第十六話 血塗られた女帝

第十六話 一

  一


 この日、ルナクスはミスを犯した。

 名前をいじり、両目共揃っている状態で分かる者に対しては明示しているように、この大陸ではそもそも『休憩』中である。更に今は依頼も特に受けておらず、セントラル山に住み込みの弟子も抱えていない。完全に自由な時間であった。雑貨屋に寄ったところ高級酒を売っていたので、今夜のうちに飲むかどうかはともかく一本買って、山に戻る予定だったのだ。

 レマールという都市はヘルストカイム帝国の南西部にあった。そこそこ大きな都市だがセントラル山からはやや遠いため、ルナクスはたまに立ち寄る程度だった。

 帝国は大国ではあるものの、庶民の生活はあまり裕福ではない。リサイタバースのように外国人を嫌っている訳ではないが、交流が活発というほどでもない。覇権主義であった歴史的背景から軍部の力が強く、十二年前にテルナン王国侵攻で大成功を収めた熱はまだ残っていて兵士達は肩で風を切る雰囲気があった。

 ルナクスの素性を知らない者が多く、元々特徴も存在感も薄い彼が歩いていても誰も気に留めなかった。夜の訪れが近い。都市の南の出口へ向かうため近道となる裏通りに入る。

 そこで前方から、ダークグレイのオーバーコートを着た少女が駆けてきたのだった。

「助けて下さいっ」

 少女はルナクスに叫んだ。必死の声音。フードで顔を隠しているがルナクスの目は見通していた。十四、五才の金髪碧眼でかなりの美形ではあるが、今は恐怖に顔を引き攣らせている。注意が背後に向いているが、追いかけてくる者の姿はない。

 姿はないが、複数の気配が近づいていた。

「護衛の依頼か」

 ルナクスが問い返す。その時には屋根の上や物陰から複数の刃が少女へ飛んでいた。ナイフと短槍、前者には毒が塗ってあった。

 その全てをルナクスの投げた菱形のナイフが弾き落とした。続いて黒ずくめの男達の死体が屋根から転がり落ちる。物陰にいた男は逃げようとしていたが首からの大量出血ですぐに力尽きた。

 契約が成立していないのにルナクスが手を出したのは、毒塗りナイフの一本がこちらにも向かっていたからだ。目撃者を消すつもりだったのだろう。だがそれでルナクスは相手集団を敵と判断した。

 結果的に少女を助けてしまった訳だが、契約を求める相手が既に襲われている最中であった場合などに、一旦戦闘を中断させてから契約の話し合いに移るというのはたまにあることだ。自分のルールを破ったというほどの話ではなかった。

「あ……あ、ありがとうございます」

 周囲に落ちてきた死体に驚き、暫くして自分が助けられたことに気づいたようだ。少女は荒い息を整えてからルナクスに礼を言った。

「護衛の依頼か」

 改めてルナクスは尋ねた。

「あ、はい……あっ、アルナがっ。すみません、まずアルナを。わたくしを逃がして盾になって……」

 少女が慌てて来た道を駆け戻っていく。ルナクスも離れずについていった。また複数の黒ずくめの影が近づいていたからだ。さっきの同類であろうが、ルナクスの実力を知ったため手を出し損ねているようだ。

 ルナクスに毒ナイフを投げたのと仲間であるのならルールに従い皆殺しにすべきだが、まずは依頼が優先だった。

 アルナという女は二百メートルほど離れた裏路地に倒れていた。血まみれのコートの下に鎖帷子を着込み、右手にはまだ細い剣を握っていた。首は切断され、悔しげに歪んだ死に顔を晒していた。かなりの腕前で自己治癒力も高かったようだが、毒塗りの刃物で切られ動きが鈍ったところにトドメを刺されたようだ。

 そもそもいつものルナクスであれば数百メートル以内で起きている殺し合いくらい漏れなく把握していた筈だ。やはり、珍しく気が抜けていたと言うべきなのだろう。

 アルナの死体を見下ろして、少女は声に出さずに泣いている。

 ルナクスは周囲の気配を意識しつつ、彼女が契約について喋り出すのを待っていた。

「私のために……最後の一人が……。皆死んでしまった。もう少しだったのに。もう少しでリサイタバースに亡命を……改宗すれば、きっと受け入れてくれるって……」

 ポツリポツリと少女は悔恨の言葉を絞り出す。しかし依頼の話は出なかったので、ルナクスは三度同じ言葉を使うことになった。

「護衛の依頼はどうする」

「あ……すみません。お願いします」

 我に返ったように少女は頷いた。

「では事情を説明しろ。敵は何者で、どういう理由で狙われているのか。虚偽が含まれていれば敵対行為とみなす」

「えー……あの、嘘は言いません。でも、ここで、でしょうか」

「ここでだ。まだ契約は結んでいないからな」

 暗い裏路地には彼ら以外誰もいない。姿を見せぬ者達は静かに聞き耳を立てていた。

「分かりました。私は……」

 少女はフードを脱いで整った素顔を露わにした。

「私はエレンヒルド・メアメルト・カイム。皇帝ロソゼム、いえ今は崩御しましたけれど、その第三皇女です」

 言い終えると周囲の殺気が膨れ上がった。再び四方から彼女へ毒塗りナイフが飛ぶ。その全てを糸を結びつけた菱形の薄いナイフが叩き落とし、ついでに七人の暗殺者の首を切り裂いていた。

 手を出さなかった別の一人が遠くへ逃げていく。仲間か上司に報告するつもりのようだ。糸つきナイフを飛ばして始末することも出来るが、やはり契約するまで余計なことをするのは控えた。

 またゴロゴロと落ちてきた死体にエレンヒルド皇女は怯む。ルナクスは先を促した。

「敵は何者だ」

「あ……私の兄の、ヘルニクス第二皇子です。まだ公式な発表はありませんが、皇太子のホズナートを殺して皇帝の座に収まりました。他の兄弟姉妹にも追っ手をかけ、生き残っているのは多分もう、私一人です。追っているのは総務省の特務部門……諜報・暗殺の部隊だと思います」

「末端の兵は追っ手としては動いていないということか」

「今の時点では……そうだと思います。兵が必死になって探してる感じではありませんでした。ただ、向こうも切羽詰まってくるとどうなるか分かりません」

 暗殺者達の死体を見て皇女は言った。

「では、お前がひとまず暗殺される恐れがなくなるか、お前自身が契約の終了を告げるまでを契約期間としたい。それでいいか」

「はい……それで、お願いします」

 皇女はちょっと不思議そうな顔をしていた。この状況自体が彼女には非日常なのであろうが、素性を明かしてもルナクスが敬語を使わないことに違和感を覚えているようだった。

「報酬には何を払う」

「今は、手持ちが多くありません。金貨が何枚かだけです。でも、これは価値があるのではないかと思います」

 皇女はオーバーコートの胸元に手を差し込み、ペンダントを引っ張り出した。大粒の青い宝石が嵌まっている。

「百カラットのサファイアに、魔獣を寄せつけない効果が付与されているそうで、国宝の一つです。私が結婚する際に贈るという父上の約束でしたが、勝手に持ち出すことになってしまいました。私を守って下さる報酬として、これをお渡しします。それから……」

 少しためらってから、頬を薄く赤らめて、皇女は言った。

「私の体を、好きにしてもらって構いません」

「性的な報酬は受け取らないことにしている。報酬はそのペンダントでいい。後払いで、契約完了時に受け取る。それでいいか」

「……はい、では、それで」

 皇女は驚いた表情で頷いた後、不機嫌そうに頬を膨らませた。勇気を出して言ったことをルナクスがあっさり拒否したためプライドを傷つけられたようだ。

 後から振り返ると、結論は同じでももう少し丁寧な言葉を使っていれば、あんなことにはならなかったのかも知れない。しかしルナクスはそういう配慮をする男でもなかった。

「なら、その条件で契約だな。俺はルナクスだ」

 そして、最も大きなミスは、逃げた暗殺者が兵士達を動かして戻ってくることに気を取られ、条件を加える前に契約してしまったことだ。まだ左手に提げていた酒瓶入りの袋に未練があったせいかも知れない。

 安全のためにはルナクスの指示に従うこと、という重要な条件が抜けてしまったのだった。

「あの……アルナの遺体を、埋葬したいのですが、よろしいですか」

 膨らんだ頬を戻して皇女が聞いた。

「いいだろう。埋葬は都市の外にした方がいいだろう。俺が運ぶ」

 酒瓶をザックに収め、ルナクスは了承した。二百名以上の兵士が近づいてきていたが、死体を埋葬する手間をかけようが特に問題なかった。契約が結ばれた今となっては、敵は皆殺しにすればいいのだから。

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