第6話
次の日、俺は心配していたが青山先生の言葉に偽りはなく、かなたは何事もなかったかのように登校してきた。
クラスのみんなも心配して、彼女に近しい女子たちがさっそく声をかけていたが、休んだ理由を無理に聞く者はいなかった。
昨日、詮索はしないでやってくれと言った先生の口調があまりにも深刻そうに聞こえたこともあり、さすがに誰も聞けなかったようだ。
そしてかなたは俺にもいつもと変わらず接してきた。
一か月前はクラスが騒然とすることだったが、もうほとんどの人は気にしていない。
例外がいるとすれば、幼なじみのみらいと、昨日なぜかきつい当たりをしてきた西宮さんぐらいだ。
かなたは俺の席に歩いてくると、机を隔てて正面にしゃがみこみ、嬉しそうに笑った。
「えへへ、一日ぶりだね、はるか」
「あ、ああ。まあ、元気そうで何よりだよ」
「あー、はるかってば心配してくれてたんだ。ありがとっ!」
「――ッ! ま、まあな」
一日会わずに彼女の笑顔を見るとやはりドキッとしてしまう。
しかし次の瞬間こちらを睨んでいる西宮さんと目が合い、俺は慌てて視線を逸らした。
さて、この日も昼休みにかなたと屋上へ行ったわけだが、俺の予想がひとつ外れる。
それは告白の件についてだ。
彼女の性格から考えて、『一日待たせちゃったけど、はい、告白のお返事聞かせて』ぐらい言って来ると思い、身構えながら弁当を食べていたが、彼女がその話題について突っ込んでくることはなかったのだ。
頑張ってこちらから切り出そうかとも考えたが、俺の性格上かなり心の準備がいる。
それに、かなたがいつも以上に休みなくマシンガントークをさく裂させてくるので、俺はついにその機会を逸してしまった。
「それじゃはるか、教室戻ろっか」
「そうだな」
屋上を後にしながら、俺は自分に言い聞かせた。
なに、問題ない。
――俺もお前のことが好きだ――。
そうひとこと言うだけ。今日は無理でも、明日になればかなたが振ってくるかもしれない。その時に言えばいいと。
教室がある校舎の三階まで降りて来たとき、かなたが思い出したようにトイレに向かったので、俺はそこからひとりで教室に向かうことになった。
そして、まるで狙っていたかのようにエンカウントしてしまったんだ。
例の彼女と……。
それは言うまでもなく西宮さんなわけで、俺は思わず尻込みする。
出会うなり彼女は俺の腕を掴んでにらみを利かせ。
「ちょっと、こっち来なさい!」
「え、ちょ、ちょっと!」
ろくな抵抗の暇もなく、俺は人気の少ない廊下の端へ連行された。
連行直後に猛烈な勢いの壁ドンを喰らったことは、たぶん一生忘れないだろう。
いや美人からの逆壁ドンとはこんなに迫力のあるものなのか。
体験者しか知り得ないであろう知識が増えてしまった。
「――っ! ちょ、西宮さん落ち着いてくれ……」
「落ち着いてなんていられないわ! あんた、どういうつもりなの? かなたと毎日お弁当食べるとか、あちこち連れまわすとか。どんな酷い脅しであの子を従わせているのか知らないけど、やってること最低だからね!」
はい? この子今なんと?
到底聞き流せない彼女の発言に、俺の脳みそがフリーズする。
ここまで言われると、ふだんは静かな俺でも黙ってはいられなかった。
「なあちょっと待ってくれよ。なんでそんなこと言われなきゃならねえんだ。俺は何も変なことはしてないし、かなたを脅すわけないだろう! それに、俺から色々と誘ってるわけじゃない。かなたが一緒にいてほしいと言ってくれたんだ。それを幼なじみとして無下にはできないだろ?」
女の子相手にここまでの口調で抗議したことがなかったので、少し言い方きつかったか? などと内心で思っていると、西宮さんは理解できないという表情でしばし言葉を失っていた。
「…………あんた、今なんて言ったの? お、幼なじみ――? ど、どういうことよ!」
「だから、そのままだよ。俺とかなたは幼稚園に入る前からの幼なじみだ。ここ数年は確かに、学校は同じでもクラスが別だったから話す機会減ってたけど……」
彼女はそれを聞いて驚愕の表情を浮かべ、一歩後じさる。
「そ……んな。うそよ」
「信じられないなら、かなたに直接聞いてみればいいだろ。君こそいったいどういうつもりなんだよ。昨日の初対面といい今日といい、なんでそんな俺に対する当たりがきついんだよ。おかしいだろ」
西宮さんはその瞬間、困惑と悲しさと憤りが混ざったような顔になり、急に涙目で震えだした。
これはさすがにやっちまったか? と俺がおろおろしかけたところで俺たちは休み時間があと数分で終わることに気づいた。
「と、とにかく! 幼なじみだとすればもっと考えものね。何も知らずにへらへらしてるようなら、私は絶対あんたを許さないんだからね!」
そう言うと、西宮さんは駆け足で廊下を去って行く。
「――いや、本当になんなんだよ……」
俺は後頭部をがりがりと掻きながらつぶやき、教室に戻った。
この日の放課後、部活が終わって今日もみらいが別の用事で先に帰ったあと、俺は偶然にも校門でかなたと遭遇し、ひと通り驚いたあと一緒に帰路を歩いている。
「ふふ、でもほんとびっくりだね。待ち合わせしたわけでもないのに校門で会うなんて」
「だな。ところで今まで先生となにを話してたんだ?」
「――――う、うん。ちょっと……ね」
「か、かなた?」
俺は明らかに沈みこんだ彼女の表情に驚いた。
ごく普通の質問をしたつもりだったんだが、なにか相当まずいことを聞いてしまったのだろうか。
かなたのこんな表情はみたことがない。
まるで世界終焉までの日数を告げられたような、悲しいというよりはとても寂しくつらいような表情だった。
しかし彼女は俺の心配する顔に気づいたようで、すぐに笑顔で何でもないと言う。
「何でもないって……。本当に大丈夫なのか?」
「う、うん。ほらこの通り、ぜんっぜん大丈夫だよ! ごめんね、心配させて」
「い、いや。まあそれならいいんだけど……」
この日それ以降かなたの表情が曇ることはなかったが、俺は断言する。
その内容がどんなものであれ、彼女はなにかとても重要なことを隠している……。
それはそうとして、俺はこの日の放課後かなたの提案でなかなか珍しい時間を過ごすことになった。
かなたといつも通り他愛もない会話に花を咲かせながら歩いていると、彼女がとある場所で急に足を止めた。
そこはこれまで歩いてきた大通りと俺たちが住む住宅地の入り口へ向かう道との分岐だった。
普段なら道が分かれる公園までノンストップで歩くのだが、今日はかなたがここで止まったので不思議に思っていると。
「……ね、ねえはるか」
「どうした?」
「……あの、このあと用事がなくて時間があったらで良いの。久しぶりに行かない? 金星台公園」
「――え?」
突然の提案には驚いたが別にそれを断る理由もなく、俺は彼女の提案を快諾して数年ぶりに町の最北端、金星台公園に来ていた。
公園としてはかなり標高があり、頂上から町を一望できる。
その頂上へ至る道がふたつあり、歩行者向けに整備された山中の遊歩道と、自転車の道も整備された自動車道だ。
天気も良く絶好の森林浴びよりだったので、今回は遊歩道を三十分弱かけてゆっくりと登った。
公園の南側はひらけて街を望む展望台に繋がり、そこには双眼鏡やベンチと東屋がある。
遊歩道は公園の北側に出るようになっていて、公園に着いたとたんかなたが無垢な少女よろしく顔を輝かせて走りだした。
「わあぁ~っ!」
「あ、ちょっ、かなた⁉」
彼女の急なダッシュに一歩遅れ、その後を追って駆け出す。
なんとか追いつくと、かなたは南側の断崖にある木製の柵を掴み、一歩間違えれば町に落ちるほど身を乗り出して目を輝かせていた。
風になびく綺麗な横髪を、指で耳にかけるしぐさに少しドキッとする。
「すっごーい! 最近全然来てなかったけど、その分余計に綺麗に見えるなあ。ねっ、ほら、はるかもそう思うでしょ!」
柵を右手で掴み、左手で街並みを指さして俺の顔を嬉しそうな目で見てぴょんぴょん跳ねるかなた。
「ちょ、かなた、景色が綺麗なのはもちろん分かる。分かるからそんなに身を乗り出すな、落ちるぞ」
「え~、大丈夫だって」
そう言って柵に両手をかけ、余計に身を乗り出すかなた。俺はさりげなく、そして何より彼女の身体に触れないよう配慮して、片手をかたなの下に置いておいた。
「うわっ!」
「危ないっ!」
まるで恋愛漫画のような展開に俺は心底あわてた。
彼女は足を滑らせ、冗談抜きで数百メートルの自由落下をするところだったのだ。
こうなってはもはや細かいことを言っている場合ではない。
叫ぶと同時、俺はかなた転落防止のために添えておいた右腕に力を入れる。
それとほぼ同時に左手に持っていたかばんを放り出し、両腕で彼女を抱きしめた。
女性らしい柔らかな身体の感触と甘い花のような香り。
それらが同時に襲って来たので危く倒れかけたが、それどころじゃないと自分を叱咤してかなたを安全圏まで引き戻した。
「あ、あぶねぇ……。――だ、大丈夫か? かなた」
「………っ」
さすがの彼女も一歩遅ければ紐なしバンジーをすることになっていた状況ではさすがに怖かったらしく、しばらく声も出せないようだった。
俺もかなりビビってしまい、かなたを背後から抱きしめたまましばらく動けず、そのおかげで自分の心音とともに彼女の激しい心音を感じる。
それではっとした俺は慌ててかなたを開放した。
「す、すまん!」
「ふええ……」
反射的に謝ると、かなたはへなへなとその場に座り込む。
俺はしゃがみこむと、完全に脱力してしまった少女と視線を合わせぺたんと座り込んだ彼女に声をかける。
「………か、かなた。だ、大丈夫……か?」
「――っ! わあああん、怖かったよおお! ありがとう、ホントにありがとう~!」
声をかけながら背中をさすってやると、ようやく我に返ったらしいかなたは俺に抱きついて大泣きした。
「と、とにかく、お前が無事でよかったよ……」
その号泣に驚きながら、俺は彼女が落ち着くまでそのまま背をさすってやった。
かなたの大号泣を目の当たりにしたのは、小学校低学年……いや、幼稚園以来だったかもしれない。
しばらくして彼女が落ち着きを取り戻したあと、俺たちはベンチに座って町を見下ろしていた。
梅雨の中休みと言うべき素晴らしい快晴の空も相まって最高の眺めだ。
「ふう……。はるか、さっきはごめんね?」
「あー……もう気にするなよ。それより今日ここに来たのは、ただ来たかっただけが理由なのか?」
これを聞いて良いものなのか少し迷ったが、今日ここにふたりで来たことに大きな意味があるような気がして、ためらいつつも聞いてみた。
もしかすると、結局返事を返せていないあの雨上がりの告白のことか? と、勝手に思ってみたりする。
そうじゃないとしても、返答を先延ばしにしているのは良くないと思い続けていたので、タイミングを見計らってこちらから切り出したい。
「うーん…………。そうね、久しぶりに来たかっただけだよ」
「そうか……」
と返す俺に無言の笑みでうなずくと、彼女はまた視線を眼下の町に戻した。
穏やかな心地の良い微風が公園を吹き抜けると、目を閉じてその風を横顔で感じるかなた。
「う~ん、気持ちいい風……」
彼女は空へ駆けあがる風を追うようにベンチから立ち上がると、快晴の中天を見上げ、それから優しい表情で俺のほうへ振り返った。
「――ねえはるか。この世界は、本当に綺麗なところだね」
「お、おう、そうだな……」
その言葉と表情からかなたが今日ここに来た理由が、『ただ来たかっただけ』ではないと直感したが、それ以上のことは俺などには図りようもない。
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