第2話「幼馴染と、恋人としての帰り道」

「……ほんとに、受け入れてくれたんだね」


 下校の坂道を並んで歩きながら、真白がぽつりと呟いた。

 夕焼けが二人の影を長く引き伸ばし、街路樹の間を吹き抜ける風が少し肌寒い。

 その横顔はどこか夢見心地で、頬がまだほんのり赤く染まっている。


「ああ。むしろ、なんでそんなに不思議そうなんだよ」

「だって……今までずっと隣にいたのに、恋人になるなんて、考えられなかったから」


 真白は照れたように笑い、歩幅を合わせてくる。

 小さな手が袖口からのぞき、伸びかけては、また慌てて引っ込められる。


(……可愛すぎるだろ)


 思わず笑って、俺はその手をそっと取った。

「ひゃっ……!」

 真白の肩が跳ねる。


「これからは、隠さなくてもいいんだ。俺たち、もう恋人なんだから」

「う……そ、それはそうだけど……! いきなりは、心臓に悪いっていうか……」


 声は抗議めいているのに、握った手は離れない。むしろ指先がぎゅっと絡んでくる。


 ……この瞬間、俺は改めて噛みしめていた。


 転生する前、俺は二十五歳の会社員だった。

 勉強も部活も平凡、恋愛経験も乏しく、要領よく生きてきたとはとても言えない。

 仕事はつまらなく、人間関係は疲れるばかり。

「まぁ、こんなもんか」と妥協ばかりしていた。




 そんな俺が生きがいにしていたのが、ゲームやラノベの世界。

 とくに『クロスフェイト・メモリーズ』は、絵に惹かれて買ったものの――トラウマ級の鬱展開で心をえぐられた。

「こんなの救われなさすぎるだろ!」とコントローラーを投げたことを、今でも覚えている。


(だからこそ、わかる。

 ここで彼女を失わせたら、また同じ悲劇が繰り返される。

 もう二度と、後悔なんてごめんだ)


 転生直後、俺が一秒も迷わず真白を受け入れた理由はそれだ。

 自分の過去を思い返しても、何度も選べなかった選択肢がある。

 けれど今は違う。

 俺にはやり直すチャンスが与えられた。


「なに、にやけてるの?」

 真白が覗き込んでくる。

「べ、別に変なこと考えてないよね?」


「いや……むしろ幸せすぎてさ。これから真白と一緒に歩けるのが、嬉しいだけだ」


「っ……そ、そういうこと急に言わないでよ……」


 真白は顔を真っ赤にして前を向いた。

 それでも握った手は、ますます強く絡んでくる。


 ……転生前の俺なら、きっとこんな風に言えなかった。

 気持ちを飲み込んで、曖昧に笑って、チャンスを逃す。

 それが俺の人生だった。

 告白できなかった想い。

 勇気が出ずに終わった恋。

 諦め癖ばかりが積み重なった毎日。


 大学時代、一人だけ心惹かれた子がいた。

 同じゼミの明るい女の子。何度も一緒に帰って、文化祭を回って、卒業旅行にまで行った。

 あと一歩、言葉にすれば届いたかもしれない。


 けれど、俺は告白できなかった。

「タイミングが悪い」

「今はまだ早い」

 そんな言い訳ばかりで、最後まで勇気を出せなかった。


 そして気づけば、彼女は他の男と笑っていた。

 俺の想いなんて、誰にも知られることなく終わった。


 その瞬間の悔しさと虚しさは、今でも胸の奥に残っている。


(だからこそ、もう二度と繰り返さない)


 この主人公は、かつての俺と同じなんだ。だからこそ、こいつのチキンで度胸のない性格は嫌いだった。


 なのに、目を離さずにはいられなかった。だってそれは自分の弱さを見せ付けられているのと同じだから。


 ゲームの中だと分かっているのに、どれだけの絶望ルートに叩き込まれようと途中で投げ出すことはできなかった。


 その結果、創作物と割り切れないレベルのトラウマを抱えて締まったのだから笑えない。


 何の因果か、俺に自分の後悔を拭うチャンスが巡ってきた。

 しかも相手は、ずっと隣で笑ってくれていた幼馴染――結城真白だ。


 ああ、好きだ。真白が好きだ。普通ならゲームのキャラに恋をするなんて痛々しいことだろう。


 だけど、今目の前にいる本物の人間としての真白を見たら、そんな思いは吹き飛んでしまった。


 俺は決めた。

 彼女を守る。彼女を幸せにする。

 後悔を積み重ねた過去の俺を乗り越え、この世界では全力で未来を掴む。


 こんな風に思えるのは、主人公本来の意識が俺と融合しているからだろう。


 こいつは俺だ。俺自身なのだ。


「なに、にやけてるの?」

 真白が覗き込んできた。

「べ、別に変なこと考えてないよね?」


「いや、むしろ幸せすぎてさ。これから真白と一緒に歩けるのが、嬉しいだけ」

「っ……そ、そういうこと急に言わないでよ……」


 真白は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

 でも握った手は、どこまでも強く絡んでくる。


 夕暮れの坂道。

 二人の影が並び、確かに重なって伸びていく。


 俺の“バラ色学園ラブコメ”は、後悔しないと誓った決意とともに、今ここから始まった。


◇◇◇



 翌朝。

 教室のドアを開けた瞬間、異様な熱気に気づいた。


「……来たぞ」

「うわ、本物だ……!」

「昨日の帰り見たやつがいるんだって!」


 ざわつくクラス。

 視線が一斉に俺へ突き刺さる。

 普段は目立たないモブ寄りの俺が、一夜にして舞台のど真ん中に引きずり出されたような居心地の悪さだった。


(……なんだ、この公開処刑感は)


 視線の先――窓際の席。

 黒髪を揺らして座っている結城真白。

 普段なら完璧に澄ました清楚系ヒロインの顔。

 だが俺と目が合った途端、頬がぱっと赤く染まり、慌ててノートに視線を落とした。


(あ、やっぱりバレてるわ)


 俺が席に着こうとしたその時――


「おーい! 昨日の夕方、真白ちゃんと手ぇ繋いで帰ってただろー!」


 快活系男子の声が、クラスの中心に響き渡った。


「えっ!? え、えっと……」

 俺がうろたえるより先に、真白の耳まで真っ赤になった。


「ち、違……違わなくもないけど……!」


 小さな声で否定とも肯定ともつかない返事。

 それだけでクラス中に衝撃が走る。


「おおお! 本人の口から認めたぞ!」

「クラスのアイドルが、ついに彼氏持ち!?」

「よりによって相手があいつってマジか……!」


 半分は驚愕、半分は歓声。

 男女入り混じって「キャー!」だの「爆発しろ!」だの、嵐のような冷やかしが教室を揺らした。


 俺は顔を覆いたい衝動を必死にこらえ、真白の方をちらりと見る。


 真白は両手で顔を隠しながら、机に小さくうずくまっている。

 ……と思いきや、指の隙間からこっそりこちらを覗いて、目が合うとすぐ逸らした。

 でも、その頬の赤みと口元の緩みは隠しきれていなかった。


(……可愛いすぎる。やばい、心臓に悪い)


 堪らず立ち上がり、俺ははっきり言った。


「――結城真白は、俺の彼女だ」


 一瞬、空気が凍り付いた。

 クラス全員がぽかんと口を開け、時間が止まったように沈黙が流れる。


 だが次の瞬間――


「うおおおおおおおっ!!!」

「マジかよ! 本当に付き合ってんのか!?」

「青春爆発すぎるだろーー!」


 机を叩く男子、立ち上がって手を叩く女子。

 教室が揺れるほどの大歓声に包まれた。


「きゃーーー! 真白ちゃんの彼氏、誕生ーー!」

「似合う似合う! やっぱり美男美女じゃん!」

「でも相手があいつって……なんでだよ!?」


 女子たちが黄色い声を上げて大はしゃぎする一方で、男子たちは頭を抱えて机に突っ伏す。


「ぐぬぬ……俺の清楚系アイドルが……」

「真白推しだったのに……敗北感ハンパない」

「ちくしょう、現実って残酷だな」


 嫉妬と祝福が入り混じり、教室はカオスと化した。

 まるで文化祭のステージ発表を見ているかのような盛り上がりだ。


「も、もう……っ! どうしてそんなこと堂々と言うの……!」

 真白が顔を真っ赤にして、俺の袖をぎゅっと引っ張る。


「だって、嘘じゃないからな」

「~~~~っ!」


 真白は机に突っ伏して、ぷるぷる震えている。

 だがその肩は小さく揺れて――照れ笑いを必死に隠しているのがわかる。


 俺は苦笑しつつ、心の底から実感していた。


(ああ……俺たちはもう、公認カップルなんだ)


 こうして――俺と真白は、学園中に祝福と冷やかしを受けながら、堂々と“公認カップル”として歩き出したのだった。


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