第10話『伝説のスベり出し』
『さあ、お待たせいたしました!間も無く、配信スタートです!』
玲子さんのアナウンスが、楽屋に設置されたスピーカーから響き渡る。
俺は、直前の大スベリで真っ赤になった顔のまま、サヤに手を引かれてステージへと走り出た。
心臓が、今にも口から飛び出しそうだ。
ステージの中央には、マイクが一本。
そして、その向こう側には、俺たちの様子を映し出すためのカメラが、黒い目を光らせている。
ステージの脇に置かれたモニターには、配信待機中の画面と、これから流れてくるであろうチャット欄が表示されていた。
『3、2、1…スタート!』
オープニングの軽快なBGMが流れ始める。
俺とサヤは、マイクの前に立った。
「はい、どうもー!《セカンドビート》のユーマと!」
「サヤでーす!イェーイ!」
サヤは、元気いっぱいにドラムスティックを掲げて叫ぶ。
俺は、まだ顔の熱が引かないまま、ぎこちなく挨拶を続けた。
その瞬間、モニターのチャット欄が、滝のような速さで動き出した。
『始まった!』
『本当に男の人だ!』
『うわ、マジで顔出ししてる…』
『声、低っ!好き!』
『てか、なんで顔赤いの?w』
『緊張してんのかな?かわいいw』
ダイレクトすぎる視聴者の反応に、俺はさらに動揺する。
落ち着け、俺。
お前は芸人だ。
このアウェイな空気、滑った時の静寂、何度も経験してきたじゃないか。
俺は一度、深呼吸をすると、気持ちを切り替えた。
「さあ、早速ですが、僕たち、何をやるかと言いますと…」
「ハンバーガー屋さんをやります!」
サヤが、俺のセリフを食い気味に叫んだ。
俺は、練習通り、呆れた顔でサヤの頭を軽くはたく。
「俺が言うところな!まあ、いいや。じゃあ、俺が店員やるから、サヤはお客さんやってくれ」
「うん!」
気を取り直し、練習してきた「ハンバーガーショップ」のネタを開始する。
俺がツッコミの店員役。
サヤがボケの客役だ。
「いらっしゃいませー!」
「あのー、すいませーん」
序盤は、完璧だった。
サヤの演技も、練習通りだ。
このまま、最後までいける。
そう思った、矢先だった。
「あのー、このお店、ドラムセットは置いてますか?」
練習には、一言もなかったセリフ。
サヤの、天真爛漫なアドリブが、静かに、しかし確実に台本を破壊し始めた。
「……は?」
一瞬、俺の頭は真っ白になった。
チャット欄が「ドラム?www」とざわめき始める。
どうする?
どう返すのが正解だ?
台本に戻そうとしても、もう遅い。
しかし、その絶体絶命の状況で、俺の身体の奥深くで、カチリとスイッチが入る音がした。
面白いじゃないか。
台本通りじゃない方が、燃える。
「ドラムセット!?ありませんよ!」
俺は、コントの店員として、全力でサヤにツッコんだ。
「うちはハンバーガーショップなんで!なんでハンバーガー買いに来てドラム探してるんですかお客さん!?」
「えー、でも叩きたい気分なんだもん」
「気分で来ないでください!他所でやってください!」
サヤは、その後も奇想天外なアドリブを連発した。
「じゃあ、このハンバーガー、スティックで食べてもいい?」
「ポテトの塩加減、スネアのチューニングくらいシビアにしてほしいな!」
「店長さん、ツーバス踏める?」
台本は、もう跡形もなく消し飛んだ。
だが、俺はもう慌てなかった。
彼女の繰り出す全てのボケを、ハンバーガーショップの迷惑な客というキャラクターの範疇で、片っ端からツッコミで捌いていく。
それは、もはやネタ合わせしたコントではなく、俺とサヤの、生の漫才だった。
その化学反応に、チャット欄は熱狂していた。
『男の人、めっちゃ困ってるのにすごいwww』
『頭の回転、速すぎない!?www』
『この滅茶苦茶な会話をまとめあげてる…何者なんだこの人…』
フロアでは、玲子さんが腹を抱えて大笑いし、美咲さんも口元を隠して肩を震わせている。
そして。
楽屋から出てきて、厳しい顔で腕を組んで監視していたはずの橘梓は、最初こそ無表情を貫いていたが、やがてその口元がひくひくと痙攣し始めた。
ぷるぷると震える彼女の身体。
必死に笑いを堪えようとしているのが、ステージの上からでも分かった。
そして、俺がサヤの「ポテトLサイズって、ライブのL?」という訳の分からないボケに、「どっちでもいいわ!」と全力でツッコんだ瞬間。
ぷはっ、と。
彼女が、吹き出す音がした。
一度決壊したダムは、もう止まらない。
橘さんは、必死に口元を両手で押さえるが、その身体は笑いを堪えきれず、ガクガクと震えている。
そしてついに、彼女はテーブルに突っ伏し、無音で震え始めた。
その姿は、俺にとって、最高のガソリンだった。
俺は、サヤの暴走を逆手に取り、見事なオチをつける。
「もういい!あんたには、俺が最高のハンバーガー(ビート)を刻んでやるよ!」
「え、叩いてくれるの!?」
「違うわ!」
最高の盛り上がりの中、俺たちの最初のネタは、終わった。
配信を終え、疲労困憊で楽屋に戻った俺とサヤは、モニターに残ったログを見て、言葉を失った。
画面を埋め尽くしていたのは、熱狂的な賞賛のコメントの嵐。
そして、俺たちが一度も見たことのない、きらびやかな「投げ銭」のアイコンが、ログの随所に輝いていた。
完璧な出来ではなかったかもしれない。
だけど、これは間違いなく、「成功」だった。
最高の形で、俺たちの産声は、この世界に届いたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます