第十三話 三
三
マックギリーとリルエスという二人の女から土産を受け取ったこと、生チョコは早く食べた方がいいと言われたことをネシュリが伝えると、ルナクスはまた「そうか」と返した。
「今は別に仕事を受けてもおらんよな。わしの代わりの留守番も終わったし。今夜は酒を飲んでもいいんじゃないか」
取りなすようなしゃがれ声に、ルナクスは少し考えた後、「そうだな」と頷いた。
「だが、まずは夕食だ」
「今から用意します」
「もう用意してある」
ルナクスは言った。弟子がいる間は基本的に弟子が料理をすることになっているが、そうでなければルナクスがやる。
彼の料理は丁寧で且つ手際が良く、栄養バランスに優れている。ただ、まずい訳ではないが、手放しで美味しいと言えるレベルでもない。
必要以上に美味であることを禁じているような料理だった。たまにしゃがれ声がリクエストする時は美味しいものも作ることはあるが。
師匠と弟子がテーブルで向かい合い、ギンは床に置かれた皿で黙々と同じものを食べる。
食べ終わり、ネシュリが皿を洗っている間に、声が言った。
「なら、酒にするか」
「そうだな」
ルナクスが答えたので、ネシュリが「では、生チョコを出しますね」と振り向いた時、ルナクスの両隣に椅子を移動させて二人の女が座っていた。
さっきまではいなかった。扉を開け閉めする音もしなかった。地下の保冷庫に入れておいた筈の生チョコがテーブルの上にあって、リルエスが包みを開けているところだった。マックギリーがウイスキーの蓋を開け、大きな氷の入った三つのグラスに中身を注いでいく。
いつの間にか、何もかも用意されていた。
ルナクスは特に何も言わなかった。こうなるのが分かっていたように。
「では、乾杯と行きましょうね」
にこやかにリルエスが言い、と、いきなりネシュリの方を向いた。次の瞬間には目の前にいた。
「君はもう出なさい。後片づけは私がやっておくわ。今夜は納屋で寝るのね。寝具はもう移してるから」
見開いたリルエスの瞳は、何やら物凄い圧力を放射していた。
「そ、そういうことなら、これで、失礼します。師匠、お休みなさいませ」
「ああ」
ルナクスの簡潔な返事を聞きながらネシュリは裏口から出た。扉を閉める寸前にスルスルとギンが出てきてネシュリの横に立った。
扉を閉め、尻尾を振っているギンを見ながら深い息をついていると、屋内から呻き声のようなものが聞こえてきた。
「……う、ううう……うう……」
苦しげな、男の声だった。ネシュリが慌てて扉を開けようとするがギンの巨体が塞ぐ。
「別に心配は要らんぞ」
しゃがれ声が言った。
また扉の向こうからルナクスの声が聞こえてきた。
「うう……お前達は、消えるなよ……いなくなるなよ……」
常に淡々として感情を排した声音とは違っていた。
「消えないもんっ。ずっといるもんっ」
「ずっとそばにいますよ。先生がいる限りずっと」
女二人の声が応じる。片方は幼児のような口調で、片方はえらく優しくて、落ち着いていた。後者の声質はリルエスっぽいので、前者がマックギリーということになるのか。
「うう……う……」
ルナクスの呻きは、泣いているようでもあった。
「じゃあ、行こか」
しゃがれ声が促してきたので、ネシュリは仕方なく裏庭の納屋に向かう。狭いスペースに、ネシュリの寝具がベッドごと移動していた。
「何が何だか分からんという感じか」
しゃがれ声が聞いた。
「まあ……そうです」
「心のバランスを、どのように取るかという話じゃ。嫌なことがあったり苦労してばかりじゃと、気晴らしが必要じゃろ。やり方は人それぞれではあるが、ルナクスの奴はガチガチの、自己抑制の権化じゃからな。溜め込んだ感情をな、本音を吐き出すための機会を設定したんじゃ」
「設定、ですか」
「契約や組織の業務などを負っておらず、戦う必要もない自由な時に、酒を飲むこと。わしらはアルコールなどには負けんが、その時だけは奴は酔っ払うことにしとるのさ」
「はあ……」
「そうするとな、女共の頭がおかしくなるんじゃ。いつもそっけなくて冷徹な、ツンしかない奴が、ごくごくたまーに、下手すると十億年に一回くらいデレるんじゃよ。そのギャップにな、女共はパーになるんじゃ。もう奴のデレを見るためだけに全力で生きとるような狂人よ」
「はあ……。よく分かりません」
「じゃから気をつけいよ。奴の弟子はあまり多くはないが、女の弟子は皆狂信者、いや狂愛者じゃぞ。特に酒飲みのチャンスを邪魔したら、それはもう、恐ろしいことになるぞ」
ギンの体が小刻みにブルブルと震えた。
「はあ……」
「ま、お主が弟子を続けられるならの話じゃがの。最初の一歩をちゃんと踏めることを祈っておるぞ。ふぇ、ふぇっ」
声はおかしな笑い方をした。
屋敷の方からは「ぐああっもう辛抱たまらんっ」という女の叫び声が聞こえてきた。人を押し倒すようなドタンという音も。
ネシュリは耳を塞いでベッドに横になり、「お休みなさい」と言って目を閉じた。
(第十三話 完)
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