第3話『はじめてのファン』

拍手が鳴りやまない。

たった五人だけの、けれど、今まで聞いたどんな拍手よりも温かい音が、俺の鼓膜を優しく揺らしていた。

俺はステージの上で、しばらくその音を噛みしめるように立ち尽くしていた。


「……すごかった!」


やがて、ステージを降りた俺に最初に駆け寄ってきたのは、ドラムを叩いていた元気な子だった。

彼女の瞳は、興奮でキラキラと輝いている。


「あんた、最高だよ!『芸人』って、あんなに面白いことするんだね!」

「いや、その…どうも」


俺が照れながら頭を掻くと、他のメンバーたちも次々に俺を取り囲んだ。


「面白かった…。言葉の選び方や間の取り方が、計算されてるのに自然だった」

「声が、すごく響く。聴いていて心地よかった」


落ち着いた雰囲気のギターの子と、クールなベースの子も、それぞれに感想を伝えてくれる。

そのどれもが、心の底からの言葉であることが伝わってきて、胸が熱くなった。


「はいはい、お前たち、ちょっと落ち着きな」


玲子さんが、パン、と手を叩いて場を仕切る。


「約束通り、質問には答えてやる。…その前に、まずはお互い自己紹介だろ?」

「あたしはさっきも言ったが、ここの店長の神崎玲子。で、こっちの無口なのが美咲」


玲子さんに紹介され、美咲さんがぺこりと小さく頭を下げる。

相変わらず、表情は読めない。


「あたしたちはガールズバンドやってるんだ!あたしがドラムの沙耶!」

「…ベースの真琴」

「ギターの玲奈です。よろしくお願いします」


沙耶さん、真琴さん、玲奈さん。

三者三様の自己紹介が終わると、それを待っていたかのように、質問の嵐が始まった。

火蓋を切ったのは、やはり沙耶さんだった。


「ねえねえ、ユーマくんって、好きな食べ物って何?」

「え、食べ物?」

「うん!男の子が何食べるのか、興味ある!」


予想の斜め上を行く質問に、俺は一瞬言葉に詰まる。

もっと、ネタの作り方とか、芸に関することを聞かれると思っていた。


「えーっと…生姜焼き、とか?」

「しょうがやき!渋い!あたしも好き!」

「ていうか、ユーマくん、手おっきくない!?見せて!」


沙耶さんが、俺の手を取って自分の手のひらと合わせる。

その遠慮のない距離感に、俺はどぎまぎしてしまう。


「ほんとだ、全然大きさが違う…」


玲奈さんも、興味深そうに俺の手を覗き込む。

真琴さんは、少し離れた場所から、腕を組んで俺の全身を観察していた。


「その服、どこで買ったの?こっちのブランドじゃないよね?」

「髪、黒いんだね。染めてないの?」

「ピアスとか、開けない主義?」


次から次へと飛んでくる質問は、お笑いとは全く関係のない、俺自身に関するものばかりだった。

まるで、未知の生物を観察するかのような、純粋な好奇心。


その状況にタジタジになっていると、いつの間にかすぐ隣にいた美咲さんが、静かにスマホを差し出してきた。

画面には、連絡先交換の画面が表示されている。


「…連絡先」

「えっ、あ、はい…」


無言の圧に負けて、俺が自分の番号を打ち込もうとした、その時だった。


「こらこら、お前たち。獲物を前にした獣みたいな目をしなさんな」


玲子さんが、呆れたように笑って間に入ってくれた。

だが、その彼女の目も、爛々と輝いていて少しも笑っていない。


(すげぇ…俺に、ファンができたみたいだ…!)


俺はその状況を、不快だとは全く感じなかった。

むしろ、胸の中に温かいものが込み上げてくるのを感じていた。

オーディション会場で向けられる、値踏みするような冷たい視線とは違う。

ここにあるのは、純粋な好意と興味だ。

俺の芸を見て、笑ってくれて、そして、俺という人間に興味を持ってくれている。

芸人として、これほど嬉しいことはなかった。


「で、あんたは結局、どこから来たんだい?」


ひとしきり質問攻めが落ち着いたところで、玲子さんが核心を突いてきた。

その問いに、俺は答えに詰まる。


「それが…自分でも、よく分からないんです」

「は?」

「気づいたら、この街の路地裏にいて…その前のことが、なんだか曖昧で…」


そうだ、俺はオーディションに落ちて、雨の中を歩いて、それで…。

トラックに、撥ねられた…?

頭の中に霞がかかったように、記憶がハッキリしない。

どうやってここに来たのか。どうすれば帰れるのか。

何一つ、分からなかった。


俺の言葉に、さっきまで騒がしかった5人が、シンと静まり返る。

全員が、心配そうな顔で顔を見合わせていた。


「…そうかい」


玲子さんは、俺の目をじっと見つめると、何かを考えるように顎に手を当てた。

そして、やがてこう言った。


「じゃあ、行く当てがないなら、今夜はウチに泊まっていくといい。奥に使ってない部屋があるからさ」

「え、でも…」

「いいってことよ。なあ?」


玲子さんがそう言うと、他の4人も一斉に頷いた。


「それがいいよ!ね!」

「うん。その方が、安心」

「…別に、構わない」

「……(こくり)」


その申し出を、断る理由はなかった。

俺は、彼女たちの優しさに、素直に甘えることにした。



深夜。

案内された奥の部屋は、元は倉庫だったのか、少し埃っぽかったが、ちゃんとベッドも毛布も用意されていた。

慣れない場所のはずなのに、俺は心地よい疲労感に包まれて、すぐに眠りに落ちていった。


その頃、一人バーカウンターに残った玲子が、スマホを手にしていることを、俺はまだ知らない。

コール音が数回鳴った後、相手が出たようだった。

彼女の口調は、先ほどまでの気さくなものとは全く違う、事務的で固いものに変わっていた。


「もしもし、警察ですか?男性保護課をお願いします」

「…はい、私、《Second Beat》というライブハウスの店長をしております、神崎と申します」

「本日、身元不明の男性一名を保護しましたので、ご報告します」


玲子は、カウンターのグラスを指でなぞりながら、淡々と続けた。


「……はい。はい、承知いたしました。では、明日の朝9時に、担当の方がこちらへ?……はい。お待ちしております」


電話を切った玲子は、一人静かにため息をつく。

その表情には、面白いオモチャを手に入れた子供のような興奮と、とんでもない厄介事を抱え込んでしまった大人の憂いが、複雑に混じり合っていた。

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