第10話 試練のステージ:Stamina 後半


『さぁ、始まりました。アイドルバトル決勝ステージ。対面ライブに進むための最後の関門は12時間耐久握手会です』


 スピーカーのスイッチが入り、流れてきた音声に人々は一度足を止め顔を上げる。


『12時間耐久握手とは中々厳しいですね』

『もちろん、1時間半に一回休憩は入りますが……体力的に厳しいですよね』


 カレンは会場に響く実況の声に顔をしかめた。

 厳しいことは誰よりカレン自身がわかっている。

 歌もダンスも、ルックスだって。

 何が来ても良いようにあの後毎日特訓をした。イメージトレーニングだってばっちりだ。

 それなのに、発表されたステージは握手会。それもカレンの苦手とする長時間のものだった。


(どうして、握手会なのかしら)


 思わず自問せずにはいられない。

 黒澤アリアが自分に有利なものになるよう、審査員を買収したと言われた方が信じられる。

 そんな疑心暗鬼にかられていると、大きな袋を持ったスタッフから声をかけられた。


「白銀さん、差し入れです」

「え、何?」


 珍しい。

 通常であればチェックが終わってから、まとめて置いてあるのだ。

 しかも結構な大きさだ。


「手紙と一緒に差し入れされました。マネージャーさんに確認したところ、こっちに持っていくようにと」


 マネージャーが持っていくように?

 不思議なこともあるものだ。カレンは不思議に思いながらファンレターの名前を確認する。


「ウタさんからだわ!」


 カレンは思わず、声を上げた。

 いつととは違う様子にスタッフが目をパチパチとさせながらカレンを見ていた。


「前も何かあった人なんですか?」

「あの衣装とマヌカ飴をくれた人よ」


 封の空いたファンレターを取り出す。

 中身は今までのアイドルバトルへの労いと、耐久握手会への励ましだった。

 並べられる暖かい言葉にカレンは自然と頬が緩んでいくのを感じる。

 そして最後に『応援のためにとっておきを用意した』と書いてあった。


「いつも、あたしに必要なものをくれるの。すごく真剣に見てくれているんだと思う」


 カレンは便箋を大切に仕舞い、封筒に戻す。

 それからウタの差し入れに手を伸ばした。

 こちらも一度確認してあるらしく、覗き込むだけて簡単に中身が見れたーーと、カレンは目を見開き中に入っていた差し入れを取り出した。


「今回は……極めスパルタンだわ」


 恐る恐る目の前の机に置く。

 カレンの口から出た単語を聞いたスタッフが眉間にシワを寄せた。


「それってヤバいほど効くって奴じゃ」

「ええ、そうよ」


 カレンも噂だけ聞いている。

 これがあれば勝てるかもしれない。いや、負けないと言ったほうがよい。

 今回の耐久握手会は、その名の通り12時間握手会を続けられれば通過だ。

 そのまま最後の対面ライブに入れる。


「12時間……厳しい戦いだと思ったけど、これで希望が見えたわ」

「負けるつもりだったんですか?」

「いいえっ」


 スタッフの疑問にカレンは大きく首を振った。

 色素の薄い髪の毛が勢いよく広がる。

 負ける?

 そんなことは微塵も考えていない。


「黒澤アリアが続ける限り、何があってもやるつもり」


 黒澤アリアには負けられない。

 最初から目をつけられていた。


『あなたはたちじゃ、わたしの相手にならない』


 そう言い捨てられたのが焼き付いている。

 その後、アイドルバトルが始まり成長できた。そのはずだった。

 なのに、この間のアリアがカレンの事務所に来たことで、理解してしまった。

 歌も、ダンスも、全て差を見せつけられたのだから。


「あんなものを見せつけられて、そのまま負けていられないでしょう」


 カレンは拳をぎゅつと握る。

 悔しい。

 いくら上手くなっても、黒澤アリアに敵わないことが。

 アイドルバトルを優勝するより、カレンはアリアに勝ちたかった。


「アリアさんもカレンさんにだけ妙に突っかかってきますよね」

「そうかしら。でも、黒澤アリアに認められてるなら嬉しいわ」


 アリアが何かを他のアイドルに言うことは、ほぼなかった。

 まるでアイドルバトルの見せ場を作るように、アリアはカレンの前にだけ立ち塞がる。他の候補者など目に入っていないようで、それが胸の奥でムズムズした感情を引き起こす。


「この間もわざわざ新曲を見せに来てたじゃないですか」

「そうね」


 頷きながら事務所に現れたアリアを思い出す。

 完璧なアイドル曲。

 聞いたことがない曲だったが、なんと新曲だった。

 わざわざ新しい曲を見せてくれるなんて大サービスだ。

 棄権しろなんて言っていたのに、彼女はカレンに差を見せることで必要なものを教えてくれているようにさえ感じた。

 不思議。それはもう一つあった。


「なんで、アリアさんはあたしの衣装が差し入れだって知ってたのかしら」


 誰にも言っていないのに、黒澤アリアはカレンの衣装が差し入れだと知っていた。

 予備の衣装と周りには伝えていたのに。

 そして、開演間近にも関わらず、カレンの状態を見に来てくれたようにも思えた。


「ウタの関係者なのかしら?」


 いつの間にか耐久握手会への緊張感は消えていた。

 開始までのわずかな時間。カレンは会場のざわめきを感じながら過ごした。


 *


「次入ります!」


 黒澤アリアはにっこりと笑顔を作った。


「こんにちは、来てくれてありがとう」

「アリアちゃん、絶対優勝だから! 応援してる」

「ありがとう。頑張るから」


 流れるようにファンの対応をしながら、会場に目を向ける。

 会場は中々の人入りだった。

 なんと言っても12時間耐久だ。12時間握手をするということは、12時間握手をする相手がいなければならない。

 そう考えるとファンの情熱も図られている気がした。


「黒澤さま、凄すぎます。次のライブも楽しみにしてます」

「ありがとう。人が多いから気を付けてね」

「もちろん! また来ます」


 アリアのところに来るファンは千差万別だ。

 特定の偏りが見られないのが特徴かもしれない。あと、集団で来る人が少ない。

 これがカレンだと、カレンのルックスに憧れる綺麗めの女の子か、ガチ恋勢が多くなる。

 今のところ、アリアの列もカレンの列も変わりなく人が流れていて、ほっとした。


「次、入ります」


 いつもの掛け声とともに入ってきたのは、初めて見る顔だった。

 アリアを見るでもなく、ただ前に立つ。俯いているのだが、背が高いので表情が見えた。

 好感的とは言いづらい表情に、アリアは少し身構えるも、アイドルとして笑顔は崩さない。


「こんにちは」

「カレンちゃんをいじめるな」


 のっけからの一言に、アリアは唇をきゅっと結んだ。

 やはり、カレンのファンか。

 そろそろこういう輩が出てもおかしくないとは思っていた。

 だが、アイドルにアンチは付き物。

 アリアは少しだけ身体を引きつつ言った。


「いじめてるつもりはないけど」

「うるさい!」


 まるで何かが暴発したような大声とともに、何かが煌めく。

 まずい。

 気づいた時にはアリアの腕に赤い筋ができていた。


「きゃっ」

「アリアさん!」


 鈍い痛み。抑えた手が赤くなる。

 台から離れ距離を取る。

 複数のスタッフがすぐに男に飛び掛かった。


「刃物を持ってる! 気を付けてっ」

(こんなイベントはなかったはず……!)


 アリアが叫んだ。

 と、小暮に腕を引かれる。


「アリアさん、こっちですっ」


 小暮に後ろに引っ張られながら、アリアは男の様子を見る。

 すぐに取り押さえらえる男は、それでもまだアリアを睨みつけていた。

 敵ながらあっぱれだが――アリアは男に行った。


「悪いけど、わたしが勝つから」


 いくら記憶にないイベントだとしても、アリアはもう引くことはできない。

 カレンをいじめているわけではない。その上で、負けるつもりはない。

 これはアイドルとしての真剣勝負なのだ。

 それを邪魔されるわけにはいかなった。


「アリアさん! 危ないですから」

「っ、今行くから」


 だが、小暮に強く身体を引かれ救護室に連れていかれる。

 傷は浅いが刃物だ。血はまだ止まっていなかった。

 会場は騒然となり、握手会は一時中断。


(これで決勝がなくなったら、困る)


 黒澤アリアとしても、麻友としても、それが一番避けたいことだった。

 アリアは決勝で自分を超えるようなアイドルと歌いたい。

 麻友はカレンの歌が聞きたい。

 どうすればいいとぐるぐる考えていた所に、その声は聞こえて来た。


「アリアさん」


 白銀カレン。

 自分のファンが起こした事件とはいえ、彼女には無関係な話だ。

 それなのに、その顔は申し訳なさそうに眉を下げていた。

 アリアはわざと包帯を巻かれた手を軽く上げて鼻で笑う。


「わざわざ見に来たの? あなたのファンはお行儀が悪いんだね」

「っ」


 まるでカレンも刃物で刺されたように顔をしかめる。

 泣きそうな表情に、アリアはすぐに肩を竦めて見せた。


「冗談だから、そんな顔しない。襲う方が悪いに決まってるでしょ」


 ましてや推しに泣かれるなんて堪ったもんじゃない。

 それでもカレンは気が済まないようで唇を噛みしめている。


「それでも、本当に」


 頭を下げようとするカレンを遮り、前に立つ。


「謝罪はいらない。ちゃんと最後まで握手した?」

「ええ」


 上等だ。

 アリアはにっと唇を吊り上げ、カレンを見つめた。


「それでいい……歌える?」


 握手会は再開できないだろう。

 刃物を持っている人間がいたのだ。

 だが、それでは12時間耐久も、今来てくれているファンにも申し訳ない。

 アリアの考えを読んだように、カレンが目を見開いた。


「あたしはいつでも。でもアリアさんは治療に行った方が良いのでは?」

「耐久握手会を途中で終わらせるなら、下手に抜けれないでしょ」


 どうにかして、次につなげなければならない。

 何より傷自体は本当に大したことは無いのだから。


「アイドルバトルを成功させるためにも、一時休戦にしましょ」


 ラスボスを止めるには、これだけでは足りない。

 アリアはカレンに向かって手を差し出した。

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