第五章 イチモツ

 時計塔の町を出て、草原に敷かれた道を少し歩くと、十字路に差し掛かった。俺は立ててある木の看板を眺める。東西南北の矢印と共に、各地域の名称が書いてあった。


 グレースが俺の隣で呟く。


「テリコ・ミアズマの被害が多いのは、帝国領の方角なんだけどよ……」

「じゃあ、北だな」


 この世界を救うには『テリコ・ミアズマ』という瘴気の発生源を叩かなければならない。早速、帝国領への道を歩き出そうとした俺の腕をグレースが引っ張る。


「待ってくれよ、マコト。この近くに『ラムセイ』って村があるんだけど、村人が突然死んじまうらしいんだ」

「病気じゃねーの?」

「わかんねえけど、そのせいで『呪われた村』なんて呼ばれてんだよ」

「何だかテリコ・ミアズマが、かかわっている匂いがプンプンするのです!」


 アイラの言う通り、その可能性は高いが、発生源ということで考えるなら、被害の多い帝国領に向かった方が手っ取り早い気がする。


 さっさと攻略して帰りたい俺は、村のことはスルーしたかったのだが、アイラ達は俄然やる気になっていた。


「放っておけないのです!」

「ああ! ジークなら、絶対助けに行くと思うんだ!」

「ジーク……グレースさん、前も言っていたですね」

「かつては、この世界にも魔王がいたんだ。それをやっつけたのが、S級魔物ハンターのジークさ。ジークはこの世界に住む皆にとって英雄なんだ。だけど……」


 目を輝かせながら語っていたグレースの顔が、不意に暗くなる。


「ジークはある日突然、消えちまった。そのまま、誰も姿を見た人はいない」


 グレースは真剣な眼差しで俺を見ながら言う。


「モンスターにやられたなんて言う奴もいるけど、アタシは信じない! だから、ジークの話を聞いたら、アタシに教えて欲しいんだ!」


 俺は頭を掻きながら「わかった、わかった」と言った。


「それより、その呪われた村はどこにあるんだ?」

「こっからだと北東に向かって進めば良い。二日もあれば着くと思うよ」

「北東か。どの道、帝国領に近付く訳だな。なら、OKだ」

「ありがとう! 優しいな、マコトは!」


 グレースが抱きつくようにして腕を絡めてくる。アイラがニヤニヤ顔で眺めているが、俺は何の感情もない。グレースは美人でスタイルも良いが、自殺癖のある危ない女だからだ。


 俺がそんなことを思ってるとは露知らず、グレースは腕を絡めたまま、少し照れくさそうに言う。


「あのさ。人間、生きてると死にたくなることって、よくあるよな?」

「いや。俺は、ねーけど」

「そういう時さ。一人で死ぬのって寂しいだろ?」

「ねーって。俺は」


 否定してるのにグレースは聞く耳持たず、大きな胸をドンと叩いた。


「マコトが死にたくなったら、いつでも言ってくれよ! アタシも一緒に心中しんじゅうするぜ!」

「だから! 俺は、そんな時、ねーって言ってんだろ!」

「そうなった時で良いんだ! だってアタシら、仲間だからよ! ハッハハハ!」


 そして、グレースは『良いこと言った』みたいな満足げな顔で、北東に向かって歩き出した。


 俺は少し離れて後に続きながら、隣のアイラに小声で言う。


「何だよ、『一緒に心中するぜ』って。胸叩きながら言うことか? 怖ぇーよ」

「繊細な心の持ち主なのです。傷付けないように、気遣きづかってあげて欲しいのです」

「面倒くせー」


 俺は溜め息を吐く。それでもアイラの言う通り、グレースには気を遣ってやった方が良いのだろう。何せ、仲間にしなかっただけで、モーニング・スターで首をくくる奴だ。


「マジで面倒くせー」


 俺はグレースに聞こえないように、小声で再度そう呟いた。




 北東に向かって道なりに歩いていると、やがて日が暮れてきた。最初の町で、馬車でも借りておけば良かったと後悔したが、後の祭り。とりあえず、岩場で野営の準備でも始めるかと考え始めた時だった。


 遠くで、獣のような雄叫びがあった。一緒に男達のたける声も聞こえてくる。


「誰か、モンスターと戦闘してんな」


 俺が呟くと、グレースがニカッと快活に笑う。


「よし! 行こうぜ!」

「加勢してあげるのです!」


 俺はやる気満々な二人を見て、嘆息する。『戦闘してるから、避けていこう』という意味だったのに。これからは、こういうことは口に出して言わないようにしよう。


 仕方なく声のある方に歩いて行くと、徐々に全貌が見えてきた。獣の皮で作られた服を着た部族のような男数人が、全長五メートルはある巨大な亀のモンスターを囲っている。


「なんだ、ありゃ」


 俺は呟く。亀タイプのモンスターは前の異世界でも見たことがあったが、俺の目はその甲羅に釘付けになっていた。巨大亀の甲羅は宝石のようにキラキラと輝いていた。


「ダイアモンド・タートル!? こんな所に出るなんて!!」


 グレースが珍しいものを見たように、そう叫んだ。


「強いのか?」

「ああ! 討伐ランクS級のモンスターだぜ!」

「ドラゴンの次は、S級モンスターかよ」


 テリコ・ミアズマのせいで、モンスターが活発化しているからなのだろう。その証拠に、ダイアモンド・タートルの目は赤く染まり、牙のある口からヨダレを垂れ流している。明らかに正気ではない。


 武器を持ってジリジリ迫る屈強な男達に対して、ダイアモンド・タートルは突然、頭部と手足を引っ込める。そして、甲羅だけの外見になって回転した。


 まるでスピンする車。男達は慌てて囲いを解くが、ダイアモンド・タートルは止まらない。一番近くにいる男に突進した。


「ひっ!」と怖じ気づく男。その前に颯爽と立ち塞がるのは、一際ひときわガタイの良い、ヒゲ面で年配の男だった。盾も持たず、仲間の前で腕を十字に組むと、ダイアモンド・タートルの突進を生身で受けとめる。俺の耳に『メキメキ』と骨の軋む音が届いた。


 ――あーあ。折れたな。


 だが、俺は次の瞬間、大きく目を見張る。ヒゲの男は、ダイアモンド・タートルの突進で数メートル後退していたが、それでも腕を組んだまま、その場に佇んでいた。


「持ちこたえたぞ。やるな、アイツ」


 俺が感心していると、アイラが急かすような声を出す。


「マコト! 早く助けてあげるのです!」

「わーったよ」


 俺は右手を伸ばしかけ――ハッとして思い留まる。癖で破壊魔法を発動しようとしてしまった。これでは、ダイアモンド・タートルを囲っている奴ら全員巻き込んでしまう。「チッ」と舌打ちしながら、俺は剣を抜き、ヒゲの大男の隣に立った。


 アイラが皆に向けて叫ぶように言う。


「私達も一緒に戦いますです!」

「アタシらは勇者のパーティだ!」


 聞かれる前にグレースが自信満々に、そう名乗った。


「ほう。勇者か」


 ヒゲの大男が、見かけ通りの迫力のある低い声で言った。ダイアモンド・タートルは俺達、闖入者ちんにゅうしゃの出現で攻撃を躊躇っている。一種の膠着状態。その間に、ヒゲの大男は俺に頭を下げてきた。


「感謝する。だが、加勢は無用。ダイアモンド・タートルには剣より、こちらの方が向いている」


 俺の持っている剣を一瞥した後、ヒゲの大男は俺より一歩前に進むと、巨大かつ頑強そうなハンマーをかざす。確かにこれがヒットすれば、あの甲羅だってかち割れるかも知れない。


「けどアンタ、その腕じゃ無理だろ」


 俺が折れた腕を顎で示すと、ヒゲの大男は「フッ」と薄く笑った。背後から男の仲間の声が轟く。


「ガルフ! 勇者に、お前の本気を見せてやれ!」


 ガルフと呼ばれたヒゲの大男は、深く呼吸する。すると、体に変化が起きた。瞬く間に、全身の体毛がフサフサと伸びる。更に、顔は狼のようになって、牙を剥く。


「獣人か」


 俺は呟きながら、ガルフの腕を眺める。折れた筈の腕が治っていた。狼獣人に変化すれば、ダメージが回復するようだ。


 一方、ダイアモンド・タートルは、ガルフの掲げたハンマーを見て、標的と定めたようだ。またしても頭部と手足を引っ込め、甲羅だけの姿になってガルフに突進する。


 猛スピードで迫る、ダイアモンド・タートル。それでも、ガルフは微動だにしない。今まさにガルフの目前に到達した時、


「ぬぅん!」


 裂帛れっぱくの気合いと共にガルフがハンマーを振り下ろす。鉄が合わさったような熾烈な音が、辺りに響いた。


 そして、俺の視線の先――ダイアモンド・タートルは、口から泡を吐いて動きを止めていた。硬そうな甲羅は、ガルフの一撃で大きく陥没している。


 勝利を確信したガルフの仲間達が「わっ」と、歓声を上げた。





 星が煌めく夜空の下。岩場には幾つものテントが設営されていた。


 獣人達が焼いた魚を片手に、先程のガルフの健闘を称えて笑う合う。そして、俺とアイラ、グレースもその輪の中にいた。


 アイラが貰った焼き魚に口を付けながら、ガルフにおずおずと言う。


「食事や寝床まで頂いて、申し訳ありませんです。全然、役に立てなかったのに……」

「俺のせいみてーに言うなよ」


 俺にジト目を向けてきたアイラを睨む。すると、ガルフが大きな声で笑った。


「勇者殿が本気を出せば、きっと、われが手を下すまでもなく、ダイアモンド・タートルを倒せたであろう」

「おっ。分かる?」

「無論だ。我も歴戦の戦士。一見しただけで、勇者殿の尋常ならざる強さが分かる」


 そんな風に言われて、俺は悪い気はしない。グレースが肉に齧り付きながら、ガルフに笑いかけた。


「しかし、やったな! あの甲羅を剥いで売りゃあ、一生遊んで暮らせる程の金貨が手に入るぜ!」


 俺は離れたところで、幾条もの鎖に繋がれて未だに気絶しているダイアモンド・タートルを眺めた。名前の通り、その報酬は大変なもののようだ。


 それでも、ガルフは首を横に振った。


「ダイアモンド・タートルは本来、そこまで気性の荒いモンスターではない。テリコ・ミアズマのせいで凶暴化してしまったのだろう。殺すことはあるまい」

「そうなのか? うーん。もったいないなあ」


 グレースが驚いて、そう呟いた。ガルフはにこやかに笑う。


われは無益な殺生は好まぬ。人間もモンスターも、命は大切だ」


 アイラが食べていた料理から口を離し、感極まったような声を出す。


「ガルフは素晴らしいのです! マコトも見習うべきなのです!」

「うっせー」


 とは言いつつ、俺もガルフを立派な戦士と認めていた。肉体的な強さもさることながら、精神的に成熟している。


 ――こういう奴が仲間だったら良いのにな。


 そんな風に思いながら、俺は差し出された魚料理に舌鼓を打った。


 やがて、料理を平らげた時。不意にガルフが俺達の前で土下座をした。アイラが目を丸くする。


「ええっ!? 急にどうしたのです!?」

「勇者殿と女神様にお願いがある」


 ガルフは真摯な目を俺に向けて言う。


われを勇者のパーティに入れてくれまいか?」


 ガルフが仲間だったら、などと考えていた矢先の申し出だった。無論、俺的に異論はないが、一応、ガルフの仲間達の様子を窺う。


「ぜひ、連れていってやってくれ! ガルフは俺らの中で最強だ!」

「強い奴と旅をするのが、ガルフの夢だったもんな!」


 仲間達も喜んでいるようだ。グレースとアイラも盛り上がっている。


「ガルフが仲間になれば、百人力だぜ!」

「頼もしい限りなのです!」


 ガルフの目は俺に向けられていた。俺は、自分から握手の手を差し出した。


「わかった。よろしくな、ガルフ」


 ガルフは余程嬉しかったのか、しばらく俺の手を握り締めていた。やがて、獣人の一人が樽を運んでくる。


「ダイアモンド・タートル討伐に加えて、ガルフの出世祝いだ!」


 そうして酒宴が始まったのだった。




 夜が更けて、賑やかだった岩場のキャンプは静かになった。焚火の辺りには、空になった樽が転がる。


 他の獣人達が酔い潰れて寝てしまっても、俺達は割り当てられたテントの中で、これからのプランを話し合っていた。ガルフが「是非に」と聞いてきたからだ。俺達が、テリコ・ミアズマの発生源を叩く為に帝国領に向かっている旨、そして、道中にある呪われた村に寄ろうとしていることを伝えると、ガルフは大きく頷いた。


「呪われた村の噂は、我も聞いたことがある。困っている人々がいるなら、少し遠回りしてでも助けねばならんな」


 アイラがパチパチとガルフに拍手する。すると、グレースは少し憂鬱そうな顔を見せた。


「アタシから言っておいてなんだけど……呪われた村って、何か、ちょっと怖いよな……」


 怖じ気づくグレースを見て、俺は呆れてしまう。ガルフと対照的すぎると思ったからだ。


「情けねーな、グレースは。強くなりてーなら、もうちょっとしっかりしろよ」

「マ、マコト!」


 何気に言った一言に、アイラが叫んだ。「あっ」と思って、グレースを見ると、黙ったまま俯いている。俺は慌てて取り繕う。


「冗談だって、グレース!」

「あ、ああ。わかってる……」

「グレースさん! 死んじゃダメなのです!」

「な、何言ってんだよ、女神様。こんなことじゃ死なないよ。ハハハ。死なない。死なない。死ぬもんか」


 そう呟きながら、ふらりとテントを出て行く。俺はアイラの肩を叩いた。


「アイツ死ぬぞ。モーニング・スター隠しとけ」

「はいなのです!」


 そう言ってグレースの後を追おうとしたアイラは、俺を振り返る。


「アイラに命令するな、なのです!」

「いいから早く行けって!」


 プンスカしつつ、グレースを慰めにいくアイラ。テント内は、俺とガルフ二人きりになった。


 俺はガルフに笑いかける。


「ホント、アイツら、どうしようもなくてよ」

「見た感じ二人共、まだ若い。多少のことは目を瞑ってやらなければなるまいて」

「ガルフは大人だなー」


 ――ま、これから、ガルフと行動すれば、グレースも変わるかも知れねーな。


 俺は大人のガルフがグレースに良い影響を与えてくれるのではと期待していた。


 ふと気付くと、ガルフが真剣な様子で膝を正している。


「この際だ。われが、勇者殿の仲間にしてくれと言った本当の理由を伝えておこうと思う」


 俺達しかいないテントの中を、やにわにピリついた空気が漂う。何か、重い理由があるのかも知れない。


 ――両親か恋人を凶暴化した魔物に殺されたとか、かもな。


 パーティのリーダーとして、どんな話を聞かされても動じないように心構えしつつ、俺はガルフの言葉を待った。


 ガルフは、俺の下半身の辺りに視線を向けながら言う。


「勇者殿のイチモツを、触らせて頂きたい」

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