2.狂脚の姑娘(クーニャン)

 外は月明かりがより一層美しく輝くほどに夜は更けていた。

「よいしょ」

 クルトは自身の頭一つ分小さい看板を持ち上げる。と同時に、品の良い低い男の声がクルトの耳に届いた。

「ここのお店の店員さんですかな?」

「えっ? あ、はい」

 クルトは看板を下ろして答えた。

 男は清潔な白いスーツで身を固めており、裏通りの人間ではないことは一目瞭然であった。

「私は宮廷魔術師のケールと申します。このあたりで〝狼男〟の噂を耳にしましてね。もし何か知っていることがあれば教えていただきたいと思いまして」

 悪意のない優しい笑顔を、ケールという男はクルトに向けた。

「!?おおかみおとこ……」

 クルトが驚きの表情を見せると、後ろのお店の扉が開き、アイシャが出てきた。

「狼男ねぇ。かつて帝国であった刑罰――〝帝国アハト刑〟のことね。いわゆる人権喪失、法益剥奪刑のことよ。この刑を受けた者は〝人間狼〟と呼ばれて、人間の共同体の外にある〝狼〟として扱われたのよ。受刑者は全ての法的権利および財産を剥奪され、法的に死者と見なされ、誰との交流も出来ず援助も受けられないという。東の島国では〝村八分〟とも言うわ」

 そう話すとアイシャはクルトの横に立ち、ケールの顔を見て話を続けた。

「そんな〝狼男〟はこの街にはたくさんいるんじゃないの? まぁ他をあたりなよ。あ、うちの子のナンパ目的なら明日ここに飲みに来てくださいね。もちろん私もまだ独身よ♪」

 真剣な眼差しからいつものひょうきんな笑顔を見せるアイシャ。

「ふふふ」

 ケールは口元に手を当てて笑った。

「失礼しました。私が、私たちが探しているのはそのような罪人ではなく、本物の〝狼男〟ですよ。〝獣人〟とも言いますでしょうか、人間と獣の両方の性質を持つ、非常に危険な存在です。国の治安維持のためにもご協力をお願いしたいところです」


「知ってることあるなら、かくさずに話すね」

 闇の中から女性の声が届く。少し高めで訛のあるカタコトの言葉だ。

「この国の言葉、むつかしいね。まちがていたら通訳するよ」

「ふふ、大丈夫ですよ。雪麗シュエ・リーさん」

 〝雪麗シュエ・リー〟と呼ばれるその女性が、カツーン、カツーンというヒールの音を立てながら姿を現した。

 雪麗は丱髪かんぱつという南隣の王朝の伝統的な髪形――いわゆる〝お団子髪〟を結い、王朝独特のシルク織のドレスを身に纏っていた。

 そのドレスは通常、くるぶしまで伸びた長いワンピースのようなもので、裾の両脇にはスリットの入ったいわゆるチャイナドレスであるが、雪麗が纏うのはミニスカートよりも短いドレスである。

 スカートの下にはタイツを履いているが、恐るべきはその脚である。

 死に物狂いで鍛えた男性の脚すらも凌駕するほど太く鍛えられた脚。自身のウエストよりも太く、よく絞り込まれた筋肉の塊。

 殺傷力を目的とした、異常な、禍々しい脚であった。

「〝狂脚きょうきゃく〟の姑娘クーニャン、〝雪麗シュエ・リー〟!」

 アイシャが驚いたように声をあげた。

「おや? 知ってるあるか」

「異国の殺し屋がこんなところに何の用かしら? いえ、宮廷に依頼されたってところかしら?」

 アイシャは無表情で話している。


 良くないことが起こる。そんな勘が働いているアイシャは、出来る限り冷静を装い、自身の内を読まれないようにした。

「狼男なんて知らないし、いたとしても、ここいらのギャング共のほうがよっぽど恐ろしいと思うわ。だからそっちはどうにかして欲しいわね、宮廷の魔術師さん」

 アイシャは腕を組みながらケールに笑顔を向けた。

「はぁ、宮廷も人手不足でしてね。狼男以外の件に関しては、上司に伝えておきますね」

「狼男でもギャングでもなんでもいいね。私は早く戦いたいね」

 雪麗もまた腕を組み、細い目を閉じてため息をついた。


「お~いアイシャ、火あるかぁ?」

 新しい葉巻をくわえたレオが店の扉を開けて外に出てきた。

「(うわぁ、最悪のタイミングよレオさん)」

 アイシャは心の中でそうつぶやくと、目を丸くし、唇をタコのように尖らせてレオを見た。

「ふふ、そいつが目障りなギャングで、間違いないか?」

 細い目を開けて笑みを浮かべる雪麗。

「レオさんはギャングなんかじゃない!」

「(もう、ね。うん、間違ってはないわね)」

 クルトが叫ぶと、アイシャは再び心の中でつぶやいた。

「その方はお客さんですかな? レオ殿と仰ったか。狼男、または獣人といった存在を知りませんかな?」

「何もんだてめぇ? 狼男だぁ? けぇ、この街には生意気なドラ猫しかいねぇよ。分かったらとっとと消えな」

「私、この男と喧嘩してもいいあるよ♪」

「ちょっと雪麗さん! あぁすみません、また来ますので何か分かったことがあれば教えていただきたいと思います。では」

「あいやー」

 ケールは雪麗の腕を摑んで裏通りの闇の中に消えていった。

「はぁ~……タイミング悪いんだか、良いんだか」

と安堵のため息をつきながら、レオの口元へ人差し指を立てて葉巻に火をつけるアイシャ。古代語魔法のひとつ、ティンダーだ。

「レオさん、気をつけてね。あの男は宮廷魔術師で、もう一人いた女が殺し屋〝狂脚の雪麗〟よ。雪麗は暗殺稼業とは別に、命のやりとりの戦いを楽しむ戦闘狂。カテナ君のことを探している風だったけど、嫌な予感しかしないわね」

「けぇ、興味ねぇよ」

 火のついた葉巻を大きく吸い込み、口のすき間から大量の煙を吐き出すと、レオは店へと戻って行った。



 闇が深くなる裏通り。昼間、夕方ももちろん危険地帯であることに変わりはないが、月が輝く時間帯になるにつれ、無法者達は高揚し、裏通りの危険度は増す。

 例えば手に財布の入った鞄を持っていたとしよう。運が良ければ腕を切られ、腕ごと鞄を持っていかれるだけで済む。

 そのような場所をその時間にケールと雪麗は歩いていく。

「あれあれあれー? なんだか小綺麗でハンサムな兄ちゃんと若い女が歩いているよぉ?」

「ひゃひゃ、俺たちより頭悪いのかなぁ?」

 手にナタを持った男2人がケールと雪麗の前に立ち塞がった。

「女は手足切って、俺たちの奴隷だぁ」

「男はぁ、金目の物奪って、まぁ死んだらしょうがねぇよなぁ」

 ナタをくるくると回しながら下卑た笑みを浮かべる男たちがケールたちに近づく。

「はぁ、あの男(レオ)を見た後だと、物足りないか。っていいか?」

「仕方ないですね。ですがこれは依頼料には入りませんよ。雪麗殿の趣味ですからね」

 ため息をつく雪麗。

「ひゃはぁ!」

 そんな雪麗に向かって二人の男は飛びかかった。


 ・・・・・


「やぱり、つまらないね」

 雪麗の足元に転がるのは人であったもの。

 一つは両足が反対方向を向き、胸が大きく陥没している。

 もう一つは割れた頭蓋骨から脳が溢れ出し、両の目玉はその衝撃からか頭部から離れたところに落ちていた。

「5秒とかからないとは、流石ですね」

「血が足りないね。私、あの男(レオ)に惚れたよ。狼男関係なく、あの男と私はるよ。手出し無用ね」

「分かりました。ですがあの男だけですよ。明日、またあのお店に行ってみましょう。何か隠していそうな雰囲気もありましたからね」



「ん゙ん゙ッ……?」

 薄く開いた瞼から朧気な光が差し込み、思わず表情が渋くなるカテナ。

「んぁれ……ちょっろ ねちゃっれらぁ……?」

 誰に言うでもなく、呂律の回らない言葉を吐きながらショボついた眼を擦り、ついでに手の甲で涎を拭ってから、のそのそと後処理を始めた。

 元より腰布一枚のみの身である。楽なものだ。


 トイレを後にし、バーカウンターやテーブルが並ぶメインルームへと戻って来ると、ちょうど火が付いた葉巻を咥えたレオが、一足先に店内へと入って来る所だった。

「がぅ……? みんあして、そといっれらのぉ? なんれぇ……?」

 カテナは先刻まで自分が座っていた椅子に腰を下ろす。

 そのまま倒れこむように下顎と伸ばした両腕をテーブルの上に乗せ、牙を剥き出しにしながらぐでりとした表情を晒した。

 不意に、んぅ? と小さく声を漏らし、カテナは鼻先を店の出入口に向けてクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。

「オイラがいにゃいあいらに、だれかきちゃぁ……? なんか……ヘンなニオイっていうか、ツンとした……しぜんじゃにゃい、つくりゃれたニオイっていうか……とにかく、オイラのしらにゃいニオイら……」

 宮廷ではお香の一つでも焚いていたのか、はたまた貴族として恥じぬよう香水でも纏っていたのか。

 馴染みのない残り香に落ち着かない少年は、紛らわすようにグラスに残っていたウイスキーの香りで上書きし、そのままくいっと体内へ迎え入れた。

「お店の片付けをレオさんに手伝ってもらっていたの」

 クルトは作り笑顔を浮かべながら答えるとグラスに水を入れ、カテナの前に置いた。

「がぅ~? こぇ、みじゅ~? ゔー……おさけがいい……。レオをこえりゅには……レオにできること、オイぁもできるんら……」

 カテナは半分しか開いていない目でテーブルに突っ伏しながらゆっくりと喋っている。


「ふぁ、俺はもう寝るぜ」

 火のついた葉巻を少しだけ残ったウイスキーのグラスの上に置くと、レオはあくびをしながら階段を昇り、寝室へと向かう。

「んぁ、まてぇ……にげるにゃ あらくれものぉ~……」

「カテナくん飲みすぎよぉ。クルト、カテナくんをクルトのお部屋に連れて行ってあげて♪ クルトの横のベッド、一つ空いていたわよね。その調子でレオさんの部屋に連れて行ったら、レオさんにぶん殴られちゃいそうだから」

 アイシャはニヤリと笑みを浮かべている。

「もーアイシャ!」

 クルトは頰を膨らませ、カテナの両手を引っ張り、部屋へと連れて行った。

 レオが階段を登りきったところで、葉巻の火は自然と消えた。

 カテナは部屋に入るなりレオの悪口を言いながら布団へと吸い込まれ、そのまますぐに寝落ちした。

「カテナくん寝たよー。お疲れだったみたい」

「一緒に寝てくれば良かったのに。ぐふふ♪」

 クルトは先程と同様に頰を膨らませながら、ゆっくりと階段を降りてきた。


 クルトはカテナに聞こえないようにアイシャに小さな声で話し掛けた。

「あの人たちはカテナをどうするつもりなんだろう」

「狼男を退治するためだけに宮廷魔術師がこんなところまで殺し屋を連れてくるわけないわ」

「別の目的があるってこと?」

「宮廷の連中は私でも知らない魔術をたくさん知っているからねぇ。それこそ禁忌の術とか。だから新しい術の研究のためか、狼男を戦争の道具にするとか、またはその両方か」

「じゃあ、どちらにせよカテナは」

「あぁ、捕まったら無事じゃ済まないだろうね。生きて会えることはもうないと考えたほうがいい」

「……ひどい」

「あくまで推測だけどね。都市伝説のような話だけど、宮廷魔術師はこの国の影の支配者よ。民衆からの支持も厚いし、宮廷魔術師の最高権力者は一部の民衆から神として崇められているらしいわ。圧倒的なカリスマ性と実力で、次期皇帝とも言われているわ」



 閉店作業を行う二人。アイシャはグラスなどの食器を、クルトはテーブルや椅子を丁寧に拭いている。

「ねぇ、クルト」

「アイシャ……」

 無音だった店内で二人の声が重なる。

「魔力探知!!」

「うん!!」

 アイシャが叫ぶとクルトはすぐに身に纏う魔力を広範囲に展開させた。

 通常は自身の肉体の範囲数センチに纏っている魔力は、悪意のある魔法からの防御力に長けているが、それを薄く引き伸ばすことにより防御力は低下するが、周囲にある魔法や魔法の発生元(人間や物)を感知することが出来るようになる。

「ドジしたわ!! クルトの魔力探知の範囲は!?」

「体調によるけど、20から25mくらい! 探知できないよアイシャ!」

 涙目を浮かべるクルトに近づき、クルトの手を握るアイシャ。

「ウインドボイス(盗聴魔法)! いつから!? クルトの探知の外から!? 信じられない!」

「ごめんアイシャ! カテナくんが、レオさんがきて、舞い上がっていて、うぅ、魔力探知怠ってた……」

「クルト! あんたのせいじゃない! こんなの予想できない! さっきの宮廷の男? いや、こんな魔力を持っているようには見えなかった! 別の誰か!?」

「カテナくんたちは!?」

「そうね、レオさんとカテナくんのところに行こう!」

 アイシャはクルトの手を握りながら階段を昇っていく。


「カテナくん!」

「レオさん!」

 クルトはカテナのいる部屋へ。

 アイシャは隣のレオのいる部屋に入った。

「カテナ君!! え、レオさん!?」

 カテナが寝ていたはずのクルトの部屋にはカテナの姿はなく、窓が開きカーテンが揺らめいている。

 そして窓辺に立つレオの姿があった。

 冬の到来が近いとはいえ、室内はなぜか外よりも冷えており、季節外れの寒さにクルトは一瞬身体を震わせた。

 レオの部屋に誰もいないことを確認したアイシャは踵を返し、クルトの部屋へ。

「レオさん……」

 アイシャがレオの背中に向けて名前を呼ぶ。

「けぇ、葉巻が凍っちまった」

 窓の外を見るレオ。レオは震える手を火の消えた葉巻に添えた。

 レオの右腕は霜焼けを起こしたかのように赤く腫れ、氷の粒が貼り付き湿っている。

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