1.02 五条坂

「……ファッキンねみい」


 翌朝。いつものように目を覚ます。鳴り響くアラームを一撃ワンパンで黙らせ、カレンダーをにらみつける。


 今日は月曜日だ。くそファッキン月曜日。


 エナジードリンクの空き缶を蹴散らしながら、身支度をはじめた。


 真っ赤なバンドTシャツ。

 くたびれた学ラン。

 黒の指抜きグローブ。

 五芒星のピアス。


 一瞬、きらめく色彩が視界をよぎる。昨日遅くまで解析していた呪詛じゅそコードが、ノートパソコンの画面で波打ち、曼荼羅マンダラのような模様パターンを描いている。このまま放っておいても害はない。


 唯一の同居人であるサボテンに水をやっていると、スマホにLINEが来た。


『遅刻厳禁!!』


 なかやまき●に君のスタンプを連打し、画面を消す。いつものように朝食は食べず、プロテインバーをかじりながら家を出た。


 待ち合わせ場所の清水坂きよみずざか公園で、高校の制服を着た少女が一人、おれを待っていた。


 ヘアトリートメントの広告にそのまま使えそうな黒髪に、日本人離れした黄金色ゴールデンの瞳。どこか黒猫を思わせるこの少女は、伊藤鏡子キョーコ――おれの幼なじみだ。


「おはよう、ジンくん。今日もおねむだねえ」


あよおはよ」と、おれはあくびで返事をする。


 鏡子と二人並んで、五条坂ごじょうざかをぶらぶら歩く。


 まだ朝の早い時間だというのに、レンタル着物を着た観光客や、見知らぬ制服の修学旅行生が坂道を上っていく。道の両脇には、老舗の甘味処が軒を連ね、抹茶の香りがふわりと漂う。


 五条坂は清水寺きよみずでらの参道の一つだ。


 この一帯は、陰陽庁おんようちょうの式神ドローンの巡回パトロール区域に入っているから、低級の妖魔ようまが寄りつく心配はない。


「ねえねえ、この動画見た?」


 坂道を少し下ったところで、鏡子がスマホを見せてきた。


「……なんだこれ」

「んとね。あたしが最近見てる、陰陽師系ユーチューバーの人」


 画面では、中世の板金鎧プレートアーマーらしきものを着たブリキ頭が、小鬼こおにの群れと対峙している。手にはなぜか、ガトリングガン。おそらく、M134ミニガンの改造品だ。


『オン・バラバザラ・ソワカ』


 ブリキ頭が真言マントラを唱え、ガトリングガンの引き金を引く。すると、青白い霊力を帯びた七・六二×五一ミリ那羅延天ナーラーヤナ弾が発射され、次々と小鬼をなぎ倒していく。


『ヒャッハーーーッ!!』


 そのさまはあやかしを討つというより、一方的な殺戮さつりくに等しい。


「いいねえ、やっぱり火力は正義ロマンだよ」


 鏡子は目を輝かせ、食い入るようにスマホを見つめている。まるでヒーローショーに夢中の子どもだ。おれは軽い頭痛を覚えたが、そうっとしておくことにした。


 現代の陰陽師には、大きく二つの生き様スタイルがある。


 一つはおれのような、霊的ゴーストハッキングを武器とするはぐれ陰陽師。派閥に属さず、組織に縛られず、おのれの腕と経験のみに頼って生きる風来坊アウトローだ。


 仕事はほとんど選り好みしない。敵対企業の霊的防壁セキュリティをぶち抜いたり、データや預金をかすめとったり、だれかに呪詛をかけることもある。谷川たにがわのような、裏社会の人間と付き合う機会も多い。


 そしてもう一つの生き様スタイルが、正統派の陰陽師だ。上流階級出身のエリートや、陰陽庁に属する国家陰陽師がその多くを占める。


 その歴史は天保十三年、チャールズ・バベッジの階差機関ディファレンス・エンジンをいち早く導入した土御門つちみかど家が、呪術の法則性プロトコル基本構造アーキテクチャを解明した時点からはじまる。陰陽道は当時、最先端のテクノロジーとして盛んに研究された。


 その最大の成果の一つが、潤沢な資金を投じて開発された霊子外骨格パワードスーツだ。正統派陰陽師は、霊子外骨格パワードスーツとハイテク呪具で武装し、圧倒的な火力によって敵を殲滅せんめつする。


 さっきのブリキ頭も、どちらかというとこのカテゴリーに属する。あれでもおそらく、良家の出の子女ボンボンだろう。まったくそうは見えないが。


 そんなことを考えていると、呪装端末カースドフォンからポコンと音がして、ホーム画面に千雪ちゆきが顔を出した。今は白衣びゃくえ緋袴ひばかま姿の、デフォルメされた人型アバターだ。


『ジン、緊急事態じゃ!』


 銀白色シルバーホワイトの髪の上で、狐耳がぴこぴこ動く。


「どうした?」

『わしのに、変なのが住み着いておるのじゃ!』


 短い手を振り回しながら、千雪がアイコンの一つを指差す。


 黒地に〝阿〟と描かれただけの、気味の悪いアイコン。確かにこんなアプリをインストールした覚えはない。


 千雪がそれを両手でつかみ、〝ゴミ箱〟に放り込もうとする。ところが、相手はびくともしない。


『ぬ、ぬぬぬ……重いのじゃー!』


 お次は助走をつけて体当たり。千雪はポーンとまりのようにはね飛ばされると、画面の反対側にぶつかって目を回した。


「どったの?」


 鏡子がおれの腕をとり、呪装端末カースドフォンをのぞき込んできた。


「なにこれ。なーんか怪しいねえ。もしかして、えっちなやつ?」

「阿呆か。こんなところに入れとくわけねえだろ」

「ふーん。じゃ、そーゆうアプリを使ってるのは事実なんだ」


 鏡子がジトッとした目でおれを見てくる。その顔は飼い主げぼくがなにか粗相をしたときの、黒猫そっくりだ。


 鏡子の追及を適当にあしらいつつ、おれは伊達メガネ型の補助端末デバイス――明鏡めいきょうを起動し、〝謎のアプリ〟の診断ルーチンを走らせた。


  Analyzing target... FAILED.

  KARMA STATUS: UNKNOWN.


 やはりおかしい。そもそもおれの端末に、見ず知らずのアプリが勝手にインストールされるはずはないが、分析しても正体不明。ひょっとすると、OSの核そのものカーネルに寄生している可能性がある。


 ふと視線を上げると、街並みの向こうに京都タワーがぽつんと見えた。


 今日もタワーは血のように赤い。ここ数日、並列接続クラスタリングされたサイバーモンクが日夜祈りを捧げているが、メーターは危険水域レッドゾーンにふり切れっ放しだ。


『のう、ジン』


 五条通ごじょうどおりの喧騒が間近に迫ったとき、千雪が真面目な声音こわねで言った。


『この、やはり妙じゃぞ』

「ユキもそう思うか?」


『うむ。一見すると無害じゃが、かすかな邪気を感じる。それにどうやら、このあぷりは不特定多数のニンゲンに送りつけられているようじゃ。ほれ、なんといったかの。ひと昔前に流行った――』


「チェーンメール?」


『そんな名前じゃったな。あれに加えて、なにやら複雑な閾下いきかでうごめいておる。まるで、だれかを探しておるような……」


 おれははっとして、鏡子を見た。鏡子はスマホの画面を凝視したまま、石のように固まっている。


「キョーコ、まさかよな?」


 返事はない。その顔からは一切の感情が抜け落ち、まるで能面のようだ。


 いや、鏡子だけではない。ついさっきまで、五条通の交差点をせわしなく行き交っていた人々も、ぼうっとスマホを見つめ、その場に立ち尽くしている。


 まるで、時間が止まってしまったかのように。


 おれは鏡子の肩をつかみ、スマホを手から払い落とそうとした。だが、不可視の結界がおれを阻み、壁のように立ちはだかる。


 鏡子はアプリを開いた――いや、何者かにのだ。


 突然、鏡子のスマホが妖しい光を放つと、画面からボトッとなにかがこぼれ落ちた。


 その正体は黒いむしだ。おびただしい数の蜘蛛くも百足むかでいなご鋏虫はさみむし薄羽蜉蝣うすばかげろう。呪詛が実体化し、この世にあふれ出したのだ。


 むしの群れは生きた絨毯じゅうたんのように広がると、毒々しい色のうずを形成した。


 ポータル。この世とあの世をつなぐ扉。


 ちりん、と鈴の音が聞こえる。


 次の瞬間、通勤や通学の人々でにぎわう朝の五条通は、一瞬にして無人の世界と化した。


 おれはためらうことなく、鏡子を追って渦のなかに飛び込んだ。

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