条文は剣よりも強し ~契約魔導士リウの事件簿~
秦 一郎
第一話:法は血を流さない
第一話:法は血を流さない
魔法の優劣が身分を決め、貴族の詠唱が時に法に優先する――アウレリア帝国。 この世界は、人間が作った法の下に、さらに根源的なルールによって成り立っている。 物理、因果、魂の定義。万物を律するその大原則を、人々は畏敬を込めて**『摂理法(せつりほう)』**と呼んだ。
摂理法において、契約もまた、世界に事象を刻み込む神聖な魔法の一種である。 一度交わされた羊皮紙は絶対の拘束力を持ち、違反者は時に、命よりも重い代償を支払わされる。
帝都の西地区でパン屋を営むハンスも、その一人だった。 病に倒れた娘の薬代のため、高利貸し『金獅子商会』と結んだ貸借契約。その返済期限を一日過ぎた朝、彼は妻子の前から忽然と姿を消した。
部屋には争った形跡も、魔法の痕跡もない。ただ一枚、インクの染み一つない完璧な契約書が、まるで墓標のように残されていた。そこには、こう記されている。
『――期限までに債務不履行の場合、契約者は本契約における存在価値の全てを、債権者に譲渡するものとする』
帝国騎士団はお手上げだった。これは暴力事件ではない。あくまで契約上の、正当な「執行」なのだから。 帝都で相次ぐ“契約失踪事件”。人々はそれを、魂を喰らう悪魔の仕業だと噂した。
***
帝国の司法を司る「法務魔導院」。その薄暗い書庫の片隅で、一人の青年が古い法典を読みふけっていた。 彼の名は、リウ・フォンティヌ。位階も持たない若き契約魔導士だ。
「まだそんなものにかじりついているのか、リウ。お前ほどの魔力があれば、もっと派手な部署で活躍できるだろうに」
声をかけてきたのは、上官のグレン部長だった。リウが唯一、師と仰ぎ、心から信頼する人物だ。その手には、例の失踪事件に関する書類がある。 リウは法典から顔を上げずに応じた。 「派手な魔法は、派手な過ちを犯しやすい。ですが、緻密に組まれた法は血を流しません。少なくとも、正しく運用される限りは」 「…相変わらずだな」
グレンは苦笑し、本題に入った。「金獅子商会の件だ。君に担当してもらいたい」 その言葉に、初めてリウの指が止まった。彼はゆっくりと顔を上げる。その瞳の奥に、年不相応な冷たい光が宿っていた。 「…なぜ、私に?魂に関わる案件は、教会や宮廷魔導士の管轄のはずです」
「彼らでは手に負えんからだ」グレンは静かに言った。「そして、君の過去を知っているからだ」
リウの脳裏に、絶望した父の顔が蘇る。あの巧妙に仕組まれた契約のせいで、家も財産も、家族の誇りさえも奪われたあの日。騎士団も、高位の魔導士たちも、「契約である以上、仕方ない」と誰も助けてはくれなかった。
「私は…無力でした」 「だが、今の君は違う」
グレンは書類をリウの前に置いた。 「君はこの十年、ただ復讐のためではない。二度と自分のような弱者を出さないために、法を学んだ。条文に隠された悪意を見抜き、論理の刃でそれを解体する術を磨いてきた。この事件は、君のような専門家でなければ解決できない」
リウは書類に目を落とす。そこには、パン職人ハンスの、人の良さそうな顔写真が貼られていた。その隣には、悲痛な表情で何かを訴える妻子の姿も。十年前の自分と、母親の姿が重なる。
リウは静かに立ち上がった。彼の目的は、昔から何一つ変わっていない。
「承知いたしました」
その声は、静かだが、鋼のような決意に満ちていた。
「この世に、抜け穴のない完璧な契約など存在しない。ならば、どんな契約にも、それを覆すための条文が必ず存在するはずです。私の仕事は、それを見つけ出し、悪用する者に叩きつけること。ただ、それだけです」
グレンは満足そうに頷くと、リウの肩を叩いた。 「期待しているぞ、リウ。何かあればいつでも私を頼れ」
温かい励ましの言葉を残して去っていく師の背中を、リウは深い信頼の目で見送った。 彼はまだ知らない。 この事件の先に待ち受ける本当の敵が、その優しい瞳の奥に、最も深い闇を隠しているということを。
これは、一人の若き契約魔導士が、法を悪用する見えざる敵に、たった一本のペンと、揺るぎない信念で立ち向かう、戦いの記録である。
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