第12話 師弟→姉弟→そして……

 戦場での出来事がすべて片付き、私とヴァレフ様は屋敷へと戻ってきました。

 結果としては十分以上の成果。私の胸の内はホクホクと暖かく、ようやく一息つける思いでした。


 ところが正面の椅子に腰かけるヴァレフ様の表情は冴えません。むしろどこか納得のいかない顔つきでした。


「……師匠。さっきのアレはなんだ?」


 静かな口調で問いかけてきたヴァレフ様に、私は首を傾げました。


「はて。アレ、とは?」

「とぼけても無駄だ。皇帝陛下への数々の無礼、そして決闘……すべて、師匠の計画だったのだろう?」


 私は目を細め、くすりと笑います。


「おや、お気づきになられていたのですね」

「当然だ。賢い師匠なら、軍への登用などという無理筋が通らぬことくらい分かっていたはず。そのうえであのような発言をするからには裏があるに決まっている。それに雷だって見た目は派手だったが、威力は手加減されていた……気づかぬ方がおかしい」


 なるほど、本当にすべてお見通しでいらしたのですね。さすがはヴァレフ様。


「……まあ、最初は本気でトチ狂ったのかと一瞬焦ったが」

「ちょっと」


 私がムッとした表情を向けると、ヴァレフ様は口元を緩めて笑います。


「はは、冗談だ。ちゃんと最初から全部わかっていたとも」


 ……果たして本当でしょうかね? ならいいのですけど。


 ただ、そうしてお互い軽口を交わしていると、ふいにヴァレフ様が少し俯きつつ言いました。


「私のため……か?」


 ふむ、やはりそれもバレてますか。まあ演技と気づいた以上、その答えにたどり着くのは当然と言えるでしょう。


「ええ、その通りです」


 私は観念したように頷きました。


「いくらドラヴォス公爵らに地位を奪われぬためとはいえ、謁見の場での振る舞いは我ながらずいぶん無茶をしましたからね。そのせいで陛下の私への心証は決して良くなかったでしょう。先々にしこりを残さないためにも、一度くらい私がやり込められる姿をお見せしておかねば」


 私個人が恨まれるのは構いませんが、それが広がってヴァルケスト家全体にまで波及するのは困りますから。陛下もヴァレフ様も若く、それゆえにこの先も長いお付き合いになっていくであろう間柄ですし。


 そう、だからこその最後の悪役っぷり。どうせ凹ますなら印象を下げるだけ下げておいてからの方が効果はてき面ですから。

 内心はもちろん複雑な心境でしたが、これもヴァルケスト家のためと思って私も心を鬼にして悪に徹しさせていただきましたよ。


「その割にはノリノリだったようにも見えたが……」

「ほほほ」


 あらあらヴァレフ様ったら。いったい何を仰いますやら。

 それでは私が生来の悪女であるかのようじゃありませんか。


 とまあ、こうして計画された私の断罪。それを行うのはもちろん、ヴァレフ様でなければなりません。


 同じヴァルケスト家の人間であれば、陛下の留飲を下げるだけでなく、同時に家内の規律や陛下への忠誠心もアピールできますから。これがもし関係ない第三者の手によって断じられていれば、陛下はその者を救世主として重用してしまうかも。


 決闘についても同じ理屈です。


 もはやすっかり正真正銘の悪名となってしまった私の異名――『雷神』。

 その私を真っ向から捻じ伏せたとなれば、世間は「あの『雷神』に勝った男」としてヴァレフ様を評価するでしょう。ともすれば伝説のように語られ、未熟な若者などという印象は完全に払拭されます。


 もともと今回の騒動は、少なからず周囲がヴァレフ様を侮っていたことに端を発していますからね。でも、こうすれば誰ももうダリオン様の後継としてヴァレフ様を軽んじる人間は現れないはず。


「つまり要約すると、私がひとり悪役となるだけで、陛下の信頼も買えるしヴァレフ様の実力も一人前と認めてもらえて一石二鳥……というわけです」


 そう結ぶと、ヴァレフ様は腕を組んで唸りました。

 理解はするが、納得はしかねるといった微妙な表情です。


「……私が動かない、という可能性は考えなかったのか?」

「そこはもちろん信じておりましたから」


 私がニコッと即答すると、ヴァレフ様が目を見開きました。そしてプイッと照れくさそうに顔を背けます。

 ふふ、なんて可愛い反応なんでしょう。こうなると少し私の中の悪戯心が顔を覗かせてしまいます。


「もっとも、そのときはそのときで本当に軍の総司令となって、帝国をさらなる強国へ導くという道もありましたけどね」

「やめてくれ。師匠なら実際にやれそうだから冗談に聞こえん……」


 ヴァレフ様は苦笑を浮かべ、私もつられて小さく笑いました。戦場から戻ったばかりの屋敷に、束の間の穏やかな空気が流れます。


 と、そのときでした。


「ヴァレフ様! セレイナ様!!」


 バンッと激しく開け放たれた部屋の扉。

 慌ただしく駆け込んできた侍女が顔を上げ、声を弾ませます。


「ご、ご報告です! 旦那様が……ダリオン様が目をお覚ましになられました!」



 ***



「ダリオン様!」「父上!」


 報告を受けてすぐ、私はすぐにヴァレフ様と急ぎ足で廊下を駆け抜けました。胸が高鳴り、呼吸が乱れる。半ば信じられない思いで寝室の扉を押し開けます。


「おお、よく来たな二人とも」


 そこには、ベッドから上体を起こしたダリオン様のお姿がありました。頬はやつれながらも、いつもの穏やかな笑みです。

 隣には看病を続けてこられたエルリーゼ様もいらっしゃり、こちらも落ち着いた笑みを浮かべて夫の肩に手を添えております。

 私はその光景に心より安堵しました。


「……本当に、目を……」


 思わず声が震えます。ヴァレフ様も同じく、信じられぬものを見たように瞳を見開いておられます。


「いつ、お目覚めになられたのですか? つい先ほど……?」


 私が問うと、エルリーゼ様は首を横に振られました。


「いいえ。昨晩にはすでに……ただ、あなた方は戦の最中でお忙しかったから、伝えるのを控えてしまったの。ごめんなさいね」

「とんでもございません。無事に回復してくださっただけで……」


 声が掠れ、涙が頬を伝いました。もともと奇跡でも起きなければ目を覚ますことはないと医師から告げられていたのです。ヴァレフ様も力強く頷かれました。

「ああ……本当に。よくぞお戻りくださった、父上」


 ダリオン様は軽く肩をすくめ、ゆっくりとお言葉を返されます。


「ふっ。ようやくお前が頼もしくなってきて、私もついに忙しい身から解放され隠居できるかと思っていたところだ。もう少しエルリーゼと余生を楽しまずしてどうする」


 場が和み、皆の胸に温かな光が差しました。


 やがてエルリーゼ様が病状を説明してくれました。

 なんでも主治医の話では腫瘍には良性と悪性があるらしく、ダリオン様のものは良性だったのではないか、とのこと。そしてもしそうならこれから快方に向かい、順調に行けば再び立って歩くことも可能だろうと。


 ベッドの反対側に並んで腰かけ話を聞いていた私とヴァレフ様も、その話を聞き心から喜びました。


「眠っていた間のことは侍従たちから聞いた。二人には迷惑をかけたな。だがよくぞ家を守ってくれた。ありがとう」


 私とヴァレフ様を順に見つめつつ、ダリオン様が仰いました。

 そして私に視線を留め、深く言葉を紡がれます。


「特にセレイナよ。そなたは本当によく頑張ってくれた。君をこの家に迎えてよかったと心の底から思っている。出会わせてくれた神にも感謝せねばなるまい」

「そんなこと……」


 胸が熱くなり、私は頭を垂れました。

 なんともったいないお言葉でしょう。ここまでのことがすべて報われた気分でしたよ。


 振り返ればここへ来たのは、ダリオン様が声をかけてくれたのがはじまりでした。最初は戸惑いの方が大きかったですが、今ではとても感謝しています。

 ロズバーン家での生活は不満とは言いませんでしたが、肩身が狭かったのは事実です。何度も言いますが、魔法を好き好んで使う女性なんて変人扱いですからね。戦場でも敵はおろか、味方からの視線でさえ頼もしさの中にもやや含んだものを感じていました。


 ですが、ダリオン様はそんな私を偏見の目で見ず、それどころか能力を見込んで力を発揮する機会をくださいました。

 エルリーゼ様もあれこれ何か言うこともなく、私を温かく見守ってくれました。

 他にもオルネッタをはじめとする従者の皆さんも優しかった。


 思えば私が立ち上がったのは、彼らが住むこの屋敷や領地を守りたいという一心でした。

 それをこうして無事に守りきれて、さらには労いの言葉までかけていただけて……。私の心はとても満ち足りた気持ちでいっぱいになりました。


 ……けれど、その次の一言がすべてを変えます。


「しかしだ……。どのような経緯であれ、やはり皇帝陛下への無礼は決して許されぬ。よってセレイナ、そなたを我がヴァルケスト家より追放する」

「そんなっ!」


 ヴァレフ様がガバッと立ち上がられました。


「ち、父上! いったい何を仰るのですか!? 師匠は私のために仕方なく……!」


 私は静かに手を上げて彼を制しました。


「……すべて覚悟の上です。短い間でしたが、大変お世話になりました」


 そう頭を下げる私の胸には、不思議と平穏がありました。

 もともと謁見に臨む前からこうなることは予想していたこと。驚きもなく、ただ静かに受け入れるのみでした。


「師匠……」


 呆然と呟きつつ、力が抜けたように椅子に腰を落とすヴァレフ様。

 続けてダリオン様の視線はそちらに移ります。


「そしてヴァレフよ。お前にも話がある」

「……なんでしょう?」


 ヴァレフ様が不服そうに眉を寄せられます。何か別のことを言いたげでありつつも、いったんは飲み込んだような様子でした。

 気を取り直すように姿勢を正したところで、ダリオン様は穏やかに告げられました。


「これからのことだがな。エルリーゼとも話したが、私はこのまま隠居することにした。よって、我がヴァルケスト家の家督は正式にお前へ譲ろう」


 驚きよりも納得が先に立ちました。いくら奇跡的に目覚められたとはいえ、帝都での激務を再び担うのは無理がある。むしろ自然な決断と言えるでしょう。


 けれど本来なら父から子への喜ばしい継承のはずが、ヴァレフ様の表情は晴れません。重責の重みに気圧されているのか、それとも……。


「なに、そう心配する必要はない。今のお前なら大丈夫だ」

「しかしそう言われても、急に私一人でなんて……」


 励ます父の声に、ヴァレフ様は目を伏せて呟かれました。


 ただそのときでした。ダリオン様が思いもよらぬことを言いました。


「一人? はは、何を言っておる。お前にはすでに頼もしい“伴侶”がいるではないか。せっかく彼女も晴れて自由の身になったのだ。あとはお前の好きにするといい」

「……え?」


 ポカンとした表情で目を瞬かせるヴァレフ様。

 けれど一拍置いた後、すぐに言葉の意味に気づかれたのか、頬を真っ赤に染め上げました。


「なっ……!///」

「ハッハッハ! まさか気づかれていないとでも思っていたのか? まったく、これでも私はお前の父親だぞ」


 病人とは思えないほど豪快に笑うダリオン様に、ヴァレフ様がぐぬぬ……と唇を噛みつつ視線を逸らします。

 その姿にさらに笑みをこぼすダリオン様。隣ではエルリーゼ様も口元を押さえて微笑んでおられます。


 ですがそんな状況の中で、私だけはただ首を傾げるばかりでした。


 え、伴侶? いったい誰のこと? というかいつの間に?


 私の知る限り、ヴァレフ様にお付き合いしている女性がいた様子はありませんでした。

 私が屋敷に来てからは毎日稽古でしたし、それ以降もダリオン様が倒れられたり戦の準備があったりなどで怒涛の日々でしたから。その状況で出会いなど……。


 いずれにせよ、私にはさっぱり見当がつきません。

 私はなんだか一人だけ蚊帳の外に置かれた気分とともに、なぜだかほんのちょっとだけ胸の奥が痛みました。


「さて、少々笑いすぎたな。私は少し休もう。というわけで、後は若い二人でよろしく頼む」


 ひとしきり笑い終わると、おもむろにダリオン様はそう言って私たちに退室を促しました。


「がんばれよ、我が息子よ」


 去り際、ダリオン様がヴァレフ様の肩にポンと手を置いて言いました。

 しかしヴァレフ様は何も答えず、代わりに部屋を出ながら少し恨めしそうに小声で呟きました。


「……まったく。父上め」



 ***



 部屋を後にした私たちは、そのまま足の向くまま中庭へと出ました。やることもなく、ただ風に当たりたかったのかもしれません。


 前を歩くヴァレフ様の歩みは、心なしか普段よりも速いように見えました。けれど、それはどこかへ急いでいるというよりも、なんとなく何かに突き動かされるように自然と足早になっている――そんな印象でした。


 その背に声をかけます。


「それにしても、先ほどは驚きました。まさかヴァレフ様に結婚相手がいらっしゃるなんて」


 まあでも、考えてみれば別におかしな話でもありません。


 なにせこれほどの容姿と才覚ですからね。むしろこれまで縁がなかった方が不思議なくらい。

 もともと素行の悪さでご自身から女性を遠ざけていた節がございましたが、今はすっかり改善されて誰もが認める紳士ぶり。その人気は社交界での活躍でも証明されています。


 しかしそんな私の考えとは裏腹に、ヴァレフ様は足を止めると深く息を吐かれました。


「……やれやれ。鈍い人だ」

「?」


 呆れを含んだ声音。振り返ったヴァレフ様は、訥々と語り始めました。


「父が倒れてから屋敷を守る日々の中で、いつも隣にいてくれたのは師匠だった。苦しい時も、不安に押し潰されそうな時も、その声と背中に何度救われたかわからない」


 低く、けれど温かい呟き。


「……いや、思えば出会った時から私はすでに惹かれていたのかもしれない。傲慢で未熟な自分を叱り、導き、決して見捨てなかった。気づけば、その眼差しを追いかけていた」


 息を呑みました。いったい何を仰るのか。けれど、どういうわけか私の喉は声を発することを拒みます。


「師匠」

「は、はい……」


 呼ばれた瞬間、胸の奥が跳ねました。

 ヴァレフ様は意を決したように顔を上げ、蒼い瞳が真っすぐにこちらを見つめます。


 そして――。


「あなたが好きだ。これからも私と共に歩んでほしい」


 その言葉は静寂に溶け、けれど私の心を大きく揺さぶりました。


「わ、私は……」


 どう答えるべきなのか。


 ずっと師として見守ってきたはずの弟子からの、まさかの告白。

 動揺で声が上ずります。胸は早鐘を打ち、頬は赤く、呼吸さえ浅くなっていく。


 次の瞬間、強い腕が私を包み込みました。ヴァレフ様がためらいなく抱きしめてきたのです。

 肩越しに伝わる体温と鼓動。そしてさらに、私の耳元に熱い囁きが落とされました。


「愛している」


 その一言で、すべての迷いが溶けていきました。

 視界が涙で滲みます。考えるまでもありません。きっとこの胸の高鳴りこそが、私の答えなのでしょう。


「……はい。私もです」


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