第十四話 三~四

  三


 聖都アナステシスの人口は四十五万、その約半数が農民や職人で、残りは聖職者だ。彼らは毎日一心に救世主の復活を祈り続けているという。

 巨大な十字架を重ねるように、幅の広い中央通りが聖都を四分割している。そのクロスした部分に聖庁の建物があった。

 聖都の到着直前に再び黒騎士が現れ、ルナクスはあっさり倒している。その時は黒騎士の鎌から炎の線が伸びた。食糧を焼き払うのに使われていた能力であるが、ルナクスは長柄の鎌を持つ右肘を切り落とし、同時にまた首を落とした。

 黒騎士が具現化していたのは十秒に満たない時間だったが、ルナクスは言った。

「弱くなっている」

「そ、そうですか。私には分かりませんでした」

 騎士が首を振った。

 通信によって事前連絡は済んでおり、一行は誰にも阻まれず中央通りを真っ直ぐに進む。途中から同行する騎士達が増えていき、聖庁の手前に着く頃には徒歩の者も含めて五千人を超えていた。

 聖庁は五階建てで数百メートルの幅がある巨大な建物であったが、デザインはシンプルで中央玄関の上に大きめの十字架が掛かっていた。

 奇妙に緊迫した空気を気にする様子もなく、ギンの背から下りたルナクスは出迎えた枢機卿に告げた。

「教皇に直接会って話がしたい」

 予め通信で伝えていたことだった。

「それは……どういった目的でしょうか」

 セントラル山を訪れエージェントを務めたカンプ・オルネクツ枢機卿は、年老いた顔に不安の翳りを滲ませていた。

 ルナクスは数千人の騎士達が注目する中、平然と答えた。

「黒騎士を送り出す術者が教皇かどうかを確認するためだ」

 一斉に剣を抜く音が聖庁前の広場に響く。片手を水平にやってそれを制止する騎士団長。複数の騎士団が集まっており、別の騎士団長は自ら剣を抜いていた。馬車を下りたフォーメンズ司祭はただ戸惑っている。

 彼らを無表情に見渡して、ルナクスは言った。

「可能な限り住民の被害を抑えるという条件だったが、事態の解決を妨害する者の被害に配慮するつもりはない」

 つまり、騎士団が邪魔をするなら皆殺しにすると暗に言っているのだった。

 それを挑発と解釈したか、一部の騎士が駆け出そうとして上役に抑えられる。兜のため表情が隠れているが、騎士団長達から滲む緊迫感は異常なレベルになっていた。地位が高い者ほど『セントラル山の狩人』の所業を熟知していた。

 オルネクツ枢機卿が躊躇なくルナクスの前にひれ伏して、許しを乞うような声音を絞り出した。

「ルナクス様。どうか、どうか、万が一にも聖下に危害を加えないと、約束して頂けませんか」

 ルナクスは冷徹に返した。

「約束は出来ない。ただ、状況にもよるが、こちらから問答無用で攻撃するつもりはない」

「それだけでは……どうか、少し待っては頂けませんか。他の枢機卿とも協議してみますので……」

 オルネクツ枢機卿が床に額をすりつけてそんなことを言っている間に、聖庁の中から若い司祭が現れた。

「ルナクス様、聖下がお会いになるとのことです。武器の携帯も許可する、と。また、騎士団の付き添いは不要とのことでした」

「分かった」

 ルナクスは頷いて聖庁の玄関を抜けた。ギンも当然のようについていく。慌ててオルネクツ枢機卿が続き、フォーメンズ司祭も後を追う。騎士団は団長達が僅かな時間相談していたが、団長と副団長達計十五名ほどがルナクスについていき、残りは広場で待機することとなった。

 聖職者達の困惑の視線を浴びながら一行は真っ直ぐに廊下を進み、近衛騎士が守る両開きの扉を抜けると、謁見の間があった。

 広さは約五十メートル四方、左右に枢機卿達が並び、その背後に近衛騎士達が控えている。

 正面に一段だけ高くした壇があり、簡素な木製の椅子に腰掛けた男がリサイタバース第十八代教皇テレノヴァ二世だった。

 冠もかぶらず杖も持たず、白い祭服だけは他の枢機卿や司祭と比べて多少刺繍が施してあり高級そうに見えた。皺のない顔は若く見えるが実年齢は七十を超えている筈だ。髪は真っ白で、瞳の青色はとても薄い。

「ルナクスだ」

 礼儀を知らぬ名乗りに近衛騎士達がざわめくが、教皇は微笑して言った。

「ルナクスさん、よく来てくれました」

 声には張りがあり、穏やかで、慈愛を感じさせた。

 それで近衛騎士達も黙った。ルナクスの後ろには抜剣こそしていないが騎士団長達が控え、オルネクツ枢機卿とフォーメンズ司祭も動けずにいる。

 ルナクスが教皇を見つめていたのはほんの数秒だったろう。そして簡潔に告げた。

「首のスカーフを外してもらいたい」

 教皇は赤いスカーフで首周りを包んでおり、そこだけが他の服装と不調和を起こしていた。

「いいですよ」

 教皇は素直に了承し、スカーフに触れる。その際、右袖の肘部分に赤い染みがついているのが見えた。フォーメンズ司祭が息を呑む。

 結び目をほどいてスカーフを取ると、教皇の首筋が露わになる。謁見の間に不気味な緊張感が満ちた。

 ほぼ水平に赤い線が二本、首周りを走っていた。一本は出来たばかりの傷のようでまだ血が滲んでいる。その傷の意味を、ついてきた司祭や騎士団長達は理解していた。

「いかがですか」

 教皇の方から尋ねた。

「提案がある」

 ルナクスが言った。

「何でしょう」

「被害を最小限にして解決するために、教皇の座を退位して国外へ出ることを勧める。おそらくそれで、黒騎士は現れなくなるだろう。その後も出現するなら改めて俺が対処する」

「ルナクスさんは優しいのですね。噂ではもっと苛烈な方だと聞いていました」

 教皇はまた微笑んだ。

「契約の条件に沿っているだけだ」

「しかし直截に過ぎます。この場には状況を理解していない者も多いでしょう。まずは説明してもらえますか。この場の者達にも、そして私自身にも理解出来るように」

「分かった。黒騎士を生み出しているのは教皇テレノヴァ二世だ。黒騎士と接触した時に情報を得て、今この場でそれを確認した」

 ルナクスは淡々と告げた。

 並ぶ枢機卿の何人かが苦渋に顔を歪め、何か発言しようとするが結局は言い出せない。

 ルナクスが続ける。

「イメージを実体化させ操る具現化魔術の一種として、黒騎士は教皇のイメージに沿って実体化し、教皇の意志によって殺戮し、食糧を焼いた」

 枢機卿の一人が叫んだ。

「そんなことはっ、到底信じられぬっ。聖下に対しあまりにも無礼な決めつけであるっ。何を証拠にそんなことをっ」

「ジグニール卿、静かに。ルナクスさん、続きをどうぞ」

 教皇に注意され、枢機卿は困惑顔で黙り込んだ。

「自身が蓄積した『恩恵』だけではあの強度の具現化は難しい。力の源泉は、信者である国民全員から教皇に集められる信仰のエネルギーだ。よって教皇の座を降りれば能力は弱体化し、人を殺せる強度の黒騎士は現れなくなる可能性が高いと考える」

「なるほど。あなたの理屈は分かりました。しかし、どうして私は黒騎士などを具現化し、人々を殺し食糧と教会を焼いているのでしょう。その理由も教えてくれませんか」

 他人事のように教皇は尋ねる。その顔を冷めた瞳で見据えながらルナクスは答えた。

「それはお前がこの国を憎んでいるからだ」

 教皇を「お前」と呼んだことに、しかし誰も非難の声を上げられなかった。

「やはり、そうだったのか」

 教皇が頷いた。微笑が次第に深くなり、彼はとうとう乾いた笑い声を発していた。

「ハ、ハッ。ハハ、ハハハ。やはり、そうだった。自分でも確信はなかった。そうではないかと疑っていたが、そうであってはいけなかった。だがありがとう。今確信出来た。私はこの国のありようが嫌いだったのだ。ハハ」

 皆がギョッとした顔で教皇を見ていた。ルナクスだけは無表情だった。

「何故救世主の復活を望むのか。何故国民は禁欲し、救世主のために祈り続けなければならないのか。救世主は一度復活した。それで充分ではないか。何故今更救世主に縋ろうとする。我々は自分の力で生きていかねばならないのだ。この大陸ではそれが叶う筈ではないか。自分の意志で幸福になることが出来る筈、だ」

 教皇の笑顔は苦渋と憎悪に歪んでいく。

「何故こんなものが国是なのだ。何故誰も異議を唱えない。聖職者も、国民も。とても私には、私の力では……この歴史の重みを、巨大な重圧を、ひっくり返せなかった……。長い間、押さえつけた心が……何故私は、教皇などに……」

「退位を勧める」

 改めてルナクスが告げた。

 教皇は自嘲気味に首を振った。

「それは不可能です。この国の決まりでね。生きている間の退位は許されない。死ぬまで尽くすのが教皇の……」

 その時、ルナクスが後方を振り向いた。

 騎士団長達の背後から冷たい風が吹き、風の中心から黒騎士が出現した。跨った黒馬が床を蹴り一気に跳躍する。

 その先にはルナクスがいた。いや、更にその先には玉座に座る教皇が。黒騎士が狙ったのはどちらであったか。

 ルナクスが跳んだ。鉈が閃くと、長柄の鎌と盾を持つ黒騎士の両腕が切断されて落ちた。切断面から血ではなく黒い粉状の粒子がパラパラと零れる。

 まだ空中にいた黒馬に横から飛び込んだギンの巨体が衝突した。黒騎士と乗馬は教皇にぶつかる前に横向きに倒れ、ガラスの砕けるような儚い音を立てて消滅した。

「カフッ」

 教皇が咳き込むと、口から血を吐いた。両袖の肘部分も新たな血が滲んでいく。黒騎士へのダメージが術者にフィードバックしたのだ。そして教皇は相当な無理をしていた。

「せ、聖下……」

 凍りつく人々。オルネクツ枢機卿が泣きそうな顔で声をかける。

「治療は、不要です……。これで、もう……黒騎士は、現れ、ない……」

 教皇は寂しげな微笑を浮かべた後、ガフッ、ともう一度大きく咳き込み、大量の血を吐いて玉座から崩れ落ちた。



  四


 依頼を果たして聖都を去ろうとするルナクスに、レルマ・フォーメンズ司祭が声をかけた。

「ルナクス様。教えて頂けないでしょうか。この国は、リサイタバースは、間違っていたのでしょうか」

「それはお前達自身が決めることだ」

 ルナクスの答えはそれだけだった。

 リサイタバース第十八代教皇テレノヴァ二世の国葬は盛大に行われた。聖職者も参列した国民も、皆悲しみを滲ませていた。

 新しい教皇はじきに選出されるだろう。そして救世主の復活のために祈り続けるだろう。

 結局、国是が覆ることはなかった。


(第十四話 完)

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