第8話

翌日、古い木製のドアをくぐると、温かい琥珀色の照明が優しく迎えてくれる喫茶店「ひだまり」。壁にはセピア色の年代物のポスターと絵画が並び、アンティークの真鍮の時計が静かに時を刻む。窓際の席にはふんわりとしたクリーム色のクッションが置かれ、テーブルには季節の花が彩りを。カウンター越しには、白髪交じりの短髪のマスターが手際よくコーヒーを淹れる姿が見え、深い香りが店内に広がる。穏やかなジャズの音楽が流れ、心地よい時間がゆっくりと流れていた。

待ち合わせた優子が来る前に、優子に連絡して許可を取ってから、「探偵社アネモネ」の三人で珈琲を頼んだ。

「あの……水樹、私の気にすぎかもしれないのですが」

 水樹が珈琲を一口含んだところで、理人が右隣の席から声をかけて来た。

「神崎大学で、考古学部で皆さんとお話していた時、妙な視線を感じました」

「妙な視線?」

「ええ、今も」

 水樹は全く気付いていなかったので、小首を傾げ、声を潜めて聞き返す。陽希も巨大なBLTサンドにかじりつき、理人の顔を覗き込んだ。

理人は辺りを見回してから、口元に手をやり、しばし考えこんでから答える。

「視線を感じたのは、我々が優子さんと待ち合わせした瞬間でした。そう考えると……優子さんに特別な好意を抱いている方からの嫉妬かもしれません」

水樹と陽希は、ガクッと体を前に倒した。

「……それなら別に、構わないでしょう。簡単です。今回の依頼が解決すれば、誤解は解けますから」

「そうですね。お騒がせしました」

其処へ、優子がやって来た。

「遅くなってしまって申し訳ありません」

白いブラウスは、柔らかくもありながらきちんとした印象を与える。襟元は程よく開き、控えめなパールのネックレスが輝きを添えている。その上に羽織ったネイビーのカーディガンは、袖を少しだけ捲り、手首に見えるのはシルバーのスリムな腕時計。「探偵社アネモネ」の三人は、軽く腰を浮かせて、頭を下げた。

優子は先ず珈琲を頼み、それが届く前に鞄から資料を取り出した。

「私の両親と兄弟、私の小学校の時の資料です」

「ありがとうございます」

卒業アルバムや文集に目を通す。小学生たちの作文も、頭に叩き込んでいく。水樹は文章を読むのは得意だった。だが、特段、捜査の進展になりそうな資料は見当たらない。理人と陽希にも視線を送り、何かないか確認するが、二人同時に首を左右に振るだけだった。

諦めかけた時、ふと、学級通信が目に留まる。近年は、資源の保全の為か生徒たちに配布されていないのかもしれないが、当時はクラスの活動の様子を、時折担任教師がまとめてプリントとして配っていたのだ。

それぞれの学級で、その月に起きたイベントが、それらのプリントに、写真付きで紹介されている。校庭で雪だるまを作る雪だるま大会、春の遠足から、学習発表会など。

「行事が多くて、楽しそうな学校ですね」

 理人が穏やかに感想を述べると、優子はプリントを自分以外が見やすいように並べつつ、頷いた。

「神崎小学校では、卒業式の後、校庭の裏庭に、タイムカプセルを埋めるっていう行事もあるんです。遺跡の話が出たうえ、更に小学校自体が廃校になってしまったから、もう掘り起こす機会はないのかもしれませんが……」

「この写真は?」

水樹が指を指した先には、数人の子供が和気あいあいと何かの作業をしている写真があった。優子もそれを軽く覗き込んで、ああ、と声を出す。

「これは、父の写真ですね。神崎小学校では、三年生と四年生の時に、『先輩と遊ぶ会』という会が年一回開かれるので、その時の写真だと思います。それぞれの学年の時に、六年生が教室へ来てくれるんです」

「この子が持っているマグカップ、見たことありませんか」

理人も陽希も顔を寄せる。一人の男児の手に握られたマグカップ、其処には確かに、幼児が描いたような兎の絵がある。優子が、あっ、と声を上げた。

「これ、鷹見教授が持っていらっしゃるマグカップ?」

其処から全員がしばし無言になったことが、優子のつぶやきに対する同意であった。

「鷹見教授も、神崎小学校の出身者だった。なのに、あの時に会話に混ざって来なかったのは、僕としては少し違和感があります」

「俺たちが夢中になって話してたから入りにくかったんじゃない?」

「……なら、良いのですが」

「……優子さんは、麻理香さんが行方不明になったことについて、どう考えていらっしゃいますか?」

理人が、オーボエのような声を潜めて、優子に問う。優子は俯き、指を組んで小さな声で答えた。

「恐ろしいな、と思います。ただ……」

言い淀んだところで、優子のスマートフォンが鳴った。優子は申し訳なさそうに、眉と頭を下げて店の出入り口の付近へ一度出ていく。

残された「探偵社アネモネ」の三人は、目を見合わせて、優子が言い淀んだ先を考えた。水樹の脳内には、優子が、「麻理香の失踪について」何かを知っているのではないかという閃きが浮かんでいた。

珈琲をまた口に含んだら、ちょうどここで飲み終わってしまった。店員に声をかけ、もう一杯のコーヒーを注文。それが届いて、なお――優子が席に戻って来ない。「探偵社アネモネ」の三人で麻理香の件について話をし、流石にそれも尽きたほど待ったが、戻らない。胸騒ぎを覚えて、水樹が杖を持って立ち上がると、理人も陽希も腰を上げた。

店の出入り口に来て、水樹は茫然としてしまった。優子がいなくなっていたからだ。

辺りを見回している間に、陽希が、「俺、探して来る」と、飛び出して行った。理人も、「一人きりになるのは危険です」と叫んでついて行く。水樹は走れないので、店内に残り、先ず優子にメッセージを送信。支払いを済ませつつ店員に、さりげなく「優子を見なかったか」と質問した。

「嗚呼、同席されていた女性の方なら、先ほど、出て行かれましたよ。男性の方と一緒に」

「男性? どんな男性でしたか? 服装や、年齢、特徴があれば何でも良いです」

店員は困惑したように首を左右に振る。彼女のポニーテールが揺れた。

「い、いえ……青っぽい毛糸の帽子と、ベンチコート、マスクを着けていらしたので、体形も顔も良く分かりかねます。申し訳ございません」

其処へ、理人と陽希が走って戻って来た。水樹の安全も心配していたようだった。矢張り優子の姿は何処にもないということだった。念のために水樹はスマートフォンを確認したが、メッセージは既読にすらなっていなかった。

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