節目
自分のことを振り返り、聴覚情報処理障害の症状に一致することが多いなと思った。
しかし同時に、
え? いや、今更?? 今まで33年間、問題なく生きてきたよ?? それなのに……今更こんなことってある?? ないでしょ!
とも思った。……でもそれはただ運がよかっただけなのだと今は思う。
聴覚情報処理障害の症状は賑やかな場所や慣れない環境で顕著になる。その為、聴覚情報処理障害の当事者は入学や進級、就職といった節目で苦しむことが多い。
そして私はというと、
・保育園〜中学校:過疎で少子化ののどかな田舎住みなので、クラスメイトのメンツがずっと変わらず、静か
・高校:街の方の女子校へ進学するも、つるむのはほぼ一緒に進学した友人Aだけ。騒がしいようなクラスではなく、バイトも禁止だったのでしていない
・大学:内部進学で高校近くの大学へ。友人Aも一緒。バイトは夏休みに地元で友人Aと学童保育をしていた(ちなみに、このバイト中に「何度もあおじお姉ちゃんの名前を呼んだのに無視された」と子どもを一度泣かせている)
このように、環境や交友関係に大きな変化が全くないのだ。勿論時折、あれ? と思うこともあったが、頻回でないので気にしていなかった。
ちなみに、学習面は教科書とノートがあればそれなりになんとかなったけど、英語は30点以上をとったことがない。ちなみにちなみに、聴覚情報処理障害の人の苦手科目には英語がある。
そして大学卒業後、私は地元の個人医院で働きはじめた。
私が入職した時に医療事務の先輩として妊婦の方がひとりおり、その先輩はわずか1カ月の引き継ぎをして退職。そこから11年間、わたしはひとりで業務をこなすことになった。
ひとり、それはつまり私に指示や説明といった聴覚情報を与えてくれる人がいないということ。
そして職場は前述の通り“地元密着型で、来院する患者さんは近所のご老体ばかりで暇な時間の方が多かったのんびりした個人医院”なので、めっっっっちゃ静かで雑音なんてない。
電話対応や来客対応も、番号をネットで調べる、名刺を見るなどの視覚情報で補っていた。
つまり静かな場所でマイペースに工夫しつつ業務をしていたものだから、問題が表面化するのが遅れてしまったというわけだ。
私は運よく症状との直面を逃れていた。だけど、それは今だからそう思うのであって、聴覚情報処理障害という言葉を知ったばかりの私は、
何で今更こんなことにつまずくの? こんなこと今まで一度もなかった! 悔しい、悔しい!!
とひとしれず涙を流した。こうして私の精神的不調は更に加速していくのだった。
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