第13話 ラスボスの運命


 アイドルバトル決勝の会場は異様な雰囲気だった。

 どよめきと戸惑い、受け止めきれない凄さに、誰もが圧倒されていた。黒澤アリアというこの事態を引き起こした人物以外は。

 カレンは歌うたびに酸素を奪われているような息苦しさを覚えた。


『なんということでしょう、ここまで10曲、すべて黒澤アリアは白銀カレンと同じ曲を歌っています』

『このセットリストは、当日まで誰も知らないはず。その場で歌って、あのクオリティということに脅威を感じますね』


 同じ舞台の袖にいるというのに、解説の声以外静かなものだった。

 誰もが黒澤アリアを遠巻きに見守り、カレンはただその隙間に存在しているだけにさえ感じた。


(なんで、アリアさんは歌えるの?)


 10曲、同じ歌を選べるなどありえないし、信じたくない。

 最初の一曲だけなら、まだそういうこともあるかもしれないと思えた。

 解説の声にカレンは眉間に深い皴を刻み込んだ。


「セットリストがバレていたの?」


 カレンの声にマネージャーが首を横に振る。


「いえ、どうやら事前に『白銀カレンと同じ曲を歌う』とだけ通告していたようです」

「そんなの……!」


 どうしろというのか。

 防ぎようがない。その上、黒澤アリアがぶっつけ本番で、カレンの歌を歌っているのがはっきりしてしまった。

 敵わない。アリアは演出などをその場だけで決めているのだ。他人の曲を歌いながら、アイドルらしさを振るまく。

 カレンの歌でこれだ。自分の歌を歌っていたら、もう勝負は決まっていただろう。


「なんで、そんなこと。普通にアリアさんの歌を歌えばいいのに」

「ええ。黒澤さんにしてみれば、何が来るか分からない曲を歌うわけですし……何が来てもいいように、彼女の衣装は二着しか用意されていません」


 悔し紛れに言った一言に、マネージャーは半分感心したように口にする。

 そうなのだ。アリアはどんな歌にも合うようにシンプルな衣装を着ていた。

 どの歌にもピッタリではない。だが、外れてもいない。

 それでも印象が悪くないのは、アリアのパフォーマンスと歌唱力が高いことの証明だ。


「このままじゃ、勝てない」


 カレンはマイクを握りしめた。


「カレンさんの歌がアリアさんに劣っているわけじゃなりません!」

「でも、インパクトで負けるじゃないっ」


 マネージャーの励ましの言葉にカレンは思わず叫んだ。

 アリアはカレンと同じくらいには曲を歌いこなしている。

 一曲ごとの投票ではどうにか勝ったり負けたりだが、このまま最後まで歌い切られては総合評価で負けてしまう。


(どうすれば、アリアさんの行動を止められる?)


 アリアが真似できない歌は、そのままカレンも歌ったことがない歌になる。

 カレンだけが知っていて、アリアが知らない歌。

 そんなの新曲しかない。


「アリアさんも知らない歌を歌うしかない……?」

「【ボーダーライン・ブレイカー】は新曲ですよ」

「でも、それだけじゃ……」


 新曲だろうと、あのくらいの曲ならアリアは易々と歌いこなすだろう。

 そうなるとカレンとしては打つ手がない。

 なら、いっその事。


「あたしも歌えなかった歌なら」

「あの歌ですか?」


 マネージャーが目を見開いた。

 ボーダーライン・ブレイカーの前身になった曲。あの時は難しすぎて歌えなかった曲。

 だが、今のカレンであれば、きっと歌える。


「音源はあるわよね?」

「ありますが、今から差し替えも、黒澤さんがあの状態なら通るでしょう」


 マネージャーの視線が「本当に歌えるのか?」とカレンを突き刺す。

 そんなの答えは一つしかない。


「やるわ」


 できる、できないじゃない――できなければならない。

 アリアが歌えないような歌を歌えてこそ、カレンはアイドルバトルで優勝できる気がした。


「合間に聞き直す。今のあたしなら、歌えるし……限界を越えなきゃ、アリアさんには届かない」


 一か八か。それでも勝ち筋があるなら、進むしかない。


「わかりました。差し替えてきます!」

「お願いします」


 カレンはステージを振り返る。

 さっきまでカレンが歌っていた歌を、そっくりそのまま歌っているアリアが見えた。


「あなたが新曲を見せてくれたように、あたしもあなたに証明して見せる」


 あなたを超えることができるってことを。

 カレンはラストソングを歌うために移動した。

 最後は正面から――ポジションゼロで歌うと決めていた。


 *


 アリアが11曲目を終え、舞台袖に戻ってくると、そこには小暮しかいなかった。

 その小暮でさえスマホを片手に呆れたような笑顔を浮かべている。


「うわー……炎上しまくりですよ」


 スマホ画面を見せられる。

 アイドルバトルのハッシュタグが付いたコメントが川下りのように流れていく。

 その勢いを横目で見ながら、アリアは置いてあった水筒を手に取り、水分を補給した。


「炎上させといたら? 分かりやすいし」

「ドライだわ……それにしても、他人の曲をよくそこまで歌えますね」


 スマホをポケットにしまい、小暮がアリアが渡した水筒を受け取る。

 他人の曲だが、アリアもとい中にいる麻友にとっては、何度も聞いた曲だ。

 歌詞を覚える必要さえなく、この身体なら記憶の中のカレンの息遣いさえ再現できる自信があった。


「一人分の楽曲を覚えることくらいわけないでしょ」

「……それができるのが、凄いんですよ」


 何も答えない。

 凄いと言われても、それもすべてはこの後にくる瞬間のためなのだ。

 ステージを映す画面をじっと見つめるアリアに小暮は小さくため息を吐いた後、言った。


「このまま行けば勝ちですね」

「まぁ、ね」


 このまま行けば、そうなる。だが、それはアリアの望んだ終わりにはならない。

 芳しくないアリアの反応に小暮が不思議そうに首を傾けた。


「まだ何かあるんですか?」


 アリアは目を泳がせた。

 何かあって欲しい。その、何かのために、アリアは今まで努力を続けてきたのだから。

 そして、白銀カレンはアリアの予想通り成長してきてくれた。

 だから――アリアは期待を込めて画面を見上げる。


「白銀カレンなら、きっとこのまま負けたりしない」


 小暮がまるで青天の霹靂に出会ったような顔で、呆然と声を出す。

 すでにカレンに残された曲は一曲だけ。

 その一曲で状況をひっくり返すのは、ほぼ無理な話だ。


「ええ……? なんで、そんなに白銀さんにだけこだわるんですか」

「見てればわかるわ」


 気配を感じる。まるで背筋が期待に粟立つような感覚に、アリアは居ても立っても居られず、ステージが直接見える場所に移動した。

 着いた瞬間にスピーカーから解説が始まる。


『さて、これで白銀カレン、ラストの曲です。【ボーダーライン・ブレイカー 】に代わりまして――【超絶ボーダーライン】』


 やった。ついに【超絶ボーダーライン】が世に出る。

 アリアはぎゅっと拳を握りしめた。


『どちらも聞いたことのない曲ですね』

『どうやら新曲だったようですが、さらに差し替えて来たようです』


 ちなみに【ボーダーライン・ブレイカー 】はトゥルーエンド以外でも登場する。

 ノーマルとグッドエンドではこちらが通常の曲扱いだ。

 バッドエンドの時は、そもそもこの歌を歌えるステージに上がれないし、レベルにさえならない。

【ボーダーライン・ブレイカー 】でさえ並のアイドルには難しいのだ。


『黒澤さんの奇策に対して、対抗策でしょうか』

『何でも……とても難しい曲で、一度は歌うことを諦めた曲とのことです』


 期待通りの開設の言葉に、アリアは小暮を振り返った。


「ほら、やってくれる」


 きっと、とてもドヤ顔をしていたのだろう。

 小暮がぽかんと口を開けたあと、わざとらしく肩を落とす。


「また無茶をしますね、白銀さんも。新曲を歌うだけできついだろうに」

「この間、わざわざ新曲を見せに行った甲斐があった」


 そう、真似ばかりされるのであれば、絶対真似をされない、世に出てない曲を歌えばいいのだ。

 もっとも麻友は【超絶ボーダーライン】は空で歌えるほど聞きこんでいる。麻友の時は歌えなかったが、アリアだったら歌えるだろう。


「歌えたとしても歌わないけど」


 小さくアリアは呟いた。

 あの曲は白銀カレンが歌ってこそ意味がある。

 スピーカーの音が消え、照明が舞台に集まりだす。

 眩しいスポットライトが照らすポジションゼロ。そこは決戦の舞台だった。

【超絶ボーダーライン】 のイントロが流れ始める。


(ああ、ついに聞ける……!)


 アリアはうっとりと目を閉じた。

 長かった道のりもこの日のため。ようやく、ラスボスとしての道のりも終わる。


「♪ あなたを乗り越えたくて 夜明けよりも早く走り出した」


 まるで光の粒子のように、カレンの声が黒澤アリアに襲い掛かる。

 良い声だ、カレンの全力。きっと極めスパルタンも飲んだに違いない。

 ふっと笑うアリアを小暮だけが見ていた。

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