第3話 試練のステージ:Vocal

 まだ日が昇り始めて間もない時間帯。

 人影もほぼない中で、黒澤アリアは走っていた。

 アイドルバトルが始まって二週間。とうとう最初のステージが近づいてきていた。

 目印としていた公園のベンチを通り過ぎ、アリアは走っていた足を緩やかにした。


「黒澤アリアは手を抜かないってね」


 朝日に溶け込むように、アリアはぽつりと呟いた。

 麻友として生きていた頃は運動とは無縁の生活だった。体力がなさ過ぎてすぐに倒れてしまうので、授業も見学ばかり。

 だが、黒澤アリアは違う。


(毎朝5キロのジョギングって、中々だよね……)


 走り終わり噴き出してきていた汗を拭く。

 黒澤アリアが残していった日課を麻友はなぞるようにこなしていた。

 恐ろしいことに、この身体だと無理だと思えることもできてしまう。

 それが楽しい。苦しさよりも、チートな身体能力を満喫できる楽しさが勝った。

 アイドルサイボーグの所以は表での完璧なパフォーマンスだが、その根本は毎日のトレーニングに支えられた体力にあった。

 カレンに負けるためなら練習しない方がいいのでは、とも思った時もあったが。


(手を抜いたアリアとの対戦になっても、きっとカレンちゃんは超絶ボーダーラインを歌ってくれない……!)


 アリアのステータスを抜くほどの成長をするカレンは、きっと全力で成長してくる。

 全力の相手に腑抜けた態度で戦っても、きっとトゥルーエンドにはたどり着けない気がした。

 カレンの歌はカレン自身のアイドルとしての証明になる。

 それを叩きつけたい相手でないと聞けないのだ。


「それにしても」


 アリアははぁとため息を吐き、自分の手を見つめる。


 黒澤アリア

 Vocal 95

 Dance 95→96

 Looks 95

 Stamina ∞

 Charm **


 走っていただけなのに、ダンスの数値が上がっている。

 スタミナに至っては元から無限大。


(簡単に上がりすぎでしょ!)


 どういう仕組みなのかゲームをしていたのにも関わらず分からない。

 元々ちょっとしたイベントでステータスが上下するゲームではあった。そこが面白い部分でもある。

 だが、ラスボスのカンスト間際のステータスにもそれが適用されるとは。


「早く超絶ボーダーラインを歌えるようになってね。カレンちゃん」


 これ以上アリアのステータスが清涼する前に。

 アリアは人知れずそう願った。


 *


 ファーストステージの日は快晴だった。

 会場前に並んでいる人並みを横目に、アリアが乗った車は進んでいく。

 小暮がチラチラと周りを確認しながら高揚した声で言った。


「中々の人入りですね!」


 小暮のテンションとは逆に、アリアはつまらなそうに窓の外の人波を眺めた。


「そうかしら。わたし一人でもこれくらない集められるでしょ」

「アリアさんはそうですけどぉ」


 関係者入り口の前に車が到着する。

 開けられた扉から中に入り、アリアは今日の流れを思い起こした。


 アイドルバトル最初のステージはライブ形式だ。

 持ち歌を3曲歌い、観客の反応が良かった順に点数が付けられる。

 プレイヤー側としては、ここまでにアリアに並ぶのは難しいため、他のプレイヤーより抜きんでる必要がある。

 面白いのはボーカルに限らず、全体のステータスの合計が上であれば勝つこと。

 ボーカルのステージと銘打っておきながら、そこまで重視されないのはファーストステージならではなのかもしれない。


「それより、言ってたものは持ってきた?」


 隣を歩いている小暮に確認する。

 小走りでついてきていた小暮はアリアの言葉に大きく頷いた。肩は落ち、疲れた様子が伺える。


「持ってきましたよ……何なんですか、マヌカ飴って。結局、アリアさんが出ていかないと売ってくれなかったですし」

「あれは……買う人間を選ぶのよ」


 どう説明して良いか悩んで、結局そう言うしかなかった。

 ゲームだとミニゲームで勝たないといけなかったが、今回は店に直接アリアが出向いて交渉した。


(中々、七面倒くさい店主だったわ)


 マヌカ飴が必要なのはステータスが低い人間なのに、歌の技量で見極められた気がする。

 そうだとしたら本末転倒だが、ゲームを現実にするとこうなるのかもしれない。

 アリアが入手したアイテムをそのまま小暮に預けておいたのだ。


「じゃ、これも渡しておくわ」

「手紙、ですか?」


 鞄から取り出し小暮にどこでも売っている封筒を手渡す。わざと目立たないものにした。

 あて名は【白銀カレン】さま。差出人は【ウタ】にした。

 さすが黒澤アリアの名前を書いたら受け取ってもらえないだろう。


「いい? マヌカ飴とこの手紙をひっそりファン名義の差し入れとして、白銀カレンのところに置いてきなさい」

「はぁ?」


 小暮の肩を人差し指で押す。

 マヌカ飴を手に入れたところて、カレンが食べてくれないと意味がないのだ。

 念を押すようにじっと小暮を見つめれば、怪訝な表情が深まった。


「相手は対戦者ですよ?」

「いいの」


 敵に塩を送るじゃないが、カレンには強くなってもらわないといけない。

 裏からチートアイテムを送るくらいじゃないと、黒澤アリアには追いつけない。

 いや、存分に使ってやっとトントンといったところだろう。


「それとも、わたしがこれくらいで負けると?」


 アリアが低い声でそう言えば、小暮は押し黙ったように小さな声で答えた。


「……思いませんが」

「じゃ、早く行きなさい!」


 小暮の背中を押す。

 弾かれたように自分のマネージャーの背中が走り去る。


「はいぃ!」


 バタバタと慌ただしく出ていく背中をため息を吐きながら、アリアは見送った。


 *


 白銀カレンはリハーサルを終え、自分の控室に戻ってきていた。

 今は別の候補者が歌っていたが、本番前に一度体調を整えておきたかったからだ。

 何より、カレンが聞き逃したくないのは黒澤アリアの歌だけだった。

 耳にイヤホンをつけ、最終チェックをする。

 イメージは満員の会場と大きな歓声だ。


「あ、カレンさん。今回のライブあてに届いた差し入れおいとくね」


 と、かけられた声にカレンは一度イヤホンを外した。

 すぐに笑顔を作ると愛想よく返事をする。


「はい、ありがとうございます」

「全部チェックしてるけど、変なのとかあったら教えて」

「わかりました」


 手紙やタオルなどが山になっていた。

 ありがたい。嬉しい。

 自分の応援をしてくれる人がこれだけいるのだ。

 本番前の緊張を振り切るようにカレンは自分への差し入れを確認する。

 すぐに信じられないものが目に飛び込んできた。


「これ……!」


 マヌカ飴と書かれた袋を手に取り、表裏と本物か確かめる。

 マヌカ飴のパッケージと真贋の見極め方は何度も調べたのだ。

 穴が開くほど見つめる。それでもやはり本物だった。


「この飴、どうしたんですか?」


 カレンの剣幕にスタッフが不思議そうに首を傾げた。

 知らなければただの飴だ。その反応も当然だろう。


「ああ、ファンレターと一緒の差し入れだよ。好きなの?」

「いえ、有名な飴なので」


 手紙の差出人は”ウタ”。その名前に心当たりはない。

 マヌカ飴は歌を歌う人間の間では伝説になっている商品の一つだ。販売が限られていて、入手がとても難しい。

 売られている場所はわかっているが、たいてい売り切れか――売ってくれない。


「とても喉に良いみたいで……あたしも欲しかったんですけど」


 カレンは小さなこじんまりした商店を思い出す。

 品物が並べられた店内の一番奥に、少し怖いおばあちゃんが座っていた。

 そのおばあちゃんを納得させなければ、買うことはできない。

 カレンは唇を尖らせた。下っ端アイドルじゃ売ってくれなかったのだ。


「へぇ、良かったね」

「はい……でも」


 いったい誰がこれを手に入れられたんだろう。

 マヌカ飴を一つ開けながら、その疑問がカレンの頭を過った。


 *


 アリアはステージの横からステージに立つカレンを見つめた。

 ファーストステージの舞台は、花道も何もない。正面に舞台があるだけの質素な造りだ。

 だからこそ、歌の力とパフォーマンス力が直に問われる。

 一人3曲の持ち歌を一曲ずつ歌っていく。

 アリアの順番は最後、6人目だ。

 自分の番を待つ振りをしながら睨みつけるようにステージを見る。

 今はカレンの番だった。三人目の登場とあって、会場も良い具合に温まっていた。


(いやー、マヌカ飴なめたカレンちゃんの歌、最高すぎるでしょ)


 ステージの上ではカレンが1曲目に相応しいポップな曲を歌っていた。

 油断すると顔が緩みそうになる可愛らしさだ。

 しかし、ライバルの歌を聞いてにやけるわけにもいかない。

 アリアの鉄面皮が救ってくれた形になる。


「今日の白銀さんの声、すごい伸びますね。観客もノリノリです」

「まだまだよ」

(カレンちゃんの歌なんだから、乗って当然でしょ!)


 小暮にそう口では言いながら、身体は自然にリズムをとってしまう。

 腕を組み観客席を見渡す。

 色とりどりのペンライトがカレンの歌に合わせて揺れていた。

 悪い反応じゃない。だが、これを自分の色一色にできるほどじゃないと、アリアとは勝負にならない。


(まぁ、黒澤アリアのイメージカラーは黒だから、ペンライトの色はバラバラなんだけどね)


 それを気にするような人間はイメージカラーを黒に何てしない。

 記憶の中のアリアだって、ペンライトよりもそれを持つ人を見るような人間だった。

 ただ――カレンだったら、真っ白だ。

 ペンライトで一面真っ白になる観客席。

 想像しただけで心臓が高鳴る。

 そんなのテンションが上がるに決まっている。その光景をを誰よりも見たいのは、ひょっとしたらアリアかもしれない。


「早く、上がってきてね」


 歌うカレンを目に焼き付ける。

 口から零れた声は歓声と音楽にかき消されていく。

 小暮だけが訝し気に首を傾げていた。


「何か、言いました?」

「いいえ」


 マイクを握る手に力を籠める。

 次は自分の番。

 それが嬉しくてたまらない。

 ワクワクする歌を聞けて、さらにそれを叩きのめせる。


(ああ、あなたも嬉しいんだね)


 黒澤アリアとして、今までで一番の興奮を感じながら、アリアは自分の番をひたすら待っていた。

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