第十六話 三
三
四年後、ヘルストカイム帝国第二十三代皇帝エレンヒルド・メアメルト・カイムは、冷めた瞳で重臣達の会議を眺めていた。
皇帝一人では国は運営出来ない。エレンヒルド抹殺に協力しなかった貴族と、上に逆らえず協力はしたが全力で許しを請うた木っ端貴族達がそれを担った。ダメージを負った帝国への援助を他国が申し出たり、政略結婚で他国に嫁いだ元皇族が夫のコネで『政務の助けとなる』人材を送り込もうとしたりしてきた。大半は断ったが一部は受けざるを得なかった。
宰相も各省の大臣も、御意見番として会議に参加してくる大貴族も、尤もらしい主張に自身の派閥への利益誘導を潜ませている。彼女はそれを薄々感じながらも撥ねつけることが出来ないでいる。元々政略結婚の駒として使われる筈だった彼女は帝王教育を受けていない。知識が足らず、彼女のためだけを考えてアドバイスをくれる参謀もおらず、親身になってくれる者達は彼女を守って既に死んでいる。
会議室では彼女はお飾りの皇帝に過ぎなかった。重い王冠に耐えて首に力を入れているだけの存在だ。頷く時は両手で頬を支えている。それでも宰相や大臣達がある程度以上の敬意を払って彼女に接するのは、彼女の背後にひっそりと立つ男のお陰だった。
ルナクスは契約を現在も履行している。遠距離からの狙撃、飲食物への毒物混入、熟練の暗殺者集団による深夜の寝所襲撃、皇城への時限爆弾持ち込み、催眠術で侍女を操っての不意の毒針攻撃、他国の大使に成りすましての捨て身の自爆魔法。それら全てをルナクスは完璧に防いできた。襲撃者はすぐに全員殺すか、少数だけ生かして拷問し情報を吸い出した後で結局殺した。首謀者は自国の貴族であれば皆の見ている前で首を切られた。他国の勢力であれば彼女のそばを離れる訳にはいかず殺しに出向くことはなかったが、それでも恐ろしい報復をやってみせたことがあった。皇城から弓矢を構えたまま微動だにせず半日後、漸く放たれた矢が九百キロメートル離れたグローリア王国の王都マニュスフロスの、自分の屋敷の庭で寛いでいた伯爵の頭を射抜いたらしいのだ。
それ以降、暗殺の試みは随分と頻度が下がったが、ルナクスがいなくなればおそらく数日以内にエレンヒルドは死んでいるだろう。
政策の判断に悩んでいた頃、彼女は二人だけの時にルナクスに相談したことがある。だが彼は無表情に「俺は政治に口出しする気はない」と言った。その後かなり珍しいことに、「俺は政治は苦手だ」とつけ加えた。
エレンヒルドが帝位に就いて一年ちょっとしてから、クルーゼルという一級ハンターが護衛に参加した。他にも新しく採用された近衛は何人もいたが、ルナクスが実力的にも信用的にも頼るに足ると判断した者はいなかった。実際、身分を偽った暗殺者が混じっていたこともある。だがクルーゼルはルナクスの弟子ということで、彼もある程度の信頼を置いているようだった。それまで護衛のため常にエレンヒルドから二十メートル以内の距離をキープしていたのに、クルーゼルに任せて短時間なら百メートル以上離れることもあるのだ。
ルナクスよりもなんだか強者の風格が感じられるクルーゼルであるが、エレンヒルドが政治について意見を求めてみると、物凄く嫌そうな顔で手を振って「いや、政治は全く興味ないんで」と言うのみであった。
という訳で政治政策については頼れる者がいないまま、それでも帝国は大崩れすることなく回っているようなので、彼女も自身をお飾りとして割り切りつつあった。
だが皇帝として果たすべき大切な役割が残っている。支配者の血筋を絶やさぬことだ。
女帝の配偶者……皇配を取ることについては国内外から幾つも話があったが、エレンヒルドは全て断ってきた。断った上で、勇気を出して二人きりの時にルナクスに言った。
「あなた以外には考えられません。私の、皇配になってくれませんか」
ルナクスの答えは簡潔だった。
「断る」
覚悟していた筈だったが、彼女はショックを受けて二、三歩よろめいた。しかしさらなる勇気を振り絞り、次の試みに移った。
「なら、せめて、抱いてくれませんか。私は……」
ルナクスは無表情に答えた。
「断る」
「……ど……どうして……私のことが、嫌い、なのですか」
「契約中には余計な行動をなるべく取らないようにしている」
「余計……。なら、契約を終了あ、いえ、終了はしません」
エレンヒルドは慌てて訂正した。契約を終了して報酬を支払ったら、ルナクスがすぐに消えることを理解したのだ。
「なら……せめて、一つだけ、教えて欲しいのです。あなたは、私のことを、どう思っているのですか」
「教えるつもりはない。俺は感情を表に出さないことにしている」
ルナクスの無表情な顔と冷めた瞳は完璧にルールを守っていた。
それで、エレンヒルドはおかしくなってしまったのだ。
寝室の前に立つルナクスにネグリジェ一枚で誘惑したこともある。浴室から全裸で飛び出して抱きついたこともある。泣き叫んで縋りついて哀願したこともある。しかしルナクスの反応は同じだった。
狂乱して抱かなければベランダから飛び下りると脅した時には、自ら死を選ぶ行動については護衛出来ないと冷静に言われて断念した。彼は有言実行者であり、本当に飛び下りても助けてくれないと理解したのだ。
精神の均衡を欠いたまま、エレンヒルドは会議では平静な態度を保っている。大臣達の話を聞き流しているとも言う。だが、そろそろ締めという雰囲気のところで総務大臣が笑顔になって彼女に話しかけた。
「来月の陛下の十九才のお誕生日には、帝都を挙げての盛大な祭りを企画しております。各国からの貴賓も大勢お祝いに来られる予定です。この四年で国内も他国との関係も随分と安定してきましたし、陛下の治世も益々盤石かと思われます」
「安定」と「盤石」という言葉が鋭い刃物となって彼女の胸を刺した。
確かに命を狙われる頻度は減っている。どうせお飾りの皇帝であるのだから、国内の有力者達にとってもわざわざ殺す必要のない無難な存在となっているのかも知れない。
それが更に「安定」し「盤石」となれば、「ひとまず暗殺される恐れはなくなった」としてルナクスに契約終了を告げられる可能性が出てきてしまうではないか。
その可能性は彼女を脅かし、か弱い背中を押して境界線を踏み越えさせる。
翌月の盛大な誕生祭で、皇城の演説用ベランダに立ったエレンヒルドは、各国の貴賓と大勢の民衆に見守られながら、グローリア王国への侵攻を宣言した。
凍りつく大臣達や他国の貴賓達。民衆は拍手すべきなのか戸惑っている。だがそんなことは彼女にとってはどうでも良く、ただ背後を振り向いた。
ベランダの後ろにひっそりと立つルナクスは、相変わらず無表情だった。
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