第17話 ファルカ視点

 あの子猫の強引な押しに負けて、あたしたちは向かい合っていた。

 目の前にいるのは、アントニー。

 あたしの元婚約者で、あたしをこっぴどく振った男。


 ちゃんと話し合うまで、帰してもらえないだろう。

 今日の配達はここが最後で、後の仕事はない。それはアントニーも同じなのだろう。

 最初からはめられていたというわけだ、内心苦笑いする。


 私は諦めて一つのクッキーを手に取り、ぱきっとクッキーを割った。

 鮮烈な赤の短冊が出てきた。なんだか、目の前がきらきらと光った気がした。

 彼もその赤の短冊を見ていた。

 短冊から私に視線をうつし、彼はぎこちなく口を開いた。


「……まだ、そのリボンつけていたんだな」

「そうだよ」


 この短冊と同じ、真っ赤なリボン。

 アントニーに誕生日プレゼントとして貰ってから、ずっとつけていたリボンだ。


「あたしのお守りだったんだよ。心の支えだったんだ。……今更、取れないよ」

「似合うよ。……君は、やっぱり鮮やかな赤が似合うね」


 彼は力なく言う。

 その諦めた言い方がなんだか悔しくて、あたしは言葉を重ねる。


「あんた、これくれたときにさ。あたしの長い髪を褒めてくれただろ? 綺麗だ、どこにいてもすぐにあたしだってわかる、トレードマークだって」

「? ……ああ、うん」


 目をぱちぱちとするとぼけたような態度に、あたしはますますくやしくなる。

 どんなきもちでつけていたと思ってるんだ。


「あたし、父さんが倒れてから、商会を引き継いで……散々嫌な思いしたよ。仕事相手のオヤジたちは厳しいし、若い女だからすぐ根を上げるだろう、甘い気持ちでやってんだろってなめられるし。……ちゃらちゃら髪を伸ばして色気づいてんじゃねえって、虫の居所の悪い奴に髪を引っ張られたことだってある。あたしだってまだ……小娘だったからさ、悲しくって、髪切っちゃおう、男になろうって思ったんだけど」


 あたしは気付けば髪を撫でていた。

 どんなに男まさりに働いていても、自分が女性らしさを忘れないでいられたのは。


「あんたが……あたしの髪を綺麗だって言って、リボンをくれただろ。このリボンはあたしがあたしらしくいながら強くなるための、お守りだったんだ。あんたが褒めてくれた自分の良さを、しっかり守りながらいっぱしの商人になってみせるってね」

「そんな……」

「おどろいた? ……あたしは、離れていても、毎朝毎晩、いつだって、あんたのことを思ってた」


 涙が溢れそうになる。恥ずかしいと思う。

 ぐっと堪えて、あたしはふっと微笑む。


「あたしのこと、綺麗って言ってくれる奴なんていなかった。でもあんたは誰にからかわれても、冗談って馬鹿にされても、あたしのことを綺麗って言い続けてくれたし、あたしを彼女扱いしてくれただろ? ……嬉しかったんだ、本当に」


 自然と、口から言葉が続いた。


「……ありがとう。あんたのおかげで、あたしはあたしでいられたんだ」

「そんな優しいこと言わないでくれよ。俺は……俺は、こんなに情けないのに」


 ぐしゃっとアントニーの手元でフォーチュンクッキーが割れる。

 中から出てきた短冊は、窓辺の光を浴びて輝く銀色だった。

 まるで折れた剣のように、くしゃっと彼の手の中で曲がる。


「……君を守れるような男になりたかったんだ。ずっと家族を支えて、笑顔で前向きに突き進む、太陽のような君が、頼れるような男になりたかった。だから出世して、君を助けたくて……騎士を目指したのに……俺は……みっともないよ」


 彼は銀の短冊を弄びながら、ぽつぽつと話した。

 平民騎士の演習の過酷さ。貴族騎士のストレスのはけ口扱いされる屈辱。

 自分がただのドブネズミだと思わなければやっていけない、心を殺されるような騎士団内部の現状。いびりの標的になっていた同期を庇ったら、自分が標的になり、徹底的に暴力を加えられていたこと。同期たちはこれ幸いに、誰も助けてくれなかったこと。

 状況に疲弊していき、次第に心と体を壊していったことを。


 震える手を、あたしは両手で包んだ。


「……話してくれてありがとう」

「ごめん、……かっこ悪い男で……」

「あたし、あんたのことかっこ悪いなんて思ったことないよ。今だって」


 驚いて顔を上げるアントニーに、あたしは微笑む。


「まずは生きて帰ってくれて良かった。そしてそんな場所に馴染まなくてよかった。聞いてほっとしたよ。あんたがそんな場所に慣れて、そういう男になって帰ってきてたら、あたしは悲しかったよ」

「ファルカ……」

「あたしが好きなあんたはさ、自分の気持ちに嘘をつけない、まっすぐで優しいあんたなんだ。誰かを庇えるってすごいじゃん。そしてしっかり帰ってくる選択できるってすごいじゃん。……あたしのことだって、気にして別れを告げてくれたんだろ? ……優しいじゃん。あたしが好きなアントニーのまんまだよ」


 アントニーの姿がぼやける。声が震える。手をつないだままだから、あたしは涙を拭えない。

 気付けばあたしは素直な気持ちが口に出ていた。


「あんたのこと大好きだよ。……大好きなあんたがボロボロになって、別れを告げてきても、心配でたまんないよ……あたしのことが本当に嫌になったなら、まずは体直して、元気になってから振ってくれよ……じゃないと、ずっと未練が残っちまうよ……」

「それじゃ意味ないだろ、俺がファルカの足手まといになりたくなくて」

「ならないよ! 好きな男と一緒にいられなくなることほど、辛いことはないよ……っ!」


 顔を覆って、あたしは恥ずかしいくらい素直に泣きじゃくっていた。

 アントニーが椅子から立ち上がり、あたしを抱きしめてくれるのが分かった。

 背の高さは変わらないけれど。

 すっかり痩せてしまったけれど。アントニーの腕は広くて大きくて。

 あたしの頭を撫でてくれるアントニーの手に、あたしはまた、大好きだと確信した。


「大好き……離れないで……おねがい、一緒に…………」

「わかったよ。ファルカ。ごめん。……俺と一緒にいてくれ。一緒に……生きてくれ」


 こくこくと、言葉にならない気持ちを頷いて示す。

 泣き止んだころ、あたしたちはようやくテーブルの上のクッキーに目を向けた。

 赤い短冊、そして――もう一つの短冊は、先ほどの銀色から金色に変わっていた。


「あれ? 金色だったっけ?」

「見間違えてたのかもしれないな。ほら、俺たちそれどころじゃなかったし」


 微笑むアントニーの優しい顔は、あたしが大好きなアントニーに戻っていた。


「クッキー、食べよっか」

「ああ」


 泣きじゃくった照れ隠しにあははといつもの調子で笑い、お互いフォーチュンクッキーをもう一つずつつまむ。

 割って出てきた中身は――あたしのクッキーも、彼のクッキーも、キラキラとしたピンク色の短冊だった。


「……すっごいな。これどんな技術なんだ?」

「王都でも見たことないよ。どうやってるんだろう……」


 二人で眺めていると、店の店長がアイスティーのおかわりをつぎにやってきた。

 ひょろりとした長身の黒髪美形は、にっこりとあたしたちに微笑んだ。


「企業秘密です……強いて言うなら、愛の奇跡、ですね♡」

「んだよ、うっさんくさいなあ」


 思わせぶりなウインクに、あたしは笑った。

 アントニーも笑う。

 キッチンの奥からぴょこっと覗いたネコミミが、ほっとしたようにぴるぴるっと揺れた。

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