第5話

 メイドの朝は早い。朝六時だろうか、メイド寮に起床ラッパがけたたましく鳴り響く。寝ぼけまなこで周囲を見渡す勇利。そこに凛とした佇まいでメイド長がやって来る。


『勇利さん、おはようございます。毎朝はこの時間に起きることを覚えておいてください。そして身支度は迅速かつ正確に。神良さんもすぐに起こしに行きますので』


 そう告げてメイド長は部屋を後にする。言われるままに勇利はパジャマを脱ぐと髪を梳いてメイド服に着替える。


「んん……なんじゃ……まだ起きる時間では……」

『メイドの教育があります。速やかに起きて下さい』

「はっ、そうでした……! ここに住まうことになったのでしたわ!」


 忘れていたと言わんばかりに地の口調で飛び起きてすぐさま直す神良。はちきれんばかりのパジャマを脱ぐと赤くて長い髪を梳きながら勇利同様にメイド服を身に纏う。

 起床してきたメイド達が一列に並んで人数確認の為に点呼を取る。前もって知らされずに一人でもいないだけで問題があるのだろうというのは勇利は騎士団を思い出しながら感じていた。


『一! 二! 三! ……』


 末尾の有利と神良に番が回って来るとそれぞれ番号を呼称し、掌握していく。メイド達はひそひそと勇利と神良を蔑むようなやり取りをしながら、ひとまず歯磨きを済ませて食事へ赴くべく解散していった。


「昨日は仕事を教えてもらったけど、僕達にも出来るかな?」

「そこは慣れるしかありませんわね。私達はまだ”新人”ですので多少のお目こぼしはしていただけることかと存じますわ」


 洗面所で歯を磨き、顔を洗う勇利と神良が言葉を交わす。”魔王城のあった地”とは比べ物にならない便利さに改めて感動する。

 歯磨き粉の爽やかな味がふたりの口の中を洗い流し、洗顔の柔らかな泡が顔を洗い流していく感触を噛み締め、身だしなみが整う実感が湧く。


 そして朝食へ。皆、手際よく食事をしていく。勇利と神良からしてもその速さは異様だった。まだ慣れない箸遣いでふたりも朝食を摂る。


「やはりここの食事は格別ですわね」

「ああ。こんなに美味しいならここで生きていくのも悪くないと思えちゃうよ」

『おふたりとも食事のペースが遅いです。メイドの食事とは休憩ではなく”次の仕事への備え”なのですから、もう少し早く食べ終えていただけるようお願いしますね』


 そこにメイド長がやってきて、緩慢なペースで食事をするふたりを一瞥しながら注意して、メイド長も持ち場へと就いた。

 他のメイド達が続々と食べ終えてひそひそと言葉を交わす中でふたりは呑気に朝食を味わっていたのだと些か恥ずかしさも感じた勇利と神良であった。


「さて、まずは清掃からだね。僕らも行こう」

「ですわね。目一杯恩返ししなくては」


 食器を下げるとふたりは駆け足で麗華の屋敷へと向かう。メイド寮とは反対側の寮からも執事と思しき男性がやって来る。

 上履きに履き替えた勇利と神良が麗華の屋敷へ足へ踏み入れるとそれぞれ持ち場に就き、清掃を始める。

 まだ慣れないメイド服と見習いながらも清掃の疲れでどこかぎこちない。それでもクロスを着けたモップでフローリングの埃を絡め取っていく。クロスに汚れが溜まると教え通り捨てようとするが……。


「恐れ入りますが、ゴミ袋はどちらに?」

『あら、すみません。隣の部屋に置いたままでした。すみませんが取って来てください』

「何ですって!? 移動することがわかっていながらそれは不手際ではありませんの!?」

「申し訳ありません。僕達も気付かなかったみたいで。神良、ここは抑えるんだ。下手に騒ぐと麗華様に放り出されるかもしれないんだ」


 本当はメイド達が新しくゴミ袋を広げればいいだけであったが、勇利と神良が麗華お嬢様の側に仕えることになることが気に入らないのでわざと隣に置き去りにしてきたのであった。

 まだ見習いながらも心得をある程度理解したつもりの神良が激高してメイド達に詰め寄っていたが、それを見かねた勇利は神良を宥めた。

 勇利が怒りの収まりきらぬ神良と共にゴミ袋を取りに隣の部屋へ足を運ぶ。そこで勇利と神良が異物のように扱われているかのような不安を口を揃えて共感する。


 やはりまだメイド達とは打ち解けられていないようであった。メイド達は曲芸の猛獣を見るかのような好奇の瞳を向けて来ていた。


『ふん。身の上も解らない流れ者が偉そうに。三日もしないで向こうから暇乞いをしてくるわよ』

(でもあの赤髪、腰が抜けそうなほどの只者じゃない威圧感があったな……一体何者なのかしら……?)


 メイド達が蔑んで強がる一方で安堵のため息をつきながら、勇利と神良がいない間に手際よく掃除を進めていった。





 朝とは異なり、昼食が手早く終わると勇利と神良はメイド達に仕事を押し付けられていた。


『ああ、そうそう。私達、麗華様から呼ばれておりまして。お手洗いの掃除についてはおまかせしたいのですけど』

「そうして貴女達は……! 新人だからと下手に出ていれば、あれこれと難癖を……!」

「神良、よせ! 僕達も早く一人前にならなきゃいけないんだ。冷静になって」


 再び神良が怒りを露わにしようとする。しかし勇利はここで居場所を失うわけには行かないと神良を制止する。

 次はトイレ掃除。自分達がお花摘みをする場所を掃除するのはなかなか気恥ずかしくはあったが、現在の主人たる麗華に汚いトイレを使わせるわけには行かない。

 トイレの戸を閉めると開口一番、神良が怒りを爆発させたように口を開く。


「あやつら如きに何故妾が顎で使われねばならぬ!? 貴様も悔しくはないのか!?」

「僕だって悔しいさ! でも僕もお前も今は”ただの女”なんだ! 得体の知れない場所で生きていけるとでも?」


 勇利が自分達の窮状を語りながらそれでも耐えるしかないことを神良に告げる。しかし神良の瞳にはまだ怒りが灯っていた。


「部屋に置かれた本に書いてあったんだ。”臥薪嘗胆”、僕達が元の場所に帰るためにもお前も我慢してくれないか?」


 真っ直ぐな瞳で神良を見つめる勇利の瞳は正しく”勇者”といった力強さを感じさせる。その真摯さに神良の心も揺れ動いた。


「ま、まあ、貴様がそこまで申すなら仕方あるまい。共に帰れるよう力を合わせようではないか」

(何じゃ、この感情は……? もしや妾、勇者相手に恋心を抱いておるのか……?)


 ようやっと神良の怒りが収まったようで勇利は安堵する。まだ些かの動揺はあるが心を鎮めた神良は昨日の説明通りゴム手袋を手に着けつつ、”水に流せるブラシ”を”先が開く棒”に着けて便器の中を磨く。


「この網目のない手袋とからくりが仕込まれた柄で手や周りを汚すことなく汚れた内面を磨き上げられるとは。人間とは誠に便利な道具を考えつくものですわね」

「その後はこっちの”クロス”で外側を拭くみたいだ。これも流していいんだってさ」


 神良にクロスを手渡し、壁面もクロスで拭いていく勇利。そうこうしているうちに掃除が終わり、ブラシとクロスを何回かに分けて流し、ゴム手袋を備え付けのゴミ箱に捨てた。

 トイレを後にした勇利と神良は洗面所で手を洗っていた。と、そこに気の弱そうなメイドが現れる。


『わ、私は貴女達の味方ですから……助けになれなくてごめんなさい……』


 そう言って立ち去って行った。彼女とすれ違うようにメイド長がやって来て、新たな”仕事”が言い渡される。


『昨日も申し上げました通り、これから運動の時間となります。作業服に着替えてください』


 ふたりはメイド長の指示のままに自室に戻り、作業服に着替える。メイド服よりもゆったりしていて動きやすい。

 部屋を出て来た勇利と神良はそのままメイド長の後を付いて行くこととなった。

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