてほしいなぁ、と具体的に思っていたわけではないけど。

 可愛い後輩ともう少し近くで触れ合いたかったのは間違いない。

 それがハグという形で出てきたのは最高だった。


(……誰がやってるかは気になるけどね)


 『二人きりの時は満足するまでハグ』、という条件。

 まさか彼が自分で言ってるわけじゃないだろう。

 そんな子じゃないのは知っている。


(もう少しだけ、様子を見ようかな)


 これが悪い方向に向かうなら止めるべきだけど。

 そうならないなら、それはそれで。


 私は生徒会長でもあり、周りからの目も気にしているけれど、別に根っからの善人というわけでもない。


 可愛い後輩をもう少しだけ堪能したいという気持ちは、それを抑えようとする理性より勝っている。


 君の前でだけは完璧で美人な生徒会長でいられたらいいと思っていたけど。


「――君が悪いんだよ、穂波くん」


 結局いつも、私を揺さぶるのは君みたいだ。








 ◇


 

 しばらく先輩のハグを続けて、暗くなり始めたころに解放された。

 文芸部は秋元先輩がいなくなると、俺と霧坂先輩くらいしかその場にいない。

 なので先輩が結構な時間が経ってしまった。


 先輩の方も想定した以上に時間が経っていたようで、申し訳ないと謝ってくれた。

 きっと毎日、生徒会の業務で疲れているんだろう。それ自体は全然問題はないけど。


(ミオが怒るかもなぁ……)


 今日はミオの家で俺が夕食を用意する日である。

 材料は買ってあるけど、普段なら後一時間は早く帰ってたのでそろそろ夕食が出せている時間だった。


「ただいまー……」


 しん、とした東雲家へと合鍵で入る。


 二階建ての一軒家。

 中は明かりも付いてなくて暗い。

 まぁ、暗いのはここの唯一の住人が自室に引きこもってて勿体ないから消してるだけなのだが。


 そんな東雲家の玄関に上がったところで、なぜか廊下の隅にミオが体育座りでぽつんと座っているのに気づいた。


「……え、ミオ? そこで何してんだ?」

「…………穂波?」

「おお、ただいま」

「――穂波ぃ!」


 急に立ち上がって俺に抱き着いてくる。


「か、帰るの遅いよぉ……! なんで連絡しないんだよぉ……!」

「ああ……ごめん。丁度手が空いてなくて」


 本当は遅くなると連絡を入れようとは思ったのだ。

 けれど霧坂先輩にハグをしていたので、スマホは開けなかった。

 ハグしながらでは画面も見られ放題だし、意識が散漫になるのは目の前の相手に失礼かもしれないと思ったのだ。


「手が空いてなかった……?」


 それを聞いて、ミオがふと俺の制服に顔をうずめる。そのまますんすんと犬みたいに鼻を鳴らして、


「……他の女の匂いがする」

「え?」

「ねえ、もしかして穂波――」


 顔を俺の服にうずめたまま、くぐもった声で呟く。


「他の女の人といたり……した?」

「そうだけど……お前匂いでわかったのか。すごいな」

「……へぇー」


 あまりにも平坦な声にびっくりして見ると、ミオは今まで見たことない能面みたいな顔になっていた。


「ど、どうした?」

「ううん……ね、ねえ穂波、もしかしてだけど……告白してきた人?」

「さっきまでいたのは別の人だけど」

「別の人? ねえ……まさか、だけどさぁ」


 ミオの目が大きく開かれて。


「ハグとか──してないよね?」


 なんか、怖い。

 なんか瞳から虹彩が消えてて怖い。


 低い声で喋ってるミオの肩に手を置いて、一旦引き剥がす。

 なのに、わざわざどうして聞いてくるのか。

 そもそも朝からミオは様子がおかしかった。何か悪戯とか仕込んでるんじゃないだろうな。


「ミオ」

「……なに?」

「お前朝から変だぞ」

「…………えっ、変?」

「もしかしてまたなんか隠してないか?」


 そう尋ねた途端、猛烈な勢いで目が泳ぎ出した。


「え? か、隠してないよ! 別に何か隠してたら桜の木の下に埋めてもらっても構わないし」

「それは隠してるやつだろうが」


(……絶対なんか隠してる)


 隠していることはわかる。

 めちゃくちゃ目が泳いでるし、声が揺れてるし。

 だがこういう時のミオは問いただしても何も言わない。頑固な所があるのだ。


「……ミオ?」

「か、隠してないもん」


 どう見ても何か隠してる顔で目を逸らされる。

 肩を落として、ため息を吐いた。

 これは答えを貰えそうにない。


「……はいはい、わかったよ。じゃあ夕食作るから一旦どいてくれ」

「…………」


 いつもならどいてくれるのに、ゆっくりと首を振られた。

 抱きしめたままの手はほどかれていない。


「ミオ?」

「……今日は、作んなくていい。何か注文しようよ。出前とかで」


 ミオがゆっくり腕を背中に絡めてくる。

 やっぱりどうも様子がおかしい。


「……遅れたの、怒らせたか?」

「ううん、怒ってない。怒ってないよ――けどね」


 耳元で呟く声は、いつもよりも低い。


「他の女の子と一緒にいたんだよね?」

「……ああ」

「じゃあその分、満足するまでハグしないと」


 抱き着かれていて、ミオの表情は窺えない。


「……俺、課題とかあるんだけど」

「私がやってあげる」

「……お前の脱ぎ散らかした服の洗濯とか」

「それも後でやろう?」


 けれど、なぜだか背中に冷たい物が走る感覚があった。


 静かな声が、鼓膜を揺らす。



「――上書きしないとだから」



 細い腕がしゅるりと背中をつたって首に絡みつく。


「……なにを?」

「ハグして穂波。いつもみたいに」

「……そりゃするけど」


 のハグをする。


 ミオの腕が強く抱き着き返してきて、少し息苦しいくらいに感じる。


しなきゃだめだよ」


 はいはい、と頷いてハグの力を強めた。ミオの引きこもって不摂生な体はずいぶん細い。桃瀬さんも先輩も細いが、ミオはもっと細い。


 ……ん? ミオはともかく、なんで二人が細いとか知ってるんだっけ。


 なんて考えてたら耳元で囁かれる。


「今、他の女の子のこと考えた?」

「……いや?」

「嘘」


 言いながら脇腹をつねられた。

 思ってることが顔に出ると先輩に言われたが、ミオもそれで気づいたんだろうか。

 いや、今のは顔を見られてないから、声だけで判断されてしまったのか。


「寝る時もぎゅーしててね」

「……まぁ、それで満足するなら」


 ……あれ。

 頷きながら、思う。

 今のやつ、この前は断らなかったっけ……?


 ぼんやりした記憶に腑に落ちない物を感じながらも、俺は要求通りハグを続けるのであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る