第15話

「シキ様が、そう言うなら……その、はい」


 イオリは一拍の間を置いて、ゆっくりと手を伸ばした。


 ためらうように触れた指先は、まるで薄氷に触れるかのような慎重さで、けれど、確かに俺のそこへと辿り着いた。


 包み込むように掌で撫でられると、思わず喉の奥で息を詰まらせた。

 くすぶっていた熱が、触れられたことで一気に火の手を上げる。


「痛かったら、言ってくださいね」


 そう囁かれた声は緊張で少し上ずっているように感じた。


「っ……く、」


 返事の代わりに、俺は噛み殺すような声を漏らしてしまう。でも、それは痛みのせいじゃなくて、背筋を駆け上がる快感に、思わず身体が震えたせいだった。


「痛い、ですか?」


 心配そうに落とされたその声に、俺はそっと首を横に振る。

 イオリの指先が、丁寧に慎重に、俺の反応を確かめながら、ゆっくりと上下に動かされる。


 触れるたびに、奥から湧いてくる熱が、身体の芯をじわじわと溶かしていく。


「気持ちいいですか?」


 また問いかけられた声に、喉が震える。

 

「……きもちい、から……」


 顔を見られるのが恥ずかしくて、腕にぎゅっと力を込めた。そのせいで呼吸も浅くなって、声も徐々に小さくなってしまう。


 けど、イオリはそれだけで理解してくれて、優しい手つきのまま、俺を容赦なく追い詰めていく。


 「……あっ、ん、……もう、」


 吐息が震え、熱に染まった声がどうしても漏れてしまう。

 身体がじんじんと痺れて、下腹部がぎゅっと収縮する感覚。

 言葉にならない何かが、喉の奥からこぼれ落ちて、指先が止まらないまま、熱が一気に込み上げた。


 「ィ……くっ、あっ……イく」


 小さく、浅く、息を吐きながら――俺は、イオリの手の中で果てた。


 腕に隠したままの顔が、火照って仕方がない。ただでさえ恥ずかしいのに、イかされたなんて、冷静になって考えたら死にたくなるような状況だった。


 荒くなった呼吸の合間に、心臓の音が耳の奥で煩わしいほど鳴っている。


 その時、ちゅっ、と唇に柔らかいものが当たった。


「……お水、取ってきますね」


 イオリは、それだけを囁いてベッドから抜け出していく。

 残された熱と余韻に、俺はただ、目元を隠したまま身動きも取れなかった。


 寝室からイオリの気配が完全に消えたあと、俺はようやく、ゆっくりと腕を退けた。


 薄暗い天井が視界に戻ると、現実感がじわじわと押し寄せてきて、

 俺は、「……やっっっちまった……」と、声にならない呻きを漏らしながら、顔を両手で覆い、ベッドの上で頭を抱えた。


 顔から火が出そうなくらい、恥ずかしい。

 よりによって、あんなことを……よりによって、イオリに。


 しかも、自分から“してくれ”なんて言ってしまった。頭を抱えたままベッドに沈み込む。

 熱は引かないし、脳裏にはさっきの声とか感触とかがしつこく残ってるし、正直、布団に潜って一生出たくなかった。


 ――が。


 カーテンの隙間から差し込む光を見て、ふと、現実に引き戻される。


(今、何時だ?)


 妙に静かな部屋。もう、お昼はとっくに過ぎてるかもしれない。

 俺は、痛む体を引きずるようにして、ゆっくりと上体を起こした。


 壁時計は――ない。サイドテーブルも、スマホや腕時計は見当たらない。


 カーテンから差し込む陽の高さも、時間を測るには曖昧すぎる。


 そんなふうに、無言で視線を彷徨わせていると。


「探しものですか?」


「っ……!」


 不意に落ちてきた声に、思わず肩が跳ねる。振り向けば、イオリがグラスを手に、寝室の扉の側に立っていた。


 彼はそっと足を進めてくると、俺の横まで来て、優しく声をかけてくる。


「喉、渇いてるでしょう?どうぞ」


 差し出されたグラスを、少しだけ躊躇ってから受け取る。手に触れるガラスの冷たさが、火照った指先にじんわりと沁みた。


「あり、がとう」


 ゆっくりと水を口に運ぶ。

 冷たい水が喉を通るたびに、火照っていた体が、少しずつ現実に戻っていくような気がした。


 グラスの水を半分ほど飲み干した頃、イオリはふと、俺の顔を覗き込んでくる。その目がやけに真っ直ぐすぎて、視線を逸らしたくなる。


「少し、落ち着きましたか?」


「ん。まあ、」


 返事のあと、空になりかけたグラスを見つめていると、イオリが少しだけ口調を柔らかくして、問いかけてきた。


「リビング行きますか?無理にとは言いませんけど……横になりたいなら、このままでも」


 俺は少しだけ目を伏せ、まだ重い身体を動かすのが億劫で、ベッドのシーツを指先で撫でながら呟いた。


「もう少し、ここでいい」


 イオリは一瞬だけ黙って、それから、ふっと笑った。


「シキ様、食欲はありますか?」


「いや、あんまり」


 答えると、イオリはわずかに目を細め、柔らかい笑みを浮かべた。


「じゃあ、後でお水のおかわり持ってきますね。俺は向こうにいるんで、なにかあったら呼んでください」


 そう言って、静かに部屋を出ていった。


 イオリが寝室の扉を閉めて出ていった後、俺はベッドに身を沈めた。

 さっき目が覚めたばかりだというのに、身体はまだ重く、瞼もやけに重たかった。


 なのに、眠れそうで、眠れない。

 枕に頬を預けたまま、時間だけがぼんやりと過ぎていく。

 意識は緩やかに揺れていて、まるで浅い水面に浮かんでいるようだった。ぼんやりとして時間の感覚が曖昧になる頃。


 カチャ、と小さな音が扉の方で鳴った。続く足音はとても静かだった。


 (……イオリか)


 そういえば、水のおかわりを持ってくるって言ってたっけ、そう思いながら、うっすらと目を開けかけた、その時だった。


 ひやりとした感触が、首筋に走る。イオリの冷たい指先が、そっと触れていた。

 まるで何かを確かめるように、そのまま何度も、ゆっくりと首元を撫でていく。

 思わず、身じろぎしてしまった。


「シキ……様」


 呟きとも、溜息ともつかないその声音に、胸の奥がかすかに揺れる。


 けれど、それきり。

 イオリは何も言わず、そっと離れていった。まるで触れたことさえ、なかったかのように。


 俺は目を閉じたまま、ずっと触れていた箇所が、熱を持っているような気がしてならなかった。


 指の感触が、息の温度が、まだそこにいるような錯覚。


(……なんなんだよ。もう……)


 思わず、胸の内で呟いてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る