第19話

 俺は時間が許すかぎりかなたとの時間を過ごし、付き合い始めて約一週間とは言えないほどたくさんの思い出を作った。


 最初紙に書きだしたものは、とっくにすべてを体験ずみである。


 ……だが。


 かなたは信じられないような奇跡を起こし続け、八月二日までずっと変わらず元気でいたが、強力な呪いはついに彼女が起こす奇跡を打ち消すに至った。


 八月三日の早朝、妙な胸騒ぎがして外がまだ薄暗いうちに目が覚めると、枕元のスマホが鳴った。


 決心して電話に出ると、それはK病室の小山先生だったので俺は心のどこかで何かを覚悟する。


 小山先生が俺に伝えたことはやはりと言うべきか。


 かなたの容体が急変したということだった。


 先生は、これから彼女にあと何日で運命の日が訪れるのかを聞き、しかるべき最後の処置に入るので、できれば今から来てくれないか。


 と静かに付け加えた。


 そんなもの、答えはもとより決まっている。


「わかりました、すぐ病院へ伺います!」


 俺は母に事情を話し、夏の早朝の静かな街へ飛び出した。


 身だしなみもろくにしていないが、今日ばかりはそんなこと気にならない。


 しかし、十五分ほど走ったところで俺はすっかり息が上がってしまった。


 いかに運動部だとはいえ、寝起きすぐの全力疾走はさすがにきつい。


「ハア、ハア……。くそ、こんな時に――!」


 俺は額に滲む汗を手の甲でぬぐい、すでに悲鳴を上げかけている両足を叱咤して走り出そうとした。


 そのとき、俺の横に見覚えのある一台の車がハザードを出して停車する。


 それは東家の自家用車だった。まさかと思いナンバーを確認したから間違いない。


 停車してまもなく、助手席の窓が開くと俺はそこに座っていた人物を確認する。


「――みらい!」


「やっぱりはるかか! 病院に走ってんだろ、ほら後ろ乗れ」


 みらいが車の後ろを指し示すと同時、車両なかほどのオートスライドドアが開く。


「すまん、助かる。――お願いします」


 後部座席に滑り込み、ドアを引いてみらいのお母さんに挨拶すると、彼女はこくりとうなずき、すぐさま発車準備を完了させた。


「ふたりとも、ここはこの私に任せて。シートベルトはオッケーね。じゃあかっ飛ばすわよ!」


 みらいのお母さんは直後、宣言通り早朝の交通量の少なさに物を言わせミニバンとは思えない飛ばし方をする。


「お、おい母ちゃん! いくらなんでもやりすぎだろ! 警官に見られたら一発アウトだっての!」


 助手席のみらいが叫んだが、彼の母ちゃんは昔から性格がある意味ぶっ飛んでいる。


「大丈夫大丈夫! こんな早朝だもの、お巡りさんも寝てるわよ! それえ!」


「うおおっ! それは峠に行ってスポーツカーでやる動きだろおおおお!」


 みらいの絶叫とともに俺も普通なら一般公道で経験しないGに抗うはめになったが、そのおかげで病院まで一瞬だった。


「ほら二人とも、早く行ってあげなさい。……今回の進展があったら、その時はいつ来てもおかしくないんでしょ?」


「すまん、ありがとう母ちゃん!」


「ありがとうございます!」


 俺とみらいは病院の入り口にダッシュし、待っていてくれた看護師さんに案内されてかなたの部屋へ向かった。


「「かなた、大丈夫か!」」


 珍しく俺はみらいとハモって異口同音に叫び、病室に駆け込んだ。


「あ、ふたりとも来たわね」


「「れな、もう来てたのか」」


「ふたりとも、よくハモるわね。……ほら、私の家がここから一番近いでしょ」


 そう答えるれなが一番乗りな理由に納得しながら、俺とみらいは真っ先に来ていた彼女と合流した。


 そしてベッドに横たわるかなたを見て、俺たちは思わず絶句する。


「――かなた!」


「おい、これは……」


 そこにいたのは、全身汗だくで見るからに呼吸も苦しそうなかなたの姿だった。


 昨日までは恐ろしく元気だったのに、ここまで急変するものなのか……。


「かなた、大丈夫か! ……そんなに、苦しいのか……」


 みらいに促されて俺が声をかけると、かなたは熱で真っ赤になった顔をこちらに向け、苦しそうな息遣いでゆっくりと目を開ける。


「ハア、ハア……はるか、それにみらいも――。来てくれたんだあ。ごめんね、こんな時間に来てもらって」


「なに言ってんだ、そんなことどうでも良いんだよ! お前が誰よりも大変なんだから、こういうときぐらい、誰よりも自分を心配してやってくれ」


「……そうよ、はるかの言うとおりなんだからね」


 れなが横から心配そうにそう言い、みらいもうなずいて見せるとかなたは静かにうなずいた。


 呪いの進行を緩和させるには、本人が最も自然体で安心できる環境を作ることが何より大切だという。


 そこでかなたと小山先生、一さんと宗次郎さんの四人が相談した結果、俺、みらい、れなの三人がそばに居ることだと結論が出され、俺たちは集まったのだ。


 北野家の歴史を見ても、最後は唯一無二の親友や特別な幼なじみ、恋人と最後のひと時を過ごすがほとんどだという。


 少数でかつ静かな環境で他愛もない会話をかわし、いつも通りの生活をする。


 結局これが何より穏やかな最期であり、多くの人がそれを望んだらしい。


 かなたやはじめさんたちも、歴史に倣って今回の決断をしたのだ。


「……かなた。最後に俺たちを選んでくれて、ありがとうな」


 俺が静かに言うと、みらいとれなも少し寂し気な表情でうなずいた。


 そこへ小山先生が訪れ、静かに告げる。


「皆さん、お揃いですね。……それでは、これからの流れを説明させていただきます」


 先生いわくかなたに宿る呪印は、すでに残り一文字を残して赤く染まっているという。


 この状態になると、死期が限りなく近づく影響で今のかなたのような体調の異変が現れるらしい。


「……この状態になりますと、死期がいつ訪れてもおかしくないと同時に、呪いを身に受けているご本人はその日が感覚で分かるのです」


「本当なの? かなた」


 れなが驚いた声で聞くと、かなたはよわよわしく首を縦に振った。


「その日の三日前までは、これまで通り皆さん以外の方にもお見舞いに来ていただき、最後のお別れをきっちりと済ませていただきます」


 残り二日になるとこの病室で特別な儀式を行い、呪いをかけた稲荷様やご先祖様に祈りを捧げるそうだ。


 早く呪いによる負の連鎖が断ち切れるよう、そして……二日後に亡くなってしまう少女の魂が無事に浄化され、天国に行けるようにと……。


 例外もあるが『北稲荷の呪い』は大体の場合、定められた日に変わった瞬間の零時ちょうどに発動するらしい。


 そこで前日の午前中にいわゆる最後の晩餐的な宴が行われ、昼を過ぎたら最後の入浴を済ませる。


 その後は邪気を祓う特別な巫女服に着替え、最後の儀式を行うという。


 これは当人の魂を極限まで清めることで、呪いが発動して亡くなったとき、万が一にも悪霊と化さないよう万全を期すための大切な儀式らしい。


 そして残された時間は家族や大切な人と穏やかに過ごし、日が変わるころ本人にとって大切な人々に見守られながら静かに永眠するそうだ。


 こんな手順を聞くと、いよいよその瞬間が迫ってきていることを感じさせられる。


 とうに覚悟は決めていたはずなのに、突然多くの激情が胸に込み上げてきた。


 それはみんな同じようで、れなは泣きながらかなたのもとへ駆け、親友を抱きしめる。


「――ッ! かなた、本当に……本当に死んじゃうの?」


「……うん、ごめんね。れなとはこれまでで一番の親友になれたのに、一年しか一緒にいられなかった……。――私、れなともっといろんなところ行きたかったよお」


「ぐすんッ! かなたあ!」


 ふたりの少女が涙を交わしながら思いのたけをぶつけあう光景を、俺たちはただ静かに見守ってやることしかできない。


「……はるか、悔しいよな」


「――ああ、本当にな」


 久しく聞いたみらいの重い口調。


 彼の言うとおり、いくら覚悟しても悔しさは胸に残った。


 ふたりが落ち着くと、先生はかなたに向き合って静かに問う。


「かなたちゃん。それじゃあ、教えてくれるかな。……君の、旅立ちの日を」


「はい、私の誕生日の一日後。――八月九日です」


「――え?」


 かなたの答えになぜか驚いたような反応を見せるれなだが、一瞬かなたと視線を交わし、その後は何ごともなかったかのようにふるまう。


「…………」


 俺は彼女たちの様子が気になったが、その後も連絡事項が続けて伝えられ、結局れなに真意を訊くタイミングを逃してしまった。


 俺たちはこの日もできる限りかなたと一緒に過ごし、正午過ぎに解散してそれぞれの帰路につく。


 病院まで送ってくれたみらいのお母さんはもちろんもういないので、俺はみらいと並んで夏の道を歩いた。


「でも、とりあえず今は良かったな――いや、そう言うのも妙な話だが。……確かにこれでかなたの命日がはっきりしちまったわけだが、今日や明日じゃなかったんだ」


 みらいが複雑な表情で言う。


「…………まあ、それもそうだな。九日まで六日はある。それまで俺はお前との約束を遂行しよう」


 俺がそう答えると、みらいは少しなにか考えてふいに足を止めた。


「――はるか!」


「ん? 急にどうしたんだ、みらい。忘れものか?」


「……いや、そんなんじゃない。その、おまえ辛くないのか? もし我慢してるなら…………」


「いや、大丈夫だよ」


 と、俺は本心からの言葉を返す。


「――確かに付き合い始めた頃は運命の日を思うと辛い時もあった。でも、俺とかなたはもうそれは乗り越えたんだ。だから、大丈夫だ」


 これは嘘偽りない俺の気持ちだとみらいは察してくれたのだろう。


 ふっと笑みを取り戻し、またゆっくりと歩き始めた。


……か。この短期間で自然にそのセリフが出るとは、本当に充実した時間をふたりで大切にしているんだな」


 急にそんなことを言われると少し照れる。


 しかし、みらいからもらったその言葉はとても嬉しいものだった。

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