第15話

廃校となった小学校の裏手には、苔に覆われた朽ちかけの門が横たわるように立っていた。木製の門柱には、風雨に浸食された古びた標語がかすかに残り、文字はほとんど判読できない。その傍らで絡みついた蔦が、まるで誰かを拒むように揺れている。

門を抜けると、草に覆われた土の道が緩やかに丘へと続いている。けれどその道は、かつて通学路だったとは思えぬほど荒れ果てていた。折れた石段、崩れかけた手すり、枯れ葉とともに積もる獣の骨。一歩踏み込むたびに、足元の気配が不自然に沈む。

あたりは静かすぎる。鳥の鳴き声もなく、風の音すら枝に吸われるように消えていく。道端にぽつんと立つ祠は屋根が崩れ、扉が外れかけている。その中には、風化した白布で包まれた何かが見える。誰も口にはしないが、其処へ向かっていた理人と陽希と水樹は一瞬、何かの視線を感じて振り返った。そこには何もいない。ただ、日が少し傾いただけだった。

そして丘の頂に現れるユリノキ。まるで空と語らう神木のようだ。幹は灰褐色で、縦に深く裂けた樹皮が時の流れを刻むように静かに呼吸している。高さは三〇メートルを超え、枝は四方に広がりながらも、どこか秩序を保った美しい樹形を描いていた。

葉は軍配のような形をしており、先端が切り取られたような独特の輪郭を持つ。枝先に黄緑色の花が見える。中心にはオレンジ色の斑が浮かんでいるのが幾らかうかがえるが、上向きに咲くため、地上からはその神秘的な姿を完全に捉えることが難しい。まるで、選ばれた者にだけ花の美しさを見せるかのように。

風が吹くと、葉が光を受けてきらめき、まるで空の鏡のように揺れる。蜜を多く分泌する花は、蜂たちにとっても特別な場所であり、甘い香りがほのかに漂う。

その根元には、誰も近寄らない理由がある。静寂の中に漂う神々しさ。それは単なる植物の威厳ではなく、何かを守り、何かを封じているような気配だった。ユリノキは、ただの樹ではない。記憶を抱き、時を見守る存在として其処にあるかのようだ。

誰も言葉を発さない。それは、目に映ったユリノキの神々しさが美しさではなく、「触れてはならぬもの」として存在していたからだ。

「嗚呼、此処だったんですね。私の求めていたものが眠っている場所は」

 背面から声がして、水樹たち三人の探偵は一斉に振り返る。

 鷹見隆道だった。

***

隆道は、水樹たちの一歩後ろから、眩しそうな、ひたむきな眼差しをユリノキに向けていた。

水樹はその顔を、同じく真摯な目で見て、約一分の沈黙の後、口を開いた。

「――鷹見教授。貴方が探していらしたヴェルミル文明と言うのは……」

 水樹の声に、隆道は、スローモーションのように視線を、水樹たち三人の探偵の方へ向ける。

「はい。恐らくは貴方達の推理の通りです。ヴェルミル文明は、ヒヨリちゃんの……私の同級生で、大事な大事なヒヨリちゃんが生み出した、創作の物語でした」

隆道は、その場に立ち尽くし、拳を作りながら語り出した。

***

ヒヨリは、小学生だった隆道の目に、とても神秘的に見えていたという。

髪は艶のある漆黒で、後ろ髪だけ細い三つ編みが入り、紅藤色の糸で結ばれていた。その痩躯に纏っていたのは、大抵いつも、淡いベージュに、焦げ茶色の模様が散らされたロングワンピース。裾にはひっそりと銀糸で描かれた幾何学紋様。お気に入りの履物だった、古風な編み上げブーツはオフホワイトで、靴底だけ紅殻色のアクセントがあった。

この特徴的な服装から、川に落ちて亡くなっていた時も、直ぐにヒヨリがヒヨリだと、分かったのだと言う。

ヒヨリは、「驚かせごっこ」が大好きで、誰かをびっくりさせると、小さく口角を上げて微笑んで満足するところがあった。拾った花びらや虫の羽を分類し、「文明の印」としてノートに記録していた。「秘密だよ」と人差し指を唇の前に立てながら、隆道にはそのノートを見せてくれたのだと言う。

後に、それはヒヨリの祖母が保管していたらしい古地図で示された、「ヴェルミル文明」なるものの痕跡なのだ、と隆道は教わった。「ヴェルミル文明」には学校の図書館にも僅かながら資料があり、数々の財宝があるらしかった。

ヒヨリが亡くなる前、隆道はヒヨリから、小さく折りたたんだ手紙を受け取った。


たかみちくんへ

こんにちは。

このてがみを読んでくれたら、うれしいです。すこし長いけど、さいごまで読んでね。

きょう、文しゅうができました。みんなの作文、すてきだったね。わたしもがんばって書きました。

でもね、わたしの作文には、ちょっとだけ「ひみつ」がかくれているんです。

ほんとうは、たかみちくんにだけ、気づいてほしいことがあるの。

わたしが大すきな場所のこと。いい香りがして、すこしふしぎな場所。

そこにはね、わたしが見つけた「ヴェルミル文明のしるし」があるんだよ。世紀の大発見、その場所の名まえは、作文の中に、ちゃんと書いてあります。

たかみちくんが読んでくれたら、きっと気づいてくれると思って、こっそり入れました。

わたしは、たかみちくんのことがすきです。でも、それは作文には書いてないよ。

だから、このてがみにだけ、すこしだけ書いておきます。読んでくれてありがとう。

また、あの場所で会えたらいいな。

風がふいたら、わたしの気もちが、たかみちくんにとどきますように。

ヒヨリより


この数日後、ヒヨリは川に転落して亡くなった。其処に事件性はなく、完全な事故ではあったのだが。隆道の心には永遠に影を落とす出来事となり、隆道は延々と彼女の生み出した物語に耽溺して生を繋いだ。そして、考古学の道に進んだのだ。

***

隆道は今一度ユリノキの真下に立って、てっぺんを見上げた。その顔には、ユリノキの幹のような皺が刻まれている。

「内心は、考古学者になる前から、気付いていたんです。ヴェルミル文明なんてものは、ハナから存在しないってこと。小学校の図書館にあった資料だって、ヒヨリちゃんが作って、こっそり紛れ込ませたものだって」

「彼女が通っていた小学校にしか、ヴェルミル文明にまつわるものが存在しないなんて――よく考えればおかしい話ですよね」

水樹が、責めるでもなく落ち着いた声音で言い、隆道の背を優しく上から下へ、憑き物を落とすように撫でてやると、隆道も矢張り静かに頷いた。

「信じていたかった。ヴェルミル文明が実在すると。それだけが、ヒヨリちゃんがいたと言う事実を後押ししてくれる気がして」

「存在を証明するものなんかなくたって、ヒヨリさんは確かにいたんですよ。貴方の中にいる、それを信じて良いんですよ」

 水樹が更に穏やかに言うと、次第に隆道は声を震わせるようになった。

「余りに突然すぎて気持ちの整理がつかなかったんです。ヒヨリちゃんはもしかしたら、いなかったんじゃないかって。最近、御実家に人もいなくなって、余計に、時が経つにつれて、私が心の底から恋しかったヒヨリちゃんは……」

「ヒヨリさんは存在していました。私達も彼女のことを知った。そして、もう忘れたりはしません」

 水樹の声に、隆道は何度も何度も、首を縦に振った。そして、顔のしわを何倍も深くし、ぎゅっと自分を抱き締めて、こう声を振り絞る。

「ただ、見つけたかった気持ちは本当です。ヒヨリちゃんが隠した何か。彼女が私のためだけに作ったであろう『タイムカプセル』。私に見つけて欲しいと願っていたもの――」

その絶え入るように紡がれた言葉を遮るように、どすん、と重い音がした。流石にこの音には、隆道だけでなく、「探偵社アネモネ」の三人も肩を跳ねさせて、音の方向を振り返った。

健吾だ。

髪も服も乱れ、黒っぽい汚れのついた白衣を纏った健吾が、胸や肩を上下させている。地面に大きな袋が落ちていて、それが彼の手から落ちた音が響いたようだ。

「……どういうことだ……?」

健吾は、隆道とは恐らく異なる理由で、声を震わせながら近寄って来た。

「俺は! ヴェルミル文明に全てを捧げて来たんだよ! 学費だって、ない金かき集めて犯罪者にまでなってさぁ!」

鬼気迫りすぎる表情。後ずさりする隆道の襟首をつかむように、乱暴に手を伸ばす健吾は、その伸ばした手とは逆の手に、ダガーナイフを持っていた。

「どうしてくれるんだ、責任取れよ!」

陽希は猫のように華麗に飛び出した。

健吾も負けじと一歩踏み出す。白衣が風をはらみ、ナイフが斜めに閃く。陽希は、すかさず身をひねり、刃をかわすと同時に、右腕で健吾の手首を狙う。指先が触れた瞬間、白衣の袖が裂け、土の香りと汗の匂いが一気に立ちのぼる。

健吾は膝を突き出し、陽希の腹を狙うが、陽希は腰を落としてそれを受け流す。また、地面の湿った葉が舞い上がり、足元に絡みつく。陽希はその隙を突き、犯人の足を払う。健吾が倒れ、ナイフが地に落ちる。刃が石に当たり、乾いた音を立てる。

陽希はすかさずその刃を蹴り飛ばす。ナイフは草の中に沈み、金属の匂いが遠ざかる。続けざまに健吾の胸元に膝を押し当て、動きを封じる。白衣の布がくしゃりと潰れ、土と汗の混じった匂いが濃くなる。

頭上の木から、ひとひらの葉が落ちる。それは赤茶けた色で、空気の流れに乗ってゆっくりと舞い、陽希の肩に触れる頃には、すべてが静かになっていた。

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