第17話 図書館
冷暖房完備の真渋谷の図書館。
外がとびきり暑いから、中はより涼しく感じる。
ここは学生の街だから、想定するお客さんが学生なので、参考書が多めに配置されている。
それに加えて、ダンジョン関連の資料本もこちらにあるのは、ここにNSSがあるからだ。
NSSが無ければ常備はしないだろう。
ダンジョンに潜ろうとする人など、他の学校からは出てこないはずだから。
静かな自習室の脇にある。
会話をしてもいいスペースの場所で二人は論争を繰り広げていた。
それは、決してデートとは言えない。
真剣な考察タイムである。
「これは・・・たしかに。変ですね」
「はい。そうでしょ」
小さなメモ帳に書かれている手記の写しだから、二人は体を寄せ合ってメモ帳を見ている。
二人の椅子も近づけて、相手の吐息も聞こえるくらいの距離感で、二人の間に置いたメモ帳を眺めているのだ。
「これは。段々と支離滅裂になっている?」
「はい。これはダンジョン喪失病ではありませんか」
「たしかに。でも反応がありますよ。奥さんの言葉に返事をしています」
「・・・ええ。でも、ダンジョン喪失病に、重症度があったら? それを仮定して考えてみれば、この反応が軽めなのかもしれませんよ」
「なるほど。たしかに」
アロウの妻の日記には、旦那の変化が書き記してあった。
攻略前は、優しい夫。
話も聞いてくれるし、次に何をするかを宣言して、安心もさせてくれる人だった。
アメリカ各地のダンジョンを巡っていく人だったから、いつどこで野垂れ死ぬかもわからない。
だから奥さんには必ずどこどこに行くと告げて、もし死んだらそこで死んだと知らせるくらいに、奥さん第一の人だったそうだ。
「それがこれだと・・・こうなると・・・」
ダンジョン攻略後は、何かを手にして、『ああ。ああ』と言うらしい。
返事も生返事で、何をしたいのかが分からない。
デバイス起動もすることもなく、連絡なども奥さんに入れた事もない。
あれ以来別人のようになってしまったと、彼女の手記には書いてあった。
彼女とアロウの細かい日常を読むには、退屈なように思える。
彼が変わってしまったという証言だけが羅列された手記となっているからだ。
「はい。春斗さん。これって本としてだと、売れませんよね」
「たしかに。本としてだと面白みがありません。愚痴にも見えますからね」
「はい。でも私は資料本だとすると、面白いと思っています。ダンジョン喪失病と似て非なるものの反対かと思います」
「反対ですか?」
推察をしている時の桃百は楽しそうに話す。
今日一番の笑顔の彼女が春斗の隣にいる。
「はい。外に出ている反応が若干違うけど、その根本は一緒だと思うんです! アロウさんと、喪失病の患者さんの違いは外だけ。反応が出来るか出来ないかだけです。己の意志が少しだけ垣間見えるのがアロウさん。己の意志がほとんど無いのが、患者さんです」
「・・・・うん。たしかに。そうですね」
春斗も納得した。
突拍子もない意見でも確かな意見であると思える。
「それで彼はクリアした際に何かを与えられたから、そのような形になった。こう考えるとどうでしょうか?」
「つまりダンジョン喪失病になるにはなったが、彼はクリアしたから、軽度になっていると。そう言いたいんですか?」
「はい。クリアには、何か条件が付与されるのではないかと。私は仮定しています。人か神か・・・あそこには何かの介入があるのでは?」
「クリアしたのに。条件。介入・・・こちらが力を得るのに。富を得るのに。何かを得るのに条件があるんですか・・・なるほど」
クリアしたら、ただ単純に力が与えられるものじゃない。
富が与えられるわけじゃない。
何かの条件を突破して、クリアした者には何かが授けられるのではないか。
それが桃百の予想である。
「はい。その条件がなんなのか。そこまでは分かりませんが。予想ではそうかと」
「わかりました。その考え、確かに可能性としてあると思います」
「ほんとですか。嬉しいですね。こんな話をしても誰にも信じてもらえないでしょうから」
「ええ。自分は信じます。面白い発想だと思いますから」
「ありがとう。春斗さん。私、今。凄く楽しいです」
「ええ。自分もですよ。ダンジョンについてでも、最深部を話せる相手はあなただけだ。養父以外とはそこの所を話したことがないですから」
二人が仲良く見つめ合うと、不思議と良い雰囲気となる。
しばらくこの時間が続いた・・・。
◇
香凛が、アルトの胸ぐらを掴んで、揺らす。
アルトの頭は左右に揺れている。
「何あれ・・どういうことあれ・・・あのさ。アルト。あれ殺してもいい。ねえ。テレキネシス出してもいい!」
「や。やめろよ。デートの邪魔すんなボケ!・・つうか。俺を揺らすな。馬鹿」
嫉妬の炎で香凛の目がイッちゃっていた。
アルトは困った顔をして揺れているというか、頭がぐらぐらになるまで揺らされている。
「デートじゃないもん! あれはただの・・・そうお話です! 世間話」
「わざわざ・・・街の図書館でするか。馬鹿。そんなん。そこら辺の道端でやるわ」
アルトの心ない言葉で、香凛の目には涙が溜まる。
「ち。違うもん。絶対違うもん・・・えええええんんんんんんん」
「泣くなよ。馬鹿。だからついてくるなって言ったのに」
「み。認めないもん・・・ああああああ」
香凛は、耳を塞いで自分の殻に閉じこもった。
「はぁ。どうすんだよこれ。つうかこっちもか」
アルトが隣を見るとこっちもかよとため息をついた。
「ああ。僕のモモ・・・僕の・・・遠い遠い存在に・・・あああ・・・」
「リっちゃん。いつからモモちゃんが、リっちゃんのモモになったのだぞ」
「それはもう・・・・幼い頃から・・・ずっと一緒だったのに・・・・」
「だからそれはずっと一緒だっただけで、リっちゃんって告白したの?」
「・・・してない」
「じゃ無理だぞ」
理人の夢を打ち砕いた成実が、彼の肩に手を置いた。
「言わないと。伝わらないよ。その思い」
「ああああああああああ」
香凛同様、耳を塞いだ理人である。
『最後の文章、俳句?』と思ってるアルトは、あちらの二人の仲良さそうな姿を見て微笑んだ。
(よかったな。人並みの経験したっていいよな。過去が辛くてもさ)
春斗の育ってきた経緯を宗像から聞いているアルト。
辛い過去を持っているからって、何も今も辛くなる必要はない。
親友であるから。
何よりも春斗の幸せを願っている。
隣にいるもう一人の親友が泣こうがだ。
「だああああああああ・・・・あたしもあそこに居たい」
「はいはい。そうだな」
最後の言葉にだけ同意して、アルトはもう十分だろうと、泣きが入った二人を外に誘導した。
◇
図書館帰り。
「春斗さん」
「はい」
「ありがとうございました」
「???」
急に感謝をされて、春斗は戸惑う。
「楽しい思い出になりました」
言葉とは違い、桃百の顔が暗い。
「・・・春斗さん。
「独特な?」
「はい。私のレベルだと人にまで影響がありますから。心の声がすぐに聞こえちゃうんです。人が持つ、心の汚い部分からそれこそ綺麗な想いまで。全部が聞こえるんです」
「なるほど」
「でもあなたからは、何も聞こえない。だから楽しいんです」
「・・・・ん?」
「春斗さんは、わからないって、楽しくありません?」
「わからないが楽しい・・・未知が既知ですか」
「そうです」
どういう事だろうと、春斗は悩む。
素直だから、そのままの言葉を聞いていた。
「ほら。その顔が悩んでいるって、顔を見て分かるんですよ。今の私は!」
相手が悩んでいる事が分かる。
それが顔を見て分かる。
これが今幸せだと感じる。
「ん?」
「答えが勝手に分かってしまうより。あなたの顔を見て、わかった時が一番嬉しいんです」
「・・・なるほど。カンニングみたいになるのが、好きじゃないと」
「はい。そうです」
答えを知って、人と接するのが好きじゃない。
知らないからこそ、知ろうとする作業が楽しいのだ。
桃百の言葉は、そういう意味だった。
「それだと本当に自分の声は聞こえないのですね」
「はい。まったく無音です。どうしてでしょ」
「それは・・・どうしてでしょうかね」
「身体系の人なんですよね」
「ええ。まあ」
春斗は、身体強化も可能となっているが、基本は音の使い手である。
この情報だけは彼女に開示できないと、自分の事情に巻き込むことは出来ないと教える事はなかった。
この時の春斗は、彼女の力を受け付けない理由を、『おそらくあれだろう』と、予想がついていた。
それも彼女に教える事は出来なかった。
「精神系の人なら、聞こえにくい現象が起きますが・・・身体系の人にここまで拒絶されているのは珍しい。だから春斗さんと一緒にいるのが楽しいです。わからないことだらけで、手探りなのが楽しいんです」
「何も気の利いたことも言えない。つまらない男ですが、楽しんでもらえてうれしいですよ」
「え。つまらないなんてないですよ。春斗さんの全部が面白いんですよ」
「全部ですか・・・んんんん。どうでしょう。自分が面白いって感覚がないですね」
ここら辺が宗像と同じ男である。
血は繋がらなくとも、四郎と春斗は親子だった。
真剣に悩み、真剣に答える。
だけど、間が抜けているし、感情が薄い。
そっくりな親子は、ただ相手に誠実なだけなのだ。
「ふふ。いつまでも、そのままの素敵な春斗さんでいてください」
「はい。自分は何があってもこのままだと思います」
「ええ。そのままで・・・」
最後に眩しい笑顔を見せる桃百。
夕暮れ時の日差しが、喜びの笑顔を更に輝かせた。
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