第五話 二~三

  二


 徒歩による帰路は、足の遅いキーナに合わせるため三回の野宿を経る見込みとなった。

 夜が近づき、道中の旅人がキャンプしやすい川沿いの広場に小さな簡易テントを二つ張った。片方はルナクスとクルーゼルが、もう片方はキーナが一人で使うことになった。

 夕食にはホクトで買っておいた弁当とクルーゼルが買った果物を食べた。明日からは味気ない携帯食料を消費することになる。

「お屋敷で食材と道具があれば、頑張ってみますので」

 キーナは恥ずかしそうに言った。

 クルーゼルはザックから小さな鍋を取り出した。川の水を汲み、焚き火で湯を沸かす。

 沸騰を待つ間、キーナは自分の身の上をポツポツと語った。娼婦時代に誰の子か分からない子供を妊娠・出産したこと。その子は孤児院に入れられた筈で、一度も会っていないこと。もし本当に十年で解放してもらえるのなら、子供と会ってみたいこと。

 ルナクスは無表情で、どんな反応も示さなかった。クルーゼルはたまに軽く頷くが、微妙にキーナから視線を逸らしていた。

 固形コンソメを溶かしたスープを三つのカップに注ぎ、三人でそれを飲んだ後で少ししてルナクスが告げた。

「もう寝るがいい。俺達もテントで休む」

 他にキャンプしている者はおらず、誰も見張り役を務めないのは不用心ではないかとキーナが口にしたが、ルナクスは「大丈夫だ」と答えた。

「では、お休みなさいませ」

 自分用のテントに入ろうとしたキーナに、「ちょっと待って下さい」とクルーゼルが声をかけた。

「何でしょう」

「念のため、一つだけ言っておきますね。本当に、念のため」

 クルーゼルは真剣な目をして女奴隷に告げた。

「僕の師匠は、言ったことは必ず守ります。胆に銘じておいて下さいね」

「はあ、分かりました」

 キーナは頷いて、改めて「お休みなさいませ」と言ってテントに入った。

 何事もなく夜は更け、午前二時頃。テントからキーナが顔を出した。焚き火は消されており、細くなった月と満点の星がキャンプ地を淡く照らしていた。

 もう一つのテントの様子を窺うが、動きはなく、音もしない。

 キーナは息を殺し、忍び足でテントを出た。用を足すならそこでと指示されていた茂みへゆっくりと、歩き、次第に、早足に、なっていく。

 テントの方は相変わらず静かだった。

 茂みの奥を過ぎ、木の陰に回り込み、テントから五十メートルほど離れたところでキーナは駆け足になった。緊張と不安から解放され、彼女の顔は喜びに歪んでいく。目に涙が滲む。発信機も支配魔術もないなら、逃げて左肩を隠していれば、三十万シン程度の奴隷を普通なら躍起になって捜索はしないだろう。メイキョーから東のタラトス王国を通過して、奴隷制度を認めない共和国のユニティーに入ってしまえば守ってくれる筈だ。会ったことのない子供の話は本当だったが、今は彼女の念頭にはなかった。

 希望に燃えながら木々の間を抜け、テントから百メートルを過ぎたところでトスンと後頭部に衝撃が走り、そこでキーナの意識は途絶えた。



  三


「彼女が逃げることは分かっておられたのですか」

 矢を放った師にクルーゼルは尋ねた。彼は横になっていたが寝たふりをしていただけだ。目を閉じていた師が本当に眠っていたのかどうかは、クルーゼルには分からない。

 師は無表情に答えた。

「おそらくはそうなると見ていた。だが、人の心は完全には分からない」

 だから師は確かめたのだ。

 いや、違う。師は求められたから契約したのだ。そして言った通りに、逃げたから殺しただけのことだ。

 クルーゼルは確かめたかった。修行の一環として、自分の見立てが合っているかどうか知りたかった。だから軽い警告だけで済ませ、寝たふりをしていた。

 冷たい覚悟と共に、クルーゼルは黙ってその罪悪感を噛み締めた。


(第五話 完)

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