第12話

 胸の奥がぎゅっと縮まり、体の奥まで冷たくなるような震えが止まらない。


 イオリはそんな俺を見下ろしながら、ゆるやかに首を傾ける。


「ねぇ、怖いですか?」


 耳元に落ちたその声は、ひどく優しかった。まるで子供をあやすみたいに。


 けれど、それが逆に恐ろしくて、喉がうまく動かない。


 返事をする前に、唇が塞がれる。深く舌を絡められ、肺の奥まで空気を奪われる。

 胸が苦しくて、手が震えて、それでも逃げられなかった。

 

 いや、逃げようという意思が、身体のどこにも届かない。ゆっくりと口を離すと、イオリはにこりと微笑んだ。


「これ、邪魔なんで脱げますか?それとも、脱がされたいですか?」


 中途半端に捲れ上がったパーカーに触れていたイオリの指が、ゆっくりと肌をなぞる。


「……じ、自分で……脱ぐ」


 その言葉に、イオリの視線がゆっくりと細まり、何も言わずに動きを止めた。


 その視線の中に捕らわれたまま、俺は背中を床につけたまま腕を持ち上げる。


 パーカーの裾を、震える指で必死に掴み、ぎこちなく頭の上へと押しやった。


 ようやく脱ぎ終えたとき、荒い息が勝手に漏れていた。

 背中に張りつく床の冷たさがじわじわと伝わり、身を竦ませる。


 その俺の首元に、イオリの指先が伸びてくる。チョーカーの輪をつまみ上げ、軽く引かれた瞬間、首が引き絞られて、ひくりと息が詰まった。


「……で、これは」


 視線は、俺の首に絡んだ黒い革へと向けられている。


「そのレイさんの趣味?それとも……シキの趣味?」


 指先がチョーカーをゆっくりと引いては緩め、まるで弄ぶように動く。

 そのわずかな感触が、呼吸を浅くするには十分すぎた。


 脳裏に、姉の姿が浮かぶ。「似合うから」と言って無理やりつけられた、あの時の記憶。

 喉を締めつけられる感覚の中で、かすれた声が漏れる。


「……俺じゃない」


 イオリの目が細められる。

 その表情は数秒だけ無表情になり――すぐに口の端が、緩やかに吊り上がった。


「へぇ……そうなんですか」


 笑ってるのに、目の奥が笑っていない。

 チョーカーを軽く引いたまま、指先で小さく揺らしながら、ぽつりと呟く。


「いい趣味してますよね。悔しいけど、シキ様の魅せ方をよくわかってるな~」


 皮膚に沿って、革越しに指が滑る。

 確かめるように、撫でながら、イオリは囁く。声は低く、熱を孕んでいた。


「……でも」


 真っ直ぐに目を覗き込まれる。

 動けない。逃げられない。視線を逸らす余裕すらなく、ただ見つめ返してしまった。


「まるで、“俺の所有物”って見せつけられてるみたいで、すごく、不愉快なんですよ」


 言葉の温度が、一段だけ下がる。

 チョーカーにかかった指が、金具を弄ぶ。わざと音を鳴らすように、カチャ、と鳴る。


「……外してもいいですか?」


 問いかけられて、思わず息を呑む。何か言わないとと口を開くと同時にカチリ、と留め具が外される音がした。


「っ……」


 首筋にかかっていた重みがなくなり、代わりにイオリの熱い視線が絡みつく。

 唇の端を吊り上げながら、外したチョーカーを引き抜かれる。


「俺もここに自分のものって印つけたいな」


 低い囁きが鼓膜を伝い、脳内に危険信号を鳴らし始める。俺は咄嗟に近づいてくる顔面に顔を背ける。首元に熱い吐息が当たり、ぞわりと背筋に電流が走る。怖いはずなのに、腰がびくりと揺れる。


「……っ、やめ……」


 震える声で拒絶するものの、首元に舌先が触れた瞬間、背中が勝手に弾んだ。

 その反応に、イオリが笑ったような気がした。


 次の瞬間、感じたこともない鋭い痛みが首元に走る。


 「――っ!」

 

 走る痛みに悲鳴を飲み込むと、そこを労るかのように熱い舌が這う。


 舌で、痛むそこをなぞられるたび、身体がびくびくと震える。痛みと熱が混ざった感触に、耐えきれず喉から震えた吐息がこぼれた。


「ぅあッ……っ、も、もう……いいだろ……どけよ……」


 自分のあまりにも覇気のない声音が恥ずかしくなり、顔を背けたまま拒絶の言葉を吐く。


 その反応がたまらない、とでも言うように。少し体を離したイオリは、無邪気な笑みを浮かべた。


「まだそんなこと言う余裕あるんだ」


 まるで子どもに話しかけるような柔らかさで微笑まれる。

 布越しに熱を帯びた股間を、優しく煽るようになぞられて、逃げるように腰を揺らしてしまう。


「さっきからヤダヤダって言いながら、ずっと勃ちっぱなしじゃないですか」


 そう口にしながら、俺を見下ろすイオリの笑みがさらに深まる。


「シキ様は……嫌なことされても、反応しちゃうんですね?」


 ぞわりと皮膚が逆立つ。

 否定しようと口を開く間もなく、イオリの手が器用にズボンのボタンを外してくる。


「……っ」


 ファスナーに指がかかけられ、ジーと、ゆっくり下ろされていく。

 腰を竦めても逃げられない状況に呼吸が浅くなる。


「そうだ、シキ様。これも……さっきみたいに、自分で脱げますか?」


 言葉の意味を咀嚼する間もなく、スキニーにかけられていた手が、すっと離れる。


「こんなに張り詰めて……苦しいでしょ?我慢してたんですよね?」


 布越しに浮き上がったそれに、あえて目をやりながら、イオリはゆっくりと、口元を緩める。


「ほら、さっきもできたんだし、自分で脱げますよね?」


 その声音には、優しさの仮面を被せた命令が混ざっているように感じる。


「俺がここにいると、脱ぎにくいかな」


 そう言ってイオリはゆっくりと身体をどけ、シキの足元にしゃがみ込む。頬杖をついたまま、まるで見世物を待つみたいに視線を外さない。


 無言の目が突き刺さる。冷たい廊下に貼りついていた背筋を引き剥がすように、上体を起こして震える指先でスキニーの布地を掴んだ。


 恥ずかしさに耳まで熱を帯び、思わず目をつぶる。だが、イオリの視線が肌をなぞるように纏わりつくのを感じてしまう。


 腰を上げ、布地をゆっくりと引き抜いていく。擦れる音がやけに大きく響き、スキニーは膝のあたりで止まった。


「あとちょっとですよ。」


 その言葉に煽られるように、イオリの肌を舐めるような視線をもろに浴びる。


 ぐっと唇を噛み締め、羞恥をごまかすように一気に脱ぎ捨てた。


 背中に走る背徳感が、余計に熱を募らせて視線を逸らすように顔を伏せてしまう。


 どうして自分だけ、こんなに恥ずかしい思いをしなきゃならないんだ。

 イオリだけが服を着たままで、余裕そうに笑ってるのが、癪に障った。


 足を擦り合わせながら「満足か」と問いかけても、返答がない。沈黙がやけに長く感じて、不安が胸を掠める。視線だけそっと動かして様子を窺い、「……イオリ?」と名を呼んだ。


 次の瞬間、彼がすっと立ち上がった気配がする。息を呑む間もなく、視界が急に揺れた。


「……っ!」


 身体がふわりと浮き上がる。イオリに抱き上げられたのだと気づいた瞬間、心臓が跳ね、顔に熱が集まる。


「ちょ、な――」抗議の声を上げるより早く、彼の腕は揺るぎなく俺を抱えたまま、迷いなく歩を進めていく。


 耳元に、熱を孕んだ声が落ちた。


「今日は……いろんなシキ様が見れて、俺はとても嬉しいです」

 

 低く、甘く、それでいてどこか支配の色を帯びた声音。

 

「……でも、まだ満足じゃないかな」


 囁きが頭の奥に染み込んだ瞬間、世界がまた揺れる。

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