第2話

 オルフェウスとゼイン、ふたりに初めて会ったのは、心地よい風が吹き抜ける、小高い丘にある広い草原でのことだった。

 アレドナール国王のカーディンを訪ねた父親のグイドに連れられて、ハルは王都に来た。カーディンは、待ち合わせの場所に双子の息子を連れてきたのだ。

 ハルはカーディンに深々とお辞儀をする。カーディンの姿は国行事のときに遠くから見かけたことがあるが、まともに会うのはこのときが初めてだった。

 白髪混じりの黒髪と笑ったときの目尻のシワがカーディンの柔和な感じをより引き立てていた。


「ずいぶんと可愛らしいご子息だ。この子はオメガか?」


 カーディンはハルの顔をしげしげと眺めて言った。

 やわらかな金色の髪とアイスブルーの瞳を持つハルは、昔から容姿を褒められることが多い。女の子に間違われたことも一度や二度ではない。人形のようにはっきりとした目鼻立ちは、他のバース性よりも容姿に優れていると言われるオメガの特徴らしい。


「十一歳でまだバース性はわからないのですが、この容姿です。オメガで間違いないと思っています」


 グイドはハルがオメガであることを望んでいる。ハルのふたりの兄はアルファとベータだということがすでに判明しており、グイドはハルこそオメガだと信じたいのだ。


「ハル、ご挨拶なさい」


 父親のグイドに背中を押されて、ハルは一歩前に出る。

 ハルの目の前には双子の男の子が立っていた。

 双子だけあって顔はそっくりだった。九歳と幼いが、艶やかな黒髪と黒曜石のように輝く大きな瞳が印象的で端正な顔のつくりをした兄弟だった。その当時、ハルは十一歳。ハルのほうが双子よりも少しだけ背が高かった。


「はじめまして。ハルヴァード・フラデリックです」


 ハルが名乗って右手を差し出すと、ハルから向かって右側にいた子が手を握り返してきた。


「第一王子のオルフェウス・アレドナールです」


 兄のオルフェウスは穏やかな顔で微笑みかけてきた。オルフェウスはどこかふわっとした優しい雰囲気を纏っているような人だ。

 オルフェウスと視線を合わせて挨拶を交わす。そのあと、ハルは双子のもうひとりの男の子のほうを向いた。


「はじめまして」


 にっこりと笑顔で挨拶したのに、なぜかゼインは固まってしまった。少し間があったあと、ゼインは口を開く。


「第二王子のゼイン・アレドナールだ」


 ゼインの声はとても伸びやかだ。身体じゅうにすっと溶けていくような、心地のいい声だった。


「ゼインさまとお呼びしても?」


 馴れ馴れしいかな、と思ったが、ゼインとお近づきになりたかった。それに、ゼインもオルフェウスも同じ『殿下』と呼ばねばならないのは少しややこしいと思った。


「構わない。好きに呼んだらいい」


 ゼインはさっと視線をそらしてしまった。その耳が少し赤く紅潮している。ゼインは愛想が悪いわけではなく、恥ずかしがり屋なのだろうか。


「ありがとうございます。ゼインさま」


 ハルはゼインにも握手を求めて手を伸ばす。


「あ、あぁ……」


 視線をそらしながらも、ゼインはハルの手をとった。もっと雑に扱われると思っていたのに、握り返してきたゼインの手はやけに優しかった。


「あ! あそこにウサギがっ!」


 草むらを跳ねるグレーベージュのウサギを見かけて、ハルはゼインの手をぱっと離して駆けだした。ハルにつられたのか、ゼインもあとから追いかけてきた。

 ハルとゼインはウサギに忍び足で近づき、ゆっくりと距離を詰めていく。


「あと少し近づいて一緒に眺めましょう」

「眺める……? 捕まえるではなくて……?」

「はい。だって捕まえたら可哀想です。いくら自分より小さいからって危害を加えていいなんておかしいでしょう? ウサギがびっくりしてしまいますよ?」


 ゼインはウサギを捕らえる気だったのだろうか。そんなことをしたらウサギが抵抗して傷ついてしまうかもしれないのに。


「へぇ……それでもいいのか」


 ゼインはそう呟いたあと、じっとウサギを観察している。


「可愛いですよね」


 ハルもゼインのそばでウサギを眺めてみる。もぐもぐと口を動かしているウサギの仕草は愛らしくて、ずっと見ていても飽きない。


「可愛い……」


 ゼインの小さな声が、風に乗ってハルの耳元まで届く。

 その声に釣られてゼインのほうを向くと、ぱちっと目が合った。


「ゼインさまもお好きなんですか?」

「好きっ? なっ……!」


 急に話しかけられ動揺したせいか、ゼインは言いよどんだ。


「私も好きです。ウサギ。屋敷の近くにもよく遊びに来てくれるので、時々エサをやっています」

「あっ……ウサギのことか」


 ゼインは何を勘違いしたのだろう。ここにはウサギしかいないのに。


「私は赤い目をしたウサギが好きです。ゼインさまは? どのようなウサギがお好きですか?」

「お、俺がかっ?」

「はい、そうですが」


 ハルは目をぱちくりさせる。ハルには、ゼインがなぜ焦っているのかがわからない。


「あお……」

「あお?」

「青い目をしたウサギが好きだ。天気のいい日の空の色みたいな水色で、澄んだ瞳がいい」


 ゼインはまっすぐにハルの瞳を覗き込んでくる。さっきまでまともに目を合わせてくれなかったのに、急に見つめられてハルの鼓動が早くなる。

 感じたことのない不思議な感覚だった。整った顔立ちに、夜空のように深い暗闇の瞳。ゼインが美形すぎるから、妙にドキドキするのかもしれない。

 一瞬、ゼインの瞳に吸い込まれそうになるが、ハルは気持ちを取り直す。


「そうですか。では今度一緒に森にまいりましょう」

「森にっ?」

「木の実や薬草を集めたり、動物を見つけて観察したりするんです。すっごく楽しいですよ」

「討伐ではなく……?」

「はい。当然です。お菓子を持って遊びに行くんです」


 森に討伐に行くとは、九歳の子どもがなぜ大人みたいなことを言っているのだろう。


「……それなら、行ってみたい。それが許されるのなら」


 ゼインは控えめな声だった。遊びに行くだけで悪いことではないのに、何を気にしているのだろう。ゼインは変わった子どもだ。


「では父上たちにお願いしてみましょう。きっといいと言ってくださいます。ゼインさま、一緒に遊びましょうね!」


 ハルが大きな声を出したら、目の前のウサギの耳がぴくりと反応し、ウサギは遠くに逃げてしまった。


「ど、どうしよう、申し訳ございませんっ、ゼインさまっ」


 そうだった。ゼインとの話に夢中になってしまい、ウサギのことをすっかり忘れていた。ゼインはウサギが好きなのに。


「その程度のこと、別に構わん」


 ぶっきらぼうに言われたゼインからの言葉からは、許してもらえたのか、本当は怒っているのか、まったく感情が読み取れなかった。

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