序章・第4話 常世
常世とは、門を介して出入りできる現世から切り離された領域の総称だ。内部の時間は現世と同じ速度で進む。常世は星の各地に点在し、互いに繋がっていることは確認されていない。
門の出現には二型ある。いまだ消えることが確認されていない常設型と、一定期間で消え、同一地点の近傍で不定期に出現する一時型。
国は常設型からの資源回収で成り立つ。一時型は狩人の一攫千金や冒険心を満たす場でもある。
門の周辺人口が増えると、幻体が現世側を目指す挙動が現れる。門を越えて人に被害を与えた事例がある。常設型を抱える国では、門前防衛は常在任務となる。
クロッドがアリオスとルークを見渡した。
「以上が常世の前提だ。続きは実地で確かめる」
先頭にクロッド、殿にシロン。アリオスとルークは左右に散り、死角をなくすように隊列を組む。武器の間合いを意識し、適切な距離を保つ。
「死角を作るな。間合いを保て」
シロンが短く指示し、二人はうなずく。指先が柄にこわばる。
「ここは草原構成の常世だ。森も川もあるが、平地が主だ」
クロッドは歩を緩めず言った。
「見通しが利くぶん、向こうからも見える。視認したらすぐ報告」
「洞窟や塔の内部だけでできた常世もあるけど、狩人でもないと縁がないかな」
雑談を挟み、二人の緊張をあえて揺さぶった。
一行は森の縁に沿って進む。
「森には極力入らない。武器が振れないと戦力も落ちる。木々で陣形も崩れ、死角も増えてしまう」
シロンの声に合わせて二人が位置を微調整する。
「前方、草影に動き!」
アリオスが報告する。間を置いて種子のはじける音。逆風が穂先を倒し、波紋のようにこちらへ広がる。低い唸りが地を這い、草が裂ける。犬型の幻体が現れ、口端を吊り上げて威嚇し、こちらを射る。
「光を纏(まと)っている部位は確認できるか」
シロンが問う。
「……牙です。牙が淡い光を纏っています」
ルークが即答した。喉の奥で唾を飲む音が、やけに大きく響く。
「象徴部位は強化される。狙うな。攻撃も受けるな」
犬型が地を蹴る。土塊が砕け、一直線の軌跡が草を裂く。
クロッドは半歩だけ前へ。刀身が空気を裂く音が一度。直後、肉を断つ鈍い音が続いた。
幻体は霧のようにほどけ、地面に小さな牙だけが残る。
「……消えた?」
アリオスが声を漏らす。
「さっきまで動いていたのに……跡形もない」
ルークも息を詰めたまま言葉を継いだ。
「こうして象徴部位が残る。これが素材として生活を支えている」
クロッドは牙を拾って、腰の袋に入れる。
「残敵確認」
シロンの指示。アリオスとルークが応答する。握りは固いが、声は出た。
「駐屯地へ向かう。隊列、戻せ」
クロッドの指示に、警戒を戻し歩を進める。
昼を過ぎたころ、駐屯地に到着した。柵の内に天幕が並び、人の気配は静かだ。出入口の脇には運搬機が据えられ、荷袋は山積みだが、血筒が差されず停止している。
クロッドが伸びをしながら言った。
「ここが駐屯地だ。護士が設営と管理を担っている。狩人も必要に応じて使う」
「隊列を解除。休憩だ」
シロンの指示で場の空気がゆるむ。アリオスとルークはようやく肩の力を抜いた。
内部には長卓を並べた食事場があり、盆にパンと温かなスープ、焼き魚に刻み野菜が並んでいる。街から日々食材が届くため、ここでの食事は普段と変わらない。
「狩人は有料だが、護士には供給される。士気を高めるために美味い飯は重要だ」
シロンは全身に安らぎを与えるように味を楽しんでいた。
食事を終えるころ、二人の狩人が声を掛けてきた。
「おっと! クロッド殿下にシロン様じゃないか。初めて見る子たちだけど、遠足かい?」
「二人組の狩人は、やはり君たちだったか」
クロッドが応じる。弓を背に抱えた女がニム、大盾と大きな荷袋を背負った男がカーデンだ。
「今日はこのアリオスの頼みでね、演習の最中さ。未成年だから戦わせはしないけど、将来の護士に早めの経験をね」
「ありがとうございます」アリオスが背筋を伸ばして頭を下げた。
「将来有望だね!」
ニムが元気な声で笑う。
「狩人のことは知っているかな? 私たちは資源を集めて、街の暮らしを支えているんだ。ここでは買取も運搬も頼めるんだよ!」
カーデンが穏やかに言葉を継いだ。
「資源は大事だけど、命の方が優先だよ。荷物の大きさや扱い方は常に考える。持ち歩くより帰り道で回収するのも一つのやり方だ」
「暗に狩人に勧誘していないか」
シロンが半分冗談めかして挟むと、ニムが肩をすくめ、カーデンが笑った。卓に和やかな空気が広がる。
クロッドが席を立ち、短く告げた。
「日が暮れる前に、もう一度出る。支度を整えよう」
一行は片付けを済ませ、再び草原へ向かう。
開けた一角で一行は足を止めた。駐屯地の監視範囲内の安全な場所だ。
「型の稽古をする。基本を繰り返しなさい」
シロンの声に三人は剣を抜いた。
クロッドが前に立ち、整った型を示す。呼吸も歩幅も揺らがない動きだ。二人は食い入るように写し取る。
「7――8――9――」
アリオスは数を刻みながら正確に振り下ろした。
「剣はッ――振りなれてッ――ないんですッ――!」
ルークは大きく息を吐き、勢いのまま振り抜く。
「肩に頼るな。足から腰、腰から腕へ。呼吸でつなぎなさい」
シロンは淡々と指導し、素振りは続く。
「素振りはそのまま。いいか。護士の任務には、常世での異変察知も含まれる。幻体の知識は欠かせない、覚えてもらうぞ」
型を確認しながら説明を続ける。
「右払い――幻体は人に好戦的だ。幻体同士で捕食は見られるが、人は食べない」
クロッドに続き、二人も右払いへ移る。
「左払い――幻体には子どもの姿はある。だが、妊娠している個体は確認されていない」
アリオスは滑らかに、ルークは一拍遅れて続いた。
「突き――卵はある。孵化も成長も確認されていない。中身は市場の卵に近く……食べられる」
クロッドが苦笑しながら模範を示す。アリオスの剣先がわずかに落ち、地を向く。ルークは土を二度三度と突き、息が上がるたび小刻みに揺れた。
「休憩」
シロンの号令。二人は剣を落として大きく息を吐いた。
クロッドは静かに剣を鞘に納め、話を続ける。
「幻体が消滅することはさっき確認したけど、生命が絶たれると素材しか残らない。捕食は霧散する『何か』を摂取しているらしいね」
「卵や植物は霧散しない。生命ではないのか――この世界の法則として定義するしかない状況だね」
「…そうですね」シロンが続ける。
「魔技は活力を利用する技術だが、幻体は活力を持っていない」
「魔活網も活力を使う。だが常世の木は活力を持たないから、網の整備もできない」
「常世には“生命”が存在していない。幻体は残る素材が本体――そう考える者もいる。」
「では、常世は……死後の世界なんですか」
ルークの問いに、クロッドが穏やかに返す。
「うん、活力を生命とみなすならそうかもしれない。でも活力はあくまで活動の源にすぎない。量は人それぞれで、計測できなくても身体活動が正常な人もいる」
「はい。誤った想定は危機を呼びます。変化を見逃さない。常に最新情報を身につける。これを厳守しなさい」
シロンの声音は静かに厳しかった。
「了解です」
アリオスが姿勢を正して応じる。
「さあ、休憩は終わり。今から採取の訓練に移ります」
シロンが号令をかける。二人は剣を納めて隊列を組み直し、実地授業を続けた。
西の空が色を変え、影も長く伸びていく。
「駐屯地へ戻ろう」
クロッドが短く告げ、明かりの灯る駐屯地へ向かった。
駐屯地に戻ると、幕の内外に明かりがともり始めていた。昼間よりも人が増え、護士と狩人の声が交わる。いっぽう、出入口脇の運搬機は減り、運び出しに出払っているらしい。
「就寝用の天幕を借りてきた。設営にかかる」
シロンの一言で手分けが始まる。アリオスは支柱と縄、ルークは杭打ちを受け持ち、ほどなく天幕が整った。
夕食を済ませ、湯で汗を流す。外へ出ると夜気が頬を撫で、幕の隙間から温かな灯がこぼれる。木卓ではクロッドとシロンが休んでおり、アリオスとルークが合流した。
「今日はお疲れさま」
クロッドが穏やかに言う。
「まだまだ覚えることも、身につけることも多い。だが明日の午後は帰路につく」
シロンが落ち着いた声で続けた。
「はい」
アリオスとルークが揃って返す。
そのとき、空の端で薄い光がほどけ、帯が幾筋にも枝分かれして天頂へ昇る。色は淡いのに、視線を離せない。
「……な、なんですか、あれ」
ルークが身を乗り出す。
「きれい……いや、不気味さを感じる」
アリオスの声が低く揺れた。
「予定通りだ」
クロッドが皆の気持ちを落ち着かせるように告げると、夜気がひと呼吸冷たくなり、幕の影が揺れる。
「この極光が出現しておよそ二十四時間後に門が閉じる。内部は再構成され、巻き込まれれば基本的に消滅だ」
シロンが継ぐ。
「活力で物を纏えば保持できる、と語る生存者もいたが、調査は進んでいない」
「地形も門の位置も変わる。再構成の後に門へ戻れる見込みは薄い」
クロッドが補足する。
「発生には周期がある。ただ、常世への干渉度合いで誤差も出る。油断は禁物だ」
言葉が落ち着くと、二人は無意識に息を潜める。アリオスは膝の上で指を揃え、爪先に力が入る。ルークは湯飲みを握る手に汗をにじませ、視線だけで光の帯を追う。
「安心しなさい。発生から二十四時間以内に出れば問題は起きない。管理は護士が担っている」
シロンが普段通りに説明をし、お茶で一息つく。アリオスとルークも続いて一口含み、落ち着きを取り戻した。
そこへ、昼間と変わらず元気な声が飛んできた。
「クロッド殿下ご一行様、お寛ぎいただけていますか?」
ニムの明るい声に、アリオスとルークは元気を取り戻す。
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