第24話 誰が為のマザーグース⑤
また時が過ぎ、困ったことが起こりました。
二週間が経ち、三週間が経っても、赤ちゃんが毛皮を脱ごうとしないのです。ニーヴも、夫のオーダンも心配して、セルキーの仲間たちに話を聞きに行ったりしましたが、やはり皆大体二週間くらいで毛皮を脱いだというので、夫婦の不安は増すばかりでした。
レイモンドはラフィおばあちゃんに相談しに行きましたが、おばあちゃんは落ち着いたものでした。
「そういう子もいますよ。おっとりした子がね。もう少し待ってごらんなさいな」
おばあちゃんがそう言うならとメアリは思いましたが、そうは言ってもニーヴの憔悴ぶりは相当なものでした。赤ちゃんに授乳する間も、ひどく不安そうにしています。お母さんの気持ちが伝わるのか、赤ちゃんも落ち着かないことが多くなってきました。
「私がこの子に何か良くないことをしてしまったのかしら」
「そんなことはありませんよ。レイモンドさんもおっしゃっていたじゃないですか。自然に毛皮を脱いでくれるようになるまで、ゆっくり待ちましょうって」
「わかっているの、わかっているのよ……でも、不安なの。この子に何かもし異変が起こっていたらって……元気でいてくれるだけでいいの。それだけでいいから……」
ニーヴはよく眠れていないのか、顔色が悪くなっています。このままでは、健康はもちろん、母乳にも影響が出てしまうかもしれません。
「ねえニーヴさん、こんな子守唄は知っていますか?」
メアリはわざと明るく言いました。それから、小さな声で歌い出しました。
ニーヴは弱々しく笑いました。
「いいえ、聞いたことがないわ」
「これ、私の祖母が歌ってくれた子守唄なんです。祖母は昔、曽祖父に連れられて行商人として各地を渡り歩いていたので、色々な場所の歌を知っていました。私にも母にも教えてくれたので、よく三人で歌ったんです」
「そうなの。私にも教えてほしいわ」
「もちろんです」
メアリは知っている子守唄をたくさん歌いました。物語があるものもあれば、リズムの面白い歌もあります。
最初は体を揺らしながら聞いていたニーヴですが、そのうち目が閉じてきました。赤ちゃんは胸の中ですでに眠っています。
「私が赤ちゃんを見ていますから、大丈夫ですよ。少し休んでください」
メアリはささやいて、赤ちゃんをベッドに下ろし、ニーヴの体をゆっくりと横にしました。
「ありがとう、メアリさん……本当に、あなたがいてくれてよかった」
夢うつつでつぶやき、ニーヴは眠りに落ちていきました。
その後も、メアリは歌い続けました。静かになったら二人が起きてしまうような気がしましたし、まだ歌の世界にいたかったのです。
おばあちゃんとお母さんと、三人で声を合わせた時のことが思い出されていました。メアリが小さい時から何度も繰り返された光景です。
眠った人から声が減っていくのですが、昔はメアリが一番に寝てしまうので、最後まで残れたことがありませんでした。しかし成長していくにつれて、おばあちゃんが先に寝るようになり、お母さんも歌い疲れて寝てしまうようになりました。
二人が寝ても、メアリはいつもしばらく歌っていました。その時間は、幸せすぎて胸が締め付けられるような、嬉しいのに泣きたくなるような、不思議で、けれどもかけがえのない時間でした。
メアリは覚えていました。昔眠ってしまった幼いメアリを、おばあちゃんとお母さんが何度も撫でてくれたこと。可愛い子、愛しい子、私たちの宝物、といつも言ってくれたこと。メアリが生まれてきてくれてよかったと、最初から言ってくれたこと。
ニーヴたちのために歌うメアリの声が、震えました。
思えば子守唄を歌うのは、家族が亡くなって以来初めてでした。一緒に歌う人も、歌う相手もいなくなってしまっていたからです。
ぼろぼろと、メアリの目から大粒の涙がこぼれ落ちました。
それでもメアリは歌い続けました。声を殺して嗚咽し、メロディが途切れても、また同じところから歌いました。この時間がずっと続いてほしいような気がしました。
そうして翌日、赤ちゃんは何事もなかったかのように毛皮を脱ぎ、人間の姿を皆の前に見せてくれたのでした。
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